一種の活字中毒である小生の悪癖のひとつは衝動的に本を買ってしまうことである。衝動である以上、何のために、とか、なんだとかいう理屈はなく買ってしまうので、すぐ読むことももちろんあるが、気がついてみると(いけねえ、こんなのもあった)といういわゆる積読本が溜まってしまう。そのうちの一冊が、だいぶ前に本稿で演歌のことを書いた時に(あ、こんなのもあったか)という衝動で買った五木寛之の艶歌・海峡物語という本である。現在最終コーナーまで来たポケットブック10万頁読了計画がペースが落ち、スガチューからもらった一冊のところでスタックしてしまっていてイライラしている。その間隔に気分晴らしに読む気になった。
五木には一時大分凝った時期があった。最近の彼の著作がどうも宗教だとか人生論などと言うものに固まってきているので、新作は全く読んでいない。 ”青年は荒野をめざす” とか、”蒼ざめた馬を見よ” ”デラシネの旗” なんかは、ハードボイルド、というのはまた違った、テーマと言い書き方と言い、突き放したような感覚が心に響くようで好きだった。その後興味は歴史ものに移ってしまい、考えてみると40年以上のご無沙汰になる。最近のものはどうか知らないが、この本では五木独特の書き方に再会、なつかしさを感じたことだった。
入手したのはアマゾンで寝ていたのか、初版本である。”演歌” ではなく ”艶歌” というタイトルの意味が読み終わってからなるほど、と思わせる作品だ。ストーリーはレコード(今では死語に近いか)業界での話で、近代的な経営手法に逆らって昔ながらの歌造りに生きる一匹狼的な老人と、それに引かれていくディレクタ津上との話である。どうしてこの2冊が一緒になっているのかわからないが、”艶歌” は会社を辞めることにした著名な作曲家高円寺が録音調整室を去る場面で終わる。
(皮ジャンパーの背中を見せて、高円寺竜三は、録音調整室を出て行った。津上は一人で椅子に座っていた。階段を降りて行く高円寺の足音が聞こえた。ガラス窓の向こうに、スタジオはひっそりと静まり返っていた)
”長いお別れ(清水俊二訳版)のラストを彷彿とさせるこの幕切れが懐かしくひびく。
”海峡物語” ではそれまでの伝統的な経営を破壊し、劇的な再生を実現したアメリカ流の経営者黒沢とたもとを分かち、北海道でささやかな生活をしようとしていた津上が偶然に孤独に生きている高円寺に再会する。もう後戻りはしないとかたくなな高円寺を見て、津上はもう一度、日本人の心に響く歌を再生しようと計画する。ストーリーとしては、いろいろな問題を越えて、津上と高円寺は自分たちの歌を再生するのだが、その陰で、実は先に高円寺を職場から放逐した黒沢がこの計画を応援するのだ。事情を知って黒沢を訪れた津上との会話。
(黒沢は窓の向こうの世界をもう一度眺めた。落日の後の残光が西の空を赤く染めていた。
”私も、あの男も、すでに西の空を落ちていく夕陽にすぎん。きみだって、やがてはそれが判る時がくるだろう”
黒沢は津上を振り返らず言った。
”もう行きたまえ”)
黒沢はそれからまもなく顕職を去るが、その陰の根回しのおかげで高円寺の復帰は成る。高円寺はまた、北国の孤独な生活にもどるところでストーリー自体は終わる。
話はこれまで、なのだが、この小説にはあきらかに ヴェトナム戦争時代の日本を覆っていた閉塞感の匂いがする。今の日本もまた、若い人たちの間には閉塞感がある、というのだが、僕らがヴェトナム戦時代に味わったものとは全くちがったものなのではないだろうか。今の時代の問題は明らかに経済政策の失敗とか、それにどう立ち向かうのか、という方向だけは見えているが、それが実現しないことからくる、現実的な諸問題が原因だろう。しかしあの時代に日本を覆っていた閉塞感というのは全く異質のことであったように思える。
ヴェトナムの戦争がいかに無駄であり無意味だったかは、傍観者であった我々よりも、戦場に送られたアメリカの若者たちに残った心の傷ははるかに大きかったはずだ。僕が読んでいるアメリカ発の本には、それまで敵味方だった二人があるとき、”Were you in ‘Nam?” という会話が交わされることでその間に起きる微妙な感覚が発生する場面によく出くわす。これは “戦友同士” というより ”被害者同士” という和解に近いのだろう。(俺達は結局 Nam で何をしたんだろう?)という意味での虚無感におおわれた閉塞の時代、だったのだ。日本ではその現場にはいあわせないものの、またはいあわせないからこそ、起きる疎外感とか無力感、俺達はどうすればいいのか、という解決への方向も見いだせない時代だった。五木のこのころの作品には、そのような虚無感が漂っている気がする。