東京大空襲ー3月10日の記憶   (普通部OB 舩津於菟彦)

東京都は1944年(昭和19年)11月24日から1945年(昭和20年)8月15日まで合計106回もの空襲を受けたが、特に1945年(昭和20年)3月10日、4月13日、4月15日、5月24日未明、5月25日〜26日の5回は大規模だった。
その中でも「東京大空襲」と言った場合、死者数が10万人以上の1945年(昭和20年)3月10日の夜間空襲を指す(79年前)。この3月10日の空襲だけで、罹災者は100万人を超え、死者は9万5千人を超えたといわれる。なお、当時の新聞報道では「東京大焼殺」と呼称されていた。

錦糸公園は戦時中は空襲からの避難所としての役割や戦災で命を落とした人たちの仮埋葬所としても利用された。こと1945年の東京大空襲においては、1万余の遺体が当公園に仮埋葬された。 1945年3月13日、囚人141人で組織された「刑政憤激挺身隊」が錦糸公園付近の累積死体処理に初出動し、1穴200体収容の大穴10個をつくり、トラックで搬入された死体を埋葬した。

空襲当時の風景と今の風景  10日の朝には一面何も無い。

この眼下の錦糸公園では1万8千にもの方が仮埋葬された。今は約80年の平和が続いて居て間もなく華やかなお花見が開かれ、誰もがそんなことは思ってもいないだろうが、79年前の未明に僅か2時間の間にこの下町界隈のが紅蓮の方に囲まれ逃げ惑い10万人以上の方が亡くなった。原爆も凄い悲惨なことだが、この「東京大空襲」は消して忘れてはいけない事だ。未だ世界では相変わらず戦争の殺戮が続く。「過ちは繰り返しません」なんてのはやはり空論か。でも80年も戦争も無くなく一人の戦死者も無い日本。誇るべきで在り、続いてほしい。