このブログがきっかけで生まれたメル友グループ エーガ愛好会 は本来のエーガ論を離れて投稿者がいろんな話題を持ち出しては議論を吹っ掛けあう、誠に楽しいグループになった。昨今の情報では、栄養やら運動やらも大事だが、社交性を維持することが老けないための重要なファクタであるというし、誠に結構なことだと思う。
ただ小生、幼いころから絵画彫刻あるいは建築といった、いわゆる造形美術の分野にはまったく関心を持つことなくここまで来てしまった。そのせいでこのメル友グループで活発な美術に関連した話題には全くついていけない。強がった言い方で言えば興味が全くわかないのである。自分が勝手に始めたことではあるが、ブログという公共性のあるツールをいじっている以上、情報は公平に扱うべきなのだが、わけのわからないことを報道することは我が慶応高校新聞会で叩き込まれたプライドが邪魔をするので、意地を張って無関心を装っている。
音楽、という分野についても同様だが、ここでは自分なりに好き、好きでない、程度の判断くらいはできる。旧高等学校出身のオールドリベラリストというか教養主義者だった亡兄からベートーヴェンを聞け,ゲーテを読め、と叱られ続けた(小生よりも8歳年上だった)こともあって、高校生のころには分かったふりをして当時流行していた音楽喫茶、なんてところに出入りしていた。その結果かどうかわからないが、自分の好み(だろうと思っている)曲を並べてみたら、その作曲家群がその道にうるさい仲間によるとロマン派と呼ばれる人たちだった、と知った。あまり数多くないCDを並べてみるとチャイコフスキーとかドヴォルザークにリスト、なんかがちらほらある、という程度なのだが、これがイージーリスニング、というのか昔風にポピュラーというあたりだと、曲ベースで好みがはっきりしてくる。一言で言えば、昨今の流行のようだが、リズムが前面に出てくる曲よりもやはりメロディアスなものが好みだが、あまり微妙なテクニックが云々されるような、デリカシーでございます、というようなやつも好きではない。ま、いってみれば、やはり昭和のおじさんの趣味なのだが、そうかといって妙に崩して歌われる演歌調や演歌の中核であることは理解しているものの、いき過ぎたこぶしは勘弁してほしい。
ふた月くらい前、しばらく使っていた自作アンプが故障してそれならと2日で作り直した奴が、やっつけ仕事はやはりうまくいかず、それなりの問題を抱えていて、ハムが気になる、というベーシックなトラブルがあって、クラシックものは敬遠してしまい、ここのところ、演歌というのか洋風歌謡曲というのかを掛け放しにしておくことが増えた。その中で、何回も飽きずに聞くのが小林旭の 北へ という曲なのだ。裕次郎全盛のころデビューしたアキラは言ってみれば裕次郎の二番煎じと言う役者だったし、ギターの弾き語りも好きではなかった。なぜこの曲だけが好きなのか。これは演歌、というジャンルの曲なのだろうか、という疑問が湧いた。
例によってグーグルで 演歌、の定義を探してみた。世の中に専門家という人はいるもので、その定義沿革について十分すぎるくらいの情報が見つかった。その中で、五木寛之が実在のプロデューサーをモデルにした 艶歌 という小説を書いているのを知った。サラリーマン5年目ごろにきっかけは忘れたが 蒼ざめた馬 青年は荒野をめざす と、学生時代に読んだ方がよかったような五木の作品に触れ、それから数年、彼の乾いたというか投げやりというか、ある意味ではハードボイルド(本人はもちろんそう思わないだろうが)ふうな作風が気に入って、だいぶ読んだのだがこの本は読んでいない。グーグルによればこの本の中で五木は 艶歌 というものを演歌の延長上に再定義し、欧米におけるシャンソンやジャズと同じような日本人のブルースであり、これを無視したときに日本人のナショナルソングはあり得ない。それまで 演歌 とされてきた音楽は大衆自身の声ではなく、インテリ警世の歌 にすぎず、“艶歌に転ずることによって庶民の口に出せない怨念悲傷を詩曲に転じて歌う” のだ、と書いているそうだ。グーグルの解説はほかにも専門的な見地から述べているが、素人受けする解説?として、その歌詞に “海・北国・北国の漁船・酒・涙・女・雨・歓楽街・雪・別れ” が出てくる曲、という見方も紹介されている。この定義は、この 北へ に100パーセント、あてはまるから、これは 艶歌 と言っていいのかもしれない。ま、それはどうでもいいのだが、小生にとってこの曲がなぜ特別か、と言えば、それは五木のいう 口に出せない怨念悲傷を詩曲に転じている からなような気がする。
他人から見れば調子よくサラリーマン生活を渡り歩いたくせに、と言われるだろうが、無理を承知で引き受けた企画が結局3年たっても陽の目を観ず、あたりまえだが首になって、体よく新しい機会をもらうことになったことがあった。表面はともかく自分では鬱々としていた時期が小生にもあったのだ。その時期のある日、職場旅行があった。酔い覚めの朝、旅館のジュークボックスで何か聞こうか、と逡巡していたとき、部下の一人が人目につかずにやってきて、”この歌、いいと思いますよ“ と勧めてくれたのがこの 北へ だった。メロディもよかったが、”俺は明日もまた北へ流れる“ という一句がずっしりと胸に響いた。それ以来、この歌は文字通り小生の支えのようなものになっているし、口では一言も言わなかったが俺の胸の内を読み取ってくれたこの男とは米寿を目前にした今も、変わらぬ友情と感謝を感じている。今日も昼寝の後にはまた聞くだろうな。
(菅原)そっちは小林旭だがこっちは中島みゆき。今、小生が夢中になって、毎日、聴いているのは中島みゆきの”糸“だ。
縦の糸はあなた横の糸は私 遭うべき糸に出逢えることを 人は仕合わせと呼びます
これを演歌と呼ぶのか艶歌と呼ぶのか、はたまたJ―ポップと呼ぶのか知らないが、詩よし歌(メロディー)よし、そして中島みゆきの歌唱、最高(間違って、Coverを度々聴いたが、その全てがマガイ物)。
実は、小生、これまで中島みゆきは食わず嫌いは損のもとだった。だが、聴けば聴くほど、正に大損したことを認識。只今、それを取り戻そうと、年甲斐もなく一生懸命に努力中。そこで、最近、発売になったCD「世界が違って見える日」をAmazonに注文(これ以上、J.ベゾスが儲けるのは癪だが)。トレiイラーで聴いたが「倶に(ともに)」が最高。病膏肓に入る。でも、ネットを見たら、1972年2月生まれとあるから、あの中島みゆきも71歳か。