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ヤクルト日本シリーズ制覇  (編集方針により一部のみ掲載)

(編集子)名手小泉さんの散歩途中の秋色の写真である。今回の投稿で写真はあくまで添え物であって、本題はヤクルトスワローズ日本一絶賛であり、これに呼応してヤクルトファン数人の同調投稿があった。

そもそもこういうものはわが永遠不滅のジャイアンツがあってはじめて成り立つものであり、ジャイアンツ愛は本稿の基本的思想であるので、本精神に反する本文並びにそれにへつらうがごとき投稿は掲載しない。ただひたすらに小泉センパイの審美眼とカメラワークの冴えのみをお伝えする(ただし内密にヤクルト絶賛記事をお読みになりたい向きは小生あてご連絡あれば本文3通を転送する、という妥協まではする度量は持ち合わせている)。

(小泉)久しぶりに近所の大倉山公園を散策、名残りの紅葉に会ってきました。銀杏と紅葉のコントラストの写真を添付します(以下省略)。

 

乱読報告ファイル (14) 石光勝  ”カミュ” に学ぶ本当の正義

実存主義、だとかサルトル、とか、そしてアルベール・カミュ、というフランス人の名前を聞いたのは高校2年のころだったと思う。多くの同年代の人たちがそうだったように、世界文学全集、なんてものをかじり、わかったふりをして議論をする仲間にも恵まれて精いっぱいの背伸びをする年齢だったけれども、実存主義とはどういうものか知ろうとか、文学作品を読もうという気にはなれなかった。そのころ一般に知られていた”実存主義“ のイメージが、酒場にたむろする黒っぽい装束の若者たちとむすびついていて、当時支配的だった西欧賛美の風潮に乗るのがいやだったからかもしれない。

慶応高校は3年次になると理系を目指すクラスと法文系を目指すクラスに再編成される仕組みで、同時に自由選択できる科目も増えていわば大学へのウオーミングアップを自分なりに組立てることができるようになっていた。この自由選択のコースのひとつで、エリッヒ・フロムの 人間における自由 を読むという講座があった。もちろんそれまで聞いたこともない名前であり、半分は興味本位の選択だったが、今振り返ってみるとこの本が僕の大学での(ワンゲル以外の、というほうが正しいが)ありかたを決めてしまった。経済学部ではありながら経済理論には身が入らず、3年次のゼミで社会思想史、という講座を選択し、結局、卒業論文に選んだのがこのフロムだったからだ。

社会思想、とは時代時代の社会のありかたの基本となるものの考え方であり、その歴史を紐解こうというのが社会思想史、と呼ばれる分野だから、広い意味では哲学の領域にも及ぶ以上、実存主義、という分野に興味を持つ仲間も結構いたけれども、結局、僕がサルトルの主著である 嘔吐 を読んだのは社会人になってからである。それがきっかけになってサルトルの友人でもあり仇敵でもあったというカミュにも手を伸ばしてみて、誰でもがそうだろうがかの 異邦人 を読み、有名な きのうママンが死んだ というイントロに衝撃を受けた。カミュのもうひとつの代表作は ペスト だろうが、異邦人 の持つ一種の迫力には及ばない、というのが感想だった。

今度この本を読んでみようかと思い立ったのはほぼ1年前なのだが、その後いろんなことに目移りがしてしまい、結局、コロナ閉塞期間まで持ち越してしまった。本を買った時には、カミュのものの考え方についての解説文献だろうと思っていたが、著者の石光勝氏は冒頭に今、日本の置かれている環境からわれわれが国の持つべき正義、というものを論じようとしていることがわかって、また興味をひかれたこともある。しかし結論から言うと、僕には石光氏の説く カミュの正義 というものはもう一つ理解できなかった。もちろん読者としての理解力の問題だとは思うが、同氏が話を分かりやすくしようということで同時代の映画作品(カミュなんて知らない から 西部戦線異状なし やら 天井桟敷の人々 やら 誰が為に鐘は鳴る をへて 愛について、東京 という作品まで合計32本)への反映を試みた結果が残念だが小生にはかえって煩雑であり、焦点が定まりにくかった。しかしカミュの思想の原点にある個人の自由、という概念について 異邦人 でムルソーが亡くなった母親の顔を見ることを拒否し、全くの理由もなくアラビア人を射殺するという行為がムルソーが持ち続けた自由の定義である、ということが不思議と腑に落ちたのだ。

実存、という用語は、サルトルがペイパーナイフの例を引いて書いた有名な一節のように、本質、あるいは砕いて言えば物事のありようとして人々が受け入れているものとの対比によって定義される。そして有名な 実存は本質に先行する、という定義になる。このことが、ナチの暴政から解放されはしたが新しい時代を展開する思想というものを探していた大戦後のフランスの若者にとって魅力だったのだろう。この本を通じて再認識したのだが、大戦後のフランスは共産主義に共鳴する人が存在感を増していたこと、そしてサルトルや実存主義のグループの多くが共産党員だったという事実(カミュも一時党員であった)である。実存、という思想は直ちに人間の、個々人の生き方、個人の自由の実現はどうあるべきか、という命題に行きつく。この解決が共産主義にいきついた、という論理はまだ僕の中では整理されていない。いないのだが、ここで、前述したフロムがその主著の中で、人間は生まれたとたんに死とどう向き合うかという課題を持つとし、このことを人間の持つ実存的二分性、という用語で語っていたことを思い出した。彼によれば、この二分性の持つ矛盾は個人が能動的に社会に参画することによってのみ解決される、とし、このかかわり方を彼の本領である心理学的用語によって、”生産的構え“ と定義した。一方、何が何だかよくわからないなりに読んだサルトルには、アンガジュマン、というフランス語が出てくる。例によってググってみたところを下に書いておくが、太字にしたあたりがフロムが定義した人間の生産的な在り方、と共通するように思えるし、実存主義と社会とのかかわり、そしてその根本にある、カミュが言おうとした社会正義、ということなのかなあ、というのが只今の読後感である。

(アンガジュマン)もともとは、契約、拘束などの味だが、政治や社会の問題に進んで積極的に参加していくことをさすことばでもある。とりわけ第二次世界大戦直後に、サルトルがこの語を多用して以来、これは彼を中心とする無神論的実存主義のグループの思想と切り離せないものになった。 サルトルの哲学によれば、意識存在である人間は、めいめいが自由な選択によって過去を乗り越え、現に存在している自己を否定しつつ、まだ存在していないものをつくりだしていく。したがって人間のあり方は、現在の状態からの自己解放であるとともに、まだ存在しない目的へ向かっての自己拘束(アンガージュマン)であると規定できる。

(船津)
サルトルの哲学によれば、”意識存在である人間は、めいめいが自由な選択によって過去を乗り越え、現に存在している自己を否定しつつ、まだ存在していないものをつくりだしていく。したがって人間のあり方は、現在の状態からの自己解放であるとともに、まだ存在しない目的へ向かっての自己拘束(アンガージュマン)であると規定できる” のだそうだ。
あの頃コチトラは分けも分からずシモーヌ・ド・ボーヴォワール (Simone de Beauvoir)の「老い」を小脇に抱えて歩いただけ。
ペストと新型コロナウィルス蔓延旋風は世を如何に変えたか?又、変えていくか——。

(菅井)
世界で死亡者数は5,000万-1億人以上と言われている約100年前のパンデミックだった「スペイン風邪(実際にはH1N1インフルエンザ)」は同時期の第一次世界大戦(The Great War)のインパクトが強すぎたためか歴史上でもほぼ埋もれてしまい終息後は何一つ変わらず元に戻ったと言われています。

 

エーガ愛好会 (98)  決闘一対三   (34 小泉幾多郎)

 名匠ラオール・ウオルシュ監督、ロック・ハドソン主演の西部劇で、ハドソンは若かりし頃から「ウインチェスター銃’73」「アパッチの怒り」等インディアン酋長も含め10本以上の西部劇に出演している。その後もメロドラマ、ロマンチックコメディ等ジャンルを問わず活躍したが、愛想のよい二枚目俳優が、ホモセクシャルなエイズに倒れたときのハリウッドの欺瞞性に驚きと悲哀を感じたものだった。

冒頭ティロップで説明があり、西部を荒らしたジェームス兄弟、ダルトン兄弟、ヤンガー兄弟等と並ぶテキサスに実在した賭博師であり、無法者であるジョン・ウエス・ハーディン(ロック・ハドソン扮)の物語。しかもその本人が獄中書いた自伝から、この映画は書き下ろされ、脚色されたとのこと。映画は16年の刑期を終えて出所するところから始まり、書かれた原稿を開くと、そのウエスの過去の物語が語られていくという回想形式になっている。ウエスの父親が伝導師で、度が過ぎる厳格さから、拳銃の曲射ちを咎められたことにウエスは反撥し、家を出て、賭博等に明け暮れる。ウエスは、ポーカーのふとしたことから、相手を殺してしまい、そのハンドリー兄弟三人組に追われることになる。それが「決闘!一対三」の邦題になるのだが、最後にでも華々しい決闘シーンででも終わりかと思いきや、一対三というスッキリしたものでなく、前半で呆気なく片が付いてしまう。三人のうちの二人は町の人に排除され、もう一人リー・ヴァン・クリーフとは、砂嵐の中簡単に射殺してしまう。その後、追ってきた保安官やらテキサスレンジャーとの間で、撃ち合いがあるが、西部劇に手慣れたラオール・ウオルシュ監督らしき冴えがなく、保安官との対決や最後のごろつきとの対決にしても、背中を撃たれるという信じられないことが起こる。二回も競馬シーンが必要あるのか?酒場で保安官ワイルド・ビル・ヒコックとの出会いがあるものの、それだけのことで、何の進展もなく、何のための出会いか意味不明。ウエスは確かに何人もの人を殺すものの、先に拳銃を抜いた者以外は殺していない筈で、やむなく人を殺すという運の悪い男に描かれ、何故か誰もウエスの正当性を主張しないのが不思議。

結婚することになる酒場の女ロージーは「アマゾンの半魚人」で有名なジュリア・アダムスが扮する。慎ましやかなところとお色気たっぷりなところを見せ、アラバマ州ポランドでの牧場での幸せな生活も一瞬、ウエスはテキサスレンジャーに捕えられ、重労働25年の刑を言い渡される。その後、刑期は16年に減刑され出所。牧場に戻ると逮捕されたときに生まれた男の子が逞しく成長していて、牧場を守っていてくれていた。大詰め息子が拳銃をもてあそぶ様を見て父親同様殴ってしまい、息子が酒場でごろつきと撃ち合いしそうなところを止めに入り背中を撃たれ傷ついた。父の敵を討とうという息子に対し、無謀な生き方を止め、自分の若き過ちを息子に繰り返させないことで、ようやくウエス自身としても自分の人生に安泰が訪れるのだった。

Wikipediaによれば、ジョン・ウエズリー・ハーディン(1853‾1895)は15歳で殺人を犯して以来、生涯40人以上殺したと言われる。諸州を放浪し殺人を繰り返した。1894年出所した翌年口論の末ジョン・セルマンに殺されたとのこと。
ボブ・デュランがこの実在のアウトローから採ったとされるオリジナルアルバム、ジョン・ウエズリー・ハーディングが、1967年に発表されている。

(編集子)Breed という単語は英和大辞典によれば ”普通、人為的に作られた動植物の種類品種系統、人のタイプ、カナダ米国では侮蔑語として混血児、と解説されている。”人為的に” という句の終わりにコロンがあるので、この形容詞句が人のタイプ、にはかかっていないだと思うが、主人公の人間としての結末は環境というか、”人為的” に捻じ曲げられた、というような意味があるのではないかと思わされる。法の及ばない辺境ではそういうことも日常的だったのだろうか。ほかの西部劇でも同じようなテーマがあるが。

堀江 ”青年“ の記事によせて

かつて単独でヨットをあやつり、太平洋横断を成し遂げてわれわれを仰天させた堀江さんが再びこのシングルハンド航海に臨まれているという記事には心底びっくりした。かつての ”青年” もこの記事で初めて知ったのだが、小生よりも1歳若いだけである。自分の命を懸ける船を設計し、製造するだけでも大変なことだし、この、この何十年かの間、快挙にそなえてどうやって体力気力を養ってこられたのか、そのほうがもっと大変だったのではないか。今はただ、ご無事を祈るだけだが、まあ、僕らワンゲルOB基準で比較(になるかどうかわからないが)してみれば、37年卒組、たとえば菅谷君とか宍倉君に単独で厳冬期南ア全山を往復縦走してこい、というようなものではないか。

この記事で改めて、自分に残された時間をどうやって過ごしていくか、考えてしまった。正直言って、世間一般の同世代にくらべて、まあまあの体力はまだあると思うのだが、それでももう、3000m に挑むことは不可能だし、筋トレもどこまで効果があるかわからないので、アウトドアは潔くあきらめるとして、後は家にいてもできる冒険に挑むことしかない。以前にも書いたことがあるが、親しくしている医師の話では、たとえば人間国宝級に何か秀でた腕を持っている人はそのことについてのすべてのノウハウや体の動かし方やそういうものが、言ってみれば固定メモリに入っているので、体が動く限りはほかの人には及ばない結果を出すことができる。しかしそのほかの日常生活になると全く違うメモリを動かさねばならなくなるが、それまでの人生で使ってこなかった脳の部分は多くの場合退化してしまっているので、ひどい場合には白痴に近い人もいるんだそうである。この医師は(ほかに小生がかかっている若い整体士も同じことを言うのだが)人間の筋肉はとにかく使い続ければ終わりまで成長するものなので、これは脳も同じだ、というのである。ならば、とにかく脳を使うことだけはやっていこう、というのが僕の今の ”単独冒険航海” だ。

この 脳を鍛える、ためにいろんなことをやっているが、まずテレビを見るのは必要最小限にし(情報もただ受けとるだけでは脳の刺激にはならずただ時間が無駄になるだけですよ、とくだんの医師はいうのだ)、逆にその活性化のために本を読み続けること、そしてここ2年ほど必死にやっているのが、高校生の時代に戻り(という本当の意味はそのころ得た知識しかないからなのだが)30年前の古い記事を頼りに、アマチュア無線で使える(はずの)通信機を作っている。今や30年前には一アマチュアが使うことなど夢想だにできなかった高性能の測定器が、たとえば中古品ならばなんとか入手できる価格になっていて、誠にありがたいのだが、そのため皮肉なことに、無手勝でやるしかなかった当時には分からなかった、細部にわたる欠陥がどんどんわかってくる。そうなるとそれを何とかしなければならないという気持ちに追い込まれる。回路を変えてみる、部品の値を変える、作り方を変える、その繰り返しだが、情けないことに細かい部分は良く見えないし、小さいネジなんかははめるだけで苦労するし、震える手で付けたはずのハンダははがれるし、今、ここへおいたはずの工具を探すのに何分もかかったり、つくづく身体能力のデテリオレーションが恨めしい。しかしこれが何とも言えず、楽しいのである。自慢することではないが、その本体を作りこむシャーシ(アルミ製の箱)だけでももう10個はお釈迦にしてまだ、実用機と思えるレベルには至らない。東京オリンピックには間に合うはずだったのがそれどころか巴里までに間に合うか、という現状が当分続くだろうか。

荒れ狂う海の上で生死をわかつかもしれないエラーと24時間対峙しなければならない堀江さんの冒険とはあまりにもかけ離れているが、こんなことを楽しみながらドクターのいう脳の活性化、ができればこの小さな冒険も太平洋を渡るものに匹敵する価値があろうかと思っている。

 

自然との共生実験ーさがみこベリーガーデンの体験 (高校OB 山川陽一)

先月のブログでは太陽光発電と景観問題について書きましたが、今回はさがみこベリーガーデンの自然と景観についてお伝えしたいと思います(「自然エネルギーのつくり方」参照)。

さがみこベリーガーデンは自然の宝庫です。都心からこんな近くにこんな豊かな自然が息づいているなんて、ビックリです。

私たちがこの地に足を踏み入れて3年、農園づくりに汗を流してきましたが、その間にビックリするほどいろいろな生き物たちとの出会いがありました。イノシシ、サル、シカ、キツネ、タヌキ、ハクビシン、アナグマ、モグラ。アオダイショウにトカゲ。バッタ、カマキリ、カミキリムシ、テントウムシ、キリギリスにコウロギ。春はウグイス、秋の空には赤トンボが飛び交って、草むらからはキジの親子が顔をだします。夏場の雨の日にはヤマビルの対策もしっかりしないといけません。

つい先日も、朝、農場の見回りに歩いていたらブルーベリーの鉢の陰から突然キツネが飛び出して、電気柵の間を一直線にすり抜けていきました。自然がいっぱいです。でもね、観光農園にお客様をお迎えすることや生産農園としてしっかり収穫することを考えると、いいね!いいね!とばかりも言っていられません。鳥獣害の対策や害虫防除に頭を悩ます毎日です。

現在私たちはソーラーパネルの下で養液ポット栽培という形で1100本のブルーベリーを栽培しているのですが、次々にいろいろな問題が起きてきます。丹精込めて育ててきたブルーベリーの苗木がカミキリムシとかコウモリガの幼虫にやられて突然枯れてしまうこともしばしばだし、養液栽培の配管がハクビシンだかタヌキ?に食いちぎられる被害も後を絶ちません。防草シートの上は動物の足跡だらけ。ブルーベリーの鉢が置いてある農場の周囲には5段の電気柵を回してあるのですが、果たしてどれだけ機能しているのでしょうか??? 動物たちと知恵比べですね。

この春は西側の農道を挟んだ向かい側の沢沿いに生えているミズキに大量のキアシドクガの幼虫(毛虫)が発生してあっという間にミズキの若葉を食い尽くし、その大群が大挙道を超えて押し寄せてきてブルーベリーの葉を食い始めました。到底人力では駆除しきれない量なのでやむなく少量の薬物を使いました。来園者が手で摘んで食べるブルーベリーの実に薬物が残留していたなんてことは万が一にも起きてはいけませんし、花粉交配の受粉用に飼育しているミツバチへの影響も念頭に置かないといけません。こんな現実を突きつけられると、無農薬培は聞えは良いですが、果たして100%農薬を使わない農業がどれだけ可能なのでしょうか。

そして目下の最大の悩みは鳥害対策です。一般的に鳥害対策はネットを張りますが、ソーラーシェアリングの架台が邪魔をしてネットを張るのも一苦労ですし、張れたとしても、コストが馬鹿にならず、維持管理も大変です。猛禽類を模した吹き流しを付けるとか、テグスを張り巡らすとか、ドローンを飛ばして上空から音声を流すとか、いろいろな案が出ていますが、はてさて、どうしたらいいのでしょう。来年以降本格的なブルーベリーシーズンを迎えた時どうなっているか。みなさん、なにかいい知恵があったら教えてください。

かつて、この場所は地域の人たちが農地として開拓し、家族総出で作物を育て、美しい里山の風景を形作っていたはずですが、時代と共に農業を維持継続することが困難になって、耕作放棄され、草ぼうぼうの荒廃農地に変わっていったのでしょう。私たちはその地を借り受けて、ソーラーシェアリングという方式で発電し営農し観光農園+生産農園として蘇らせたいと考えています。

観光農園の開園まであと半年。この地の素晴らしい自然を壊さないで事業を成り立たせることがどんなに大変か身に沁みて感じるこの頃です。かつての里山の姿をそのまま再現できるわけではありませんが、息づいている自然と共生しながら新しい里山の風景をつくっていきたいのです。「自然との共生」・・・とてもいい言葉ですが、実際にやるのはとても大変。ウーン、でも、やるしかないですね

半導体問題をまとめてみました   (普通部OB 舩津於菟彦)

連日「産業の米」と言われる「半導体不足」が連日報道されています。この状況をまとめてみましたので新聞やテレビ報道と合わせてご参考まで。

 

この”半導体不足”が意味するものをまずマンガ的に見ておこう。

その ”半導体不足” には、主に「需要の急拡大」と「供給体制のひっ迫」の2つの要因がある。まずは、「需要の急拡大」から見ていこう。

コロナ禍の影響で、工場の操業停止や物流の停滞で入手困難な部材が出るなど、サプライチェーンが混乱した。半導体市場も同様の影響を受け、それに加え、テレワークの急速な普及と巣ごもり需要の拡大で、はじめにパソコンなどに搭載されるPMIC(パワーマネジメントIC)が2020年の春頃から不足し始めた。PMICは、5Gスマホへのシフトでコロナ以前からひっ迫していたが、コロナ禍による需要の急拡大で製品不足に拍車がかかった。その後、パソコンに加えテレビなどの需要が増加し、ディスプレイ用の半導体DDIC(ディスプレイドライバーIC)にも不足の波が広がった。そして、2020年9月以降は、自動車市場が急速に回復。その結果、自動車の動作制御も担っているMCU(マイクロコントローラー)も不足し、自動車メーカー各社は2021年に入って操業停止や減産を余儀なくされた。

「供給体制のひっ迫」についていうと、PMICやDDIC、MCUなど、製品不足が深刻化している半導体の多くは、最先端の半導体が生産されている工場(12インチウエハー工場)ではなく、一世代前の半導体工場(8インチウエハー工場)で生産されている。一方、一世代前の半導体工場は老朽化が進んでおり、半導体メーカーはコストのかかる自社生産から、ファウンドリー(自社以外で開発された製品を受託で生産する企業)への製造委託に切り替えるケースが増えていた

(注)ウエハ[6][7](ウェイファ、wafer; /wéifər/)は、半導体素子製造材料である。高度に組成を管理した単結晶シリコンのような素材で作られた円柱状のインゴットを、薄くスライスした円盤状の板である。呼称は洋菓子ウエハースに由来する(ウイキペディアによる)

こうした状況下で、一世代前の半導体の需要が急拡大し、ファウンドリーへの注文が殺到。しかし、ファウンドリーの多くは、半導体の生産能力を拡張させておらず、急増した注文に供給が追い付かない状況に陥った。さらに、2020年4~6月頃はひっ迫していたパソコン用などの半導体の製造に、需要が落ち込んでいた自動車向けの半導体の生産能力を振り分けていた工場が多く、自動車需要が回復して以降は、供給のバランスが大きく崩れていた

そこに追い打ちをかけたのが、2020年12月のアメリカ政府による中国のファウンドリー大手企業への事実上の禁輸制裁であり、その影響で台湾や韓国のファウンドリーへ注文が集中し、半導体不足が加速しているのが現状である。

また、2021年以降、相次いで発生した自然災害や事故が追い打ちをかけた。例えば2021年2月、アメリカテキサス州の大寒波の影響で、同州にある半導体工場が閉鎖、同月台湾では過去に例のない深刻な水不足が発生し、大量の水を必要とする半導体の生産に影響を及ぼした。

日本に目を向けると、国内自動車メーカー最大のMCU調達先が、2021年2月に発生した福島県沖地震の影響で、安全確認と装置や製品の被害状況の確認のため、工場の操業を一時停止。さらに3月には同工場で火災が発生し、半導体の生産がストップする事態に陥った。現在、ファウンドリーを含め、半導体メーカー各社は急ピッチで半導体の増産を進めており、休止していた工場を再稼働させる動きも見せている。ただ、半導体は通常、材料を投入してから製品が出来上がるまでに3カ月以上かかると言われており、半導体不足の解消にはある程度の時間がかかる見込みだ。

世界の半導体市場の歴史をふりかえると、1990年代は日本がダントツ半導体王国だったが1995年頃から米国に抜かれ日本は衰退していく。ニコンは一時この半導体製造装置で可成りのシェアと利益を得たときが在り、カメラ関係を縮小すると言う様なこともありましたが今やデジタルカメラで持ち直している。東芝が半導体を売り歩いても売れない時代もあつたり。今や昔。
この時期、日本の代表的エンジニアであった嶋 正利は、米国インテルは加わり、ビジネスむけプログラム制御方式の高級電卓のために必要なチップとしてインテルと共同開発した。これがLSIの始まりと言われている。

(注:LSI:Laege Scale Integration の略で、トランジスタや関連する電気回路を超小型にまとめた部品。それまでもICなどと呼ばれて実現されていたがその規模をさらにあげたもの)

嶋さんは4004の開発後同社を退職しリコーに転職。インテル社は次期製品8008の開発にあたり、特許戦略および他社による競合製品開発阻止のために、当時インテルのCEOだったロバート・ノイスが嶋を1972年インテルに呼び戻し、嶋は8080開発では当初より主任設計者を務めて4004の時と同様にほとんど一人でロジックを組み上げた。8080のパターンの隅には嶋家の家紋が刻まれている。その後、嶋はファジンらCPU開発チームの主力メンバーと共にスピンアウトしザイログ設立に加わり、8ビットマイクロプロセッサのベストセラーのひとつでZ80を世に送り出した。

斯様に日本はこの分野ではパイオニァーであり、世界をリードしていたが、リーマンショック以来、総ての産業がそうなってしまったように、日本の企業は「窒息状態」に陥り、世界から総て置いて行かれてしまった。その状況は下記のグラフに明瞭に表されている。

半導体といってもプロセッサー・メモリー・等々在りその集積度は急速に上がり、今や台湾のTSMCがシステムオンチップ -SOC- のシェアはダントツで、今回政府の方針で熊本に工場を作ることになっている。当分産業の米騒動は続きそうだが、かの栄光ある日本の半導体製造関係は再び戻ることはないのでは、と懸念している。

乱読報告ファイル(13)  深夜プラスワン

嬉しいことが続くものだ。

先回、ハヤカワ文庫で、懐かしい ”女王陛下のユリシーズ号“ が戻ってきたことを書いたが、今度はこっちを見透かしたように、ハードボイルド小説愛好家のあいだで高い評価をうけている ”深夜プラスワン (Midnight plus One)“ が復帰したのを、同じ本やの、同じ棚でみつけた。しかも新訳である。

ハードボイルド、とよばれる作品にはその出自から言ってもアメリカの作品が多いのだが、英国には国民性を反映した海洋冒険小説の伝統があり、米国ものが基本的にはクライムノベルなのに対して、英国作家のそれは海洋もののベースにある、純粋な冒険と挑戦、といった純粋さのある雰囲気を漂わせた、深みのある作品が多い。ハメットーチャンドラーーマクドナルドスクール、というのがアメリカンハードボイルドの基本方程式であって、いずれも犯罪と謎解きを主題にしているのに対し、ギャビン・ライアルやハモンド・イネスなどという人の作品の多くは主人公のストイックな行動を中心に書かれている。僕が彼の作品でもう一つ気に入っている ちがった空 (Wrong side of the sky) などもその一例だ。

”深夜プラスワン“ は、一時タレントとしても人気のあった内藤陳がほれ込んでいろんな場で吹聴し、新宿ゴールデン街には 深夜プラスワン、というバーまでできた(まだある)。グーグルで調べてみると、全国ほかにも同名のバーがあるようだし、小生はまだ読んでいないが当節人気の馳星周もこの店で内藤と接触ができ、作家になったのだそうで、この一冊の本がもたらした影響は結構なもののようである。

なぜこれほど、この作品にほれ込む人が出てきたのだろうか。クライムノベルのスリルとか、謎解きのみごとさとかいった域を超えて、主人公のありようが、ただひたすらに約束したことを実行する、その過程にはさまってくる友情との板挟み、といった過程が書かれる、その実直なまでの行動が、(俺には出来ねえなあ)と思いつつ共感を呼ぶ、そんな内容だからだろう。ストーリーはある事情でフランス国内を旅行出来ない人物をリヒテンシュタインまで車で運ぶ、というただそれだけのこと。その過程の描写がしっかり心に響くし、夕刻のパリの街角ではじまる導入部が何とも言えず素晴らしい。先回書いた 女王陛下のユリシーズ号 では、乗組員やヴァレリー艦長たちの、自然の猛威や襲い来る敵機との戦いを通じた、いわばアクションの描写が素晴らしいのだが、こちらはアクションというよりも内面の、スタティックな心情が書かれる。それでいてむしろこちらのほうがスピード感を感じさせるのが著者の力量なのかもしれない。特に終盤、親友の利き手を撃つ、それが実は真の友情になるのだ、という決着もいい。

この調子でサイズも値段も手ごろなハヤカワ文庫に、古くて新しい作品が復活し続けてほしいものだ。

韓国でのコロナ感染増加について   (50 菅井康二)

ロイターの記事(https://bityl.co/9ehD)を読み、それに対して”Our World in Data”というサイト(Johns Hopkins大学が収集しているCOVID-19関連のData)のツールを使って比較してみました。欧州の状況についての先般の田村先輩のご投稿と合わせてご参考までにお届けします。

◇ Our World in Data
https://bityl.co/9eoO

ワクチン接種率が我が国よりもやや高い韓国では検査陽性者が急増し死亡者も増加傾向のようだ。現在の我が国の新規検査陽性者数の激減を一部の感染症専門家たちは「国民の危機感の共有による行動変容」などと唱えているが、8月〜9月の外出時の街の様子から感じた皮膚感覚では個人的にこの説明には全く納得できない(行動変容など起きていなかった)。

この違いは一体どこから?生活習慣の違いか?我が国で継続されている(鬱陶しい)マスク着用習慣の効果か?

◇ 韓国、コロナ新規感染者が過去最多の3292人
我が国での「第5波」はほぼ収束しつつあり「第6波」に向けてのワクチンのブースター接種や特効治療薬開発/承認の報道はあるのだが、医療逼迫を回避するために人口辺り世界一潤沢と言われている病床の運用のリストラクチャリングや人・モノを含めた治療資源の集約化(COVID-19治療専用の所謂野戦病院の建設とか)などはこのところさっぱり話題にはのぼってこない。都知事も退院後は雲隠れ状態で「第6波」対策は大丈夫なのだろうか?

センチメンタルジャーニー:安曇野あたり  (大学クラスメート 飯田武昭)

15日(月)から2泊3日で墓参を兼ねて信州の安曇野へ行ってきました。終戦の年の昭和20年当時住んでいた渋谷の家が大空襲頃から焼失の危険が迫り、父親の故郷の安曇野に縁故疎開したまま小学校6年間を安曇野で暮らしました。

当時は毎日のように蝶々や蜂を追っかけて遊んだ近くの清流梓川も、その後の日本の高度成長期からはセメント工場の砂利採掘場所に変わり、今でも大型重機が川底を掘っているのを車窓から眺めるのは辛いです。

最寄りの想い出の「梓橋」駅は数年ごとに変化して、今回は遂にほぼ無人駅に建て替えられてしまったのも、戦後すぐにはチッキで大きな荷物を東京との間で持ち込んだり受け取ったりした記憶があるので情けない気がしました。松本駅では時々は7番線に乗りますが、今回は多く乗る6番線から乗車しました。1泊目の松本のホテルから市内をうろうろして入った炉端焼き屋さんが食材豊富で安くて美味しく当たりでした。因みに長野県は私が出かける少し前から新規感染者0人が昨日迄6日間続いていて、電車もつり革からドア横の手すりまで、松本駅で車掌さんが消毒して回ってから乗客を乗せたりと他にも良い人が多かったです。

天候に恵まれ常念岳、燕岳は逆光でしたがいつものようになだらかな雄姿を見せていました。松本市内では松本城天守閣に久しぶりに登り、中町通りでお店を冷やかしに入ったりその夜は浅間温泉に泊まりました。

今年のインフルエンザ予防接種について   (普通部OB 篠原幸人)

読者の一人、O君からインフルエンザのワクチン接種は今年はどうしたら良いかとの質問がありました。確かに気になる問題ですね。

昨年冬のコロナ騒ぎの最中は、インフルエンザ(以下インフと略します)は本当に影を潜めていました。私は呼吸器病の専門家ではありませんが、それでも毎年流行期には他の病気で通院中の患者さんでも、週に1-2人はインフに罹って来院されていました。こちらもそのトバッチリで、2月ごろにはインフの予防接種をしていても、軽いインフには罹っていました。毎年です。

これはインフの予防接種が効かなかったからとは言いきれません。インフのウイルスにはコロナ以上に沢山のバリエーションがあり、その年によって流行のタイプが大きく異なります。専門家がこんなタイプが来年は流行るのではないかと予想して、次年度のワクチンを作るのですが、当たる時も当たらない時もあります。占いみたいなものです。平均して、インフのワクチンは小児では60%、高齢者では30-55%に有効との報告あります。あまり有効性は高くはないですね。しかし、接種は高齢者のインフによる死亡率は明らかに下げることが知られています。決して無駄ではないわけです。従って、皆さんは今年もインフのワクチン接種もされたほうが良いと私は思います。毎年、副反応が出ていた人は別ですが。

毎年、インフのワクチン接種をされていて、今まで高熱などの副反応が出たこともなく、コロナワクチン接種後も微熱が出る程度だった方は、是非お勧めです。問題は3回目のコロナワクチンとの兼ね合いです。厚生労働省は二つのワクチン接種は2週間以上は空けてほしいという見解です。私は一緒に打っても大丈夫ではないかとすら思っていますが。

私のいる国家公務員共済組合連合会立川病院では、医師のインフ ワクチン接種が始まっていますが、一般用のインフ ワクチンは今年は品薄の様です。3回目のコロナワクチンはまだ先でしょぅから、インフ ワクチン接種の予約は早めにされていたほうが良いと思います。但しインフ ワクチンの効果はあったとしても、数か月しか続きません。従って、インフ ワクチンの接種は12月ごろ、3回目のコロナワクチンを若し打つようなら来年初めあたりが適当でないでしょうか。

これらの2種のワクチンがお互いに悪さをするかどうかはまだ不明ですし、3回目のコロナワクチン接種にはまだ日本政府は正式には踏み切っていません。毎年、インフ ワクチン接種をされていた方は、今年も早めにかかりつけ医または近所の診療所に今から申し込みをされたほうが良いと思います。