嬉しいことが続くものだ。
先回、ハヤカワ文庫で、懐かしい ”女王陛下のユリシーズ号“ が戻ってきたことを書いたが、今度はこっちを見透かしたように、ハードボイルド小説愛好家のあいだで高い評価をうけている ”深夜プラスワン (Midnight plus One)“ が復帰したのを、同じ本やの、同じ棚でみつけた。しかも新訳である。
ハードボイルド、とよばれる作品にはその出自から言ってもアメリカの作品が多いのだが、英国には国民性を反映した海洋冒険小説の伝統があり、米国ものが基本的にはクライムノベルなのに対して、英国作家のそれは海洋もののベースにある、純粋な冒険と挑戦、といった純粋さのある雰囲気を漂わせた、深みのある作品が多い。ハメットーチャンドラーーマクドナルドスクール、というのがアメリカンハードボイルドの基本方程式であって、いずれも犯罪と謎解きを主題にしているのに対し、ギャビン・ライアルやハモンド・イネスなどという人の作品の多くは主人公のストイックな行動を中心に書かれている。僕が彼の作品でもう一つ気に入っている ちがった空 (Wrong side of the sky) などもその一例だ。
”深夜プラスワン“ は、一時タレントとしても人気のあった内藤陳がほれ込んでいろんな場で吹聴し、新宿ゴールデン街には 深夜プラスワン、というバーまでできた(まだある)。グーグルで調べてみると、全国ほかにも同名のバーがあるようだし、小生はまだ読んでいないが当節人気の馳星周もこの店で内藤と接触ができ、作家になったのだそうで、この一冊の本がもたらした影響は結構なもののようである。
なぜこれほど、この作品にほれ込む人が出てきたのだろうか。クライムノベルのスリルとか、謎解きのみごとさとかいった域を超えて、主人公のありようが、ただひたすらに約束したことを実行する、その過程にはさまってくる友情との板挟み、といった過程が書かれる、その実直なまでの行動が、(俺には出来ねえなあ)と思いつつ共感を呼ぶ、そんな内容だからだろう。ストーリーはある事情でフランス国内を旅行出来ない人物をリヒテンシュタインまで車で運ぶ、というただそれだけのこと。その過程の描写がしっかり心に響くし、夕刻のパリの街角ではじまる導入部が何とも言えず素晴らしい。先回書いた 女王陛下のユリシーズ号 では、乗組員やヴァレリー艦長たちの、自然の猛威や襲い来る敵機との戦いを通じた、いわばアクションの描写が素晴らしいのだが、こちらはアクションというよりも内面の、スタティックな心情が書かれる。それでいてむしろこちらのほうがスピード感を感じさせるのが著者の力量なのかもしれない。特に終盤、親友の利き手を撃つ、それが実は真の友情になるのだ、という決着もいい。
この調子でサイズも値段も手ごろなハヤカワ文庫に、古くて新しい作品が復活し続けてほしいものだ。