エーガ愛好会 (92) 黄色いリボン  (34 小泉幾多郎)

先日ちょっとした整理をしていたら昔観た映画のプログラム(写真下左)が見付かり、裏に昭和25年11月3日と記録あり、1950年なら中学3年生だった。 横浜に住んでいながら、ロードショウ劇場である東劇まで行っている。 それだけ前評判も良く期待した筈。 表紙がジョン・ウエインでも騎兵隊でもなく、女優ジョーン・ドルーとは、と不満だったことも思い出した。 騎兵隊3部作のうち、「アパッチ砦1948」も「リオグランデの砦1950」も末封切。 先に作られた「アパッチ砦」はアメリカ占領軍が、偏執狂の騎兵隊指揮官とマッカーサーの連想を危惧したか? 公開を躊躇したともいわれている(1952公開)。

物語りは、カスター将軍の部隊が全滅した直後のスターク砦、ジョンウエインの老大尉は、あと6日で退職になるが、部隊長ジョージ・オブライエン少佐の妻ミルドレッド・ナトウイックと姪ジョーン・ドルーを東部行きの駅馬車の終点へ護送することを命じられる。 ドルーは中尉ジョン・エイガーと少尉ハリー・ケリーJrと恋仲。 斥候の軍曹ベン・ジョンスンの活躍のうちに前進するも、一行はインディアンに行手を阻まれ、砦に引き返す。 その後退役の記念に銀時計をもらった大尉が、在任期間の残りを利用して部下の許へ駆けつける。 その間大尉と大尉を慕う老軍曹ヴィクター・マクラグレンとのやり取りは一種のコメディリリーフとなって面白い。 老大尉は部下と共に、戦闘準備中のインディアン宿営地を襲い、馬の大群を追っ払い戦闘能力を奪うのだった。 最後カリフォルニアに向かう老大尉に、軍曹ベン・ジョンスンが追って来て、中佐待遇で斥候隊長に任命する政府の命令を伝達する。 フォート・スタークでは一同歓迎会を・・・が骨子の筋書きだが、この映画の本質は物語ではなく場面と雰囲気の映画なのだ。
先ずは音楽、「彼女は黄色いリボンをつけていた」はタイトルをはじめとし全編に亘り。 ある時は速く、ある時は遅いテンポで流れ、ドラマティックな効果をあげた。 又センティメンタルソング「忘れえぬ乙女」が、老大尉が銀時計を貰うシーンに聴こえてくる。 音楽の効果は絶大で、全員が、黄色いリボンの歌と共に営門を出たり入ったり伴奏が非常な効果を発揮している。 当時まだSPの時代だが、小遣いで買った初めてのレコードだった。 表、黄色いリボン、裏、淋しい草原に埋めないで。 日本人の合唱団が歌っていたが名称は忘れてしまった。 サウンドトラックというレコードなんかも、LPが出るまでない時代で、映画そのものの音楽を聴くということは出来ない時代だった。
広漠たる荒野の行軍、色彩を得たことでのモニュメントバレーの景観は初めてだったか。 部隊の出発に当たり、ドルーは黄色いリボンをつけて現れる。 これは愛情の印であり、カラーでこそ目立ち恋敵の二人とも自分のためだと思っている。 この雄大な風景の中に、色彩の華やかなインディアンの移動やバッファローの大群がとらえられた。 斥候に走るベン・ジョンスンの見事な手綱捌きや跳躍等々。 雷鳴下の行軍はは実写とのとだが、当時の技術でよくぞあの稲光ㇼが撮れたと思う。 赤く夕陽が画面を染める場面、ウエインが長い軍隊生活のうちに失った妻と子の墓に詣でる哀愁と最後赤く太陽の没する方向に、老い行く者の旅路の果てに吸い込まれて行く方向へベン・ジョンスンが追って行く。 撮影監督ウイントン・ホックはアカデミー色彩撮影賞を受理しているが、この映画こそが、「アパッチ砦」ででも述べたが、ジョン・フォードが愛した西部を描いた先輩画家フレデリック・レミントンの絵のような映画にしたいそのものだったのだろう。
ジョン・フォードは、この後何本もの西部劇を作ったが、この映画でこそ老成したゆとりのままを表しているのではないか。 雄大な風景、鮮やかな色彩の中に枯淡の域に達した名人芸を観ているのだ。 雄大なる風物詩であり、騎兵隊の行動も大きな山もなく、インディアンに追われた他部隊や開拓一家や悪徳武器商人といった殺される場面もあるが、主要人物は一人も戦死したり傷ついたりしない。 当面の敵インディアンも殺すことがない、飽く迄奇襲戦法で、最後の強襲では馬を追い払うだけで、銃を空に向けて発砲している。 雄大な風景を主人公にすることで西部に対する愛着を純粋に示したのではなかろうか。
老大尉を演じたウエイン、「アパッチ砦」の1年後、あの若々しさとは打って変わった髪もヒゲも既に白い、インディアンとの戦闘に愛する妻子の墓標にも僚友に別れ、ただ一人この住み慣れた砦を去 らねばならない孤独と悲愴をしみじみとその演技で表現していたのではなかろうか。 この老け役を堂々とやりこなしたウエインの演技は老人となった今、見直してやりたい。 「捜索者1956」「勇気ある追跡1969」の演技より上?

(保屋野)掲題、初めて観ました。ジョン・ウエインが中々登場しないのでヤキモキして観ていたら、何と、最初から出ていたあの「ヒゲ太尉」がそうだったのですね。・・・もう観る気がしなくなりました。ウエインは「あの顔」でなくては価値無し。そうそう、以前観た、ヒゲ面のグレゴリー・ペックも(何という映画でしたか~拳銃王?)最悪でしたが。

そして、駅馬車、アパッチ砦に続いてまたまた「モニュメントバレー」少ししつこかったけど、あの風景は大好きなので、ま・いいか。 ストーリーは、「つまらなくはなかったけど、傑作というほどではない」・・・西部劇ファンの皆さん、如何でしょう。

「あの娘の黄色いリボン 誰に見しょかの髪飾り」大昔、よく歌いましたね。

(小田)古い映画ですが、カラー画面がとてもクリアで綺麗だと思いました。モニュメント バレーや、妻のお墓での真っ赤な夕焼けの風景は素晴らしいですね。

ただ、所々理解できない箇所が有ります。この騎兵隊駐屯地の全体、建物、人々が分からないので、何故第7隊の200人以上の全滅が伝えられている時に、駐屯地でピクニックに行こうとする二人がいるのか? 妻はよいとしても、姪もこの場所にいて、危険な時に馬に不安定な横乗りをしながら、帰らないとならないのでしょうか?    どうして退役するもう1人の兵と他の兵隊達は喧嘩を始めたのでしょうか等です。又よく見直してみようと思います。
追いやられた原住民に対して、楽しそうな騎兵隊駐屯地の華やかなお祝いのパーティー風景も気になりました。退役近くであっても勇敢な大尉と、その周りのあたたかな思いやりは感じました。
(編集子)小田さん、酒場での喧嘩は訳があったわけではなく、退役直前の旧友軍曹(マクラグレン)が飲み介なのであと2日の間に酒の上での喧嘩でもすれば年金がもらえなくなる。自分はいなくなるのでそれをやめさせられない。それなら今から当日まで、営倉(軍隊での規律違反に対する収容所)にほうりこんでおけば大丈夫だと思った措置だ、ということを、最後の出発前に砦の指揮官(オブライエン)に打ち明けています。ただこの三部作もそうですが、フォードの西部劇にはアイルランド人気質をコミカルに描く場面がちょくちょく出てきます。この作品では、マクラグレンがその対象で、このほかにも、閲兵のシーンで、どこからか野良犬が出てくる場面があります。これは全く脚本になく、実際に犬が紛れ込んでマクラグレンが即興的に対処したということです。おっしゃるように理屈の合わない展開もありますが、小泉さんが喝破されたようにこの作品は物語ではなく場面と雰囲気の映画なのだ、という結論に100%賛成します(その意味でも、またまたいいますが、荒野の決闘、はその最高峰だと思っています)。