彩の国のウエスターンライフ  (38 林裕)

ウクレレこと、林裕君(KWV 38年卒)から、近況報告ということで最近講演したときの内容が送られてきた。一部、紹介。

1945年8月15日終戦、9月2日降伏文書調印。埼玉県には所沢、豊岡、熊谷、朝霞などの飛行場や軍事施設、軍需工場などに占領軍が進駐開始。上尾には10月10日大日本機械に衛生部隊70名が進駐。当時私は5歳でした。突然、長いアンテナを揺らせながらジープが我が家に現れたのであります。ケモーノ、ケモーノと盛んに謂う。ケモーノ? キモノ?  着物? 私の生家は町では古い呉服屋でしたので、彼らは祖国への土産にキモノが欲しかったのです。商品としてのキモノ謎はありませんので仕方なく古い嫁入り衣装などを引っ張り出してケモーノ!というわけです。曾祖母の古い嫁入り衣装はハーシーのチョコレート2,3枚との交換になりました。そして彼らは度々我が家を訪ねるようになりました。

私の家の前の中山道を通る乗り物は終戦前は荷馬車か自転車、時々自動車は木炭車が通る程度でしたが、戦後になりますと米軍のジープをはじめとして軍用トラック、横っ腹い白い星マークを付けたモスグリーンの将校用乗用車果ては戦車、ブルドーザなどが薄青い煙を出して走っていく。彼らのガソリンの匂いに舶来のアメリカ文明をまざまざと見せつけられた次第で、この時以来私には made in USA のものだけが 舶来 として刷り込まれてしまったのかもしれません。

こうして私の 舶来 へのあこがれは西部劇映画、FEN放送に向かっていきました。西部劇は物語が単純で登場するのは正義感の強いヒーローtおブロンドのヒロイン。テレビ時代になりますと移りの悪いテレビの前に釘付け。牛追いのカウボーイ達の様子を知ることができました。カウボーイという言葉は、中世アイルランドの牛番(Wrangler) に由来しアメリカフロンティアの牛飼いがその名を受け継いだのだそうですが、それが荒くれで独立心旺盛、勇気と忠誠心に富んだ辺境の男たちの代名詞となったのだそうです。カウボーイがみにつけたものは世界中どこを探してもその類を見ない独特のもので、出稼ぎ生活を送っていた彼らは最小限のものだけしか持ち歩かなかったので、購入できる範囲で最高のものだけを持つように心がけたそうです。それは帽子、ブーツ、銀のスパー(拍車)、サドルバッグ、チャップス、ホルスターなどです。

私は実際にカウボーイを見たことはありません。馬にも二度乗ったことがあるだけです。わたしのあこがれは木目張りのステーションワゴン(馬車)になり、ハーレイのオートバイ(馬)になったというわけです。

(編集子)ワンダー仲間でも知る人ぞ知る、カントリソングの愛好家。病こうじて居住地上尾にウエスターンシーンに欠かせない各種商品やアクセサリなどを提供する専門店 YOUALLCOME (上記写真)を経営し、愛馬ならぬハーレイで疾駆する毎日を過ごしている。彼の店のホームページは www.youallcome.co.jp, 楽しい雰囲気にしてくれるつくりである。ご一覧あれ。