それぞれタウンウオーク (5)  品川通り散策

我々が現在住んでいる つつじが丘 という地域は調布市の東端に位置し、三鷹市及び世田谷区と隣接している。この駅名は京王電鉄が 金子 という名だったのをこの付近に建設された住宅地の呼称に合わせて変更したもので、旧地域の金子は鎌倉時代に現在調布市西側にあたる狛江と同様、武蔵国を構成していた武家集団の本拠であったということである。現在の調布市の人口は約22万人、市内には隣接する府中のように大型企業や運動施設などはなく、住環境に富んだベッドタウン、と位置付けられている。

市のHPによればこの地域は旧石器時代から人が住んでいたとされ、市内には古墳も結構あるらしい。江戸時代には中山道沿いに布田五宿と呼ばれた集落があり、平安時代にさかのぼる古刹深大寺とともに知られた地域だったが、隣接する現在の府中市にある大國魂神社の祭礼などに使われる材木を奥多摩の山で伐採し、多摩川を下って運ぶようになり、商域の拡大に伴って川沿いに現在の六郷あたりを経由し、品川の港湾までの道が開かれた。その道が品川道、と呼ばれたということで、現在の甲州街道(国道20号)の南側をほぼ並行して走る道が品川通、と呼ばれている。調布に住むようになってすぐこの地名を知り、なんで品川?という程度の疑問はあったが、甲州街道の混雑時にはバイパスとしてよく使ってきた。その後の時代の変化や土地開発などのために事実上その東端が京王線つつじが丘駅から200メートルくらいのところで事実上終わっていて、西は調布駅の南側くらいまで意識されているがそれより先はこの名称は通用しないようだ。今までなんということなく使ってきた道だが、改めて意識をもって歩いてみた。

京王線の駅で言えばわが つつじヶ丘 のとなりの駅が柴崎、その次が国領、ということになるが、この間を野川が流れている。市内はその東を限る多摩川のほか仙川、入間川、根川、府中用水と5本の河川があるということだが、根川、府中用水は短いし暗渠化が進んでいて実際に見たことはない。歩き始めて間もなく、野川をわたる。この川は暗渠も少なく、昔通りなのだろうと思われるルートをのんびりと流れていて、わがパートナーご愛用の散歩ルートである。今日は春の一日、緑燃えて心和む雰囲気であった。

ここに架かる大町橋を渡り調布警察署の裏を通ると国領の地内である。現在の品川通にそって、江戸時代に通っていたルートが旧品川道、として示されている。このあたり、古い文化圏であっただけに、かつては地域の信仰の対象であった史跡が多い。中でも椿地蔵が有名なのは知っていたが、今度はそのわきにある樹の由来を知ることになった。そのほか、小生愛読おくあたわざる 燃えよ剣 に出てくる、多摩出身の新撰組隊士ゆかりの文物も多い。

しかし今度改めて感じたのは並行する甲州街道がこのあたりはビジネスオンリーの雰囲気なのに対し、こちらにマンションとかレストランとか開業医とかが多いことで、住宅地域であることがよくわかるし、街路樹もまとまっている。最近できたらしいイタリアンビストロは昔ながらの建物を苦労して使っていて、その上にイタリア風を演出するつもりの工夫がよくわかる。

布田駅の南を抜けてから右折北上して調布駅前の広場に出る。数年前、京王線の地下化が完成して、市の触れ込みでは緑あふれる公園地帯になるはずだが、例の通りその計画は遅々としていて、当面はどうやらワクチン接種会場になるようだ。

地蔵さんの隣にある樹だが珍しいものらしい