ベートーヴェン生誕250年  (普通部OB 船津於兔彦)

ベートーヴェンの街 ボン

もう15年も前になりますが、2000年に独逸を車で縦断しょうと言う旅の友人から持ちかけられ、都合が付かず参加しませんでしたが、その後親類がハンブルクに友人の奥様がケルンにお住まいに成って居たのを機会に、2005年にハンブルグからフランクフルトまでユーロパスを買い定期券のように列車を乗り降りして旅をし、ボンを訪ねたことを思いだしました。伯林の前の首都という事でもう少し色々な観光の物があるのかと思いきゃベートベンの生家以外これと言った目玉も無かったような気が致します。

2020年は、ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン(Lutwig van Beethoven:1770年12月16日~1827年3月26日)の生誕250年にあたる記念すべき年です。
音楽教室には必ず飾ってあるミサ・ソレムニスの原稿を手にした肖像画余りにも有名ですね。ベートーヴェンの母語であるドイツ語ではルートゥヴィヒ・ファン・ベートホーフェンと発音するようですが、日本ではベートーヴェンと言われていますね

上の写真ボンにあるベートーヴェン像の後ろに見える黄色い建物 は1845 年に除幕式が行われた旧フェルステンベ ルク伯爵邸で、現在は中央郵便局として使わ れている。右の像は3D風の像でモダンな物が広場に置いてありました。生家はごく普通の家でした。

ベートーヴェン以前の音楽家は、宮廷や有力貴族に仕え、作品は公式・私的行事における機会音楽として作曲されたものがほとんどであった。ベートーヴェンはそうしたパトロンとの主従関係(およびそのための音楽)を拒否し、大衆に向けた作品を発表する音楽家の嚆矢となった。音楽家=芸術家であると公言した彼の態度表明、また一作一作が芸術作品として意味を持つ創作であったことは、音楽の歴史において重要な分岐点であり革命的とも言える出来事であった。とプログにあります。ベートーヴェンは早くから聴力を失っていますが学者の研究によるとベートーヴェンの毛髪から通常の100倍近い鉛が検出されて注目を集めた。鉛は聴覚や精神状態に悪影響を与える重金属である。しかし、ベートーヴェンがどのような経緯で鉛に汚染されたかについても諸説あり分からない。
可成り神経質でコーヒーは必ず自ら豆を60粒数えて淹れたというとい逸話がある。

今年は日本では恒例の第九の大合唱もコロナの影響で行われずに、TV放送で聴けるかと思います。音楽史上極めて重要な作曲家の一人であり、その作品は古典派音楽の集大成かつロマン派音楽の先駆けとされ、後世の音楽家たちに多大な影響を与えた。日本では「楽聖」とも呼ばれる偉大な音楽家ですね。

この時いばら姫のお城とかも訪ねましたが、カーナビが今ほど進んでいないときでしたからもし、自分で2000㌔運転していたら行けなかったかも知れません。ユーレパスを買い、定期券の様に、先ず次に泊まるホテルのあるところまで行き、空身で観光地に戻り歩いた思いでもあります。そしてハーメルンでは地元のタクシーをチャーターしていばら姫のお城などを訪ねました。思い出深い旅でした。