エーガ愛好会 (11) 眼下の敵

ここのところ、BS3劇場 常連のわがパートナーには、どうせ、戦争映画でしょ、と一蹴されてしまったが、第二次大戦欧州戦線の史実に興味がある編集子にとっては見逃せない一作。先週の シェナンドー河 に引き続き、”悪いやつの出てこない映画” でもある。”潜水艦映画にはずれはない” というギョーカイのジンクスもあるようだが、かの レッドオクトーバーを追え は米ソ冷戦時期の話で政治的背景やらやり取りも伏線になっていた。このジャンルでかかせないドイツ映画 Uボート はナチ政権下での話で潜水艦という極限の密室での人間ドラマとして重苦しい映画だった。最近売り出し中のジェラルド・バトラー主演の ハンターキラー は今度は現在のロシアの混とん状態が背景になっているが、ハイテク筋の作品として別の意味で面白かった。ただ潜水艦内部の描写はあまりにもテクニカルで2作に比べて人間味に欠ける。しかし素人目にも、そのテクニカㇽぶりが レッドオクトーバーに比べてずいぶん違ってしまっていることは明らかだし、まして 眼下の敵 のものとは隔世の感があるのは当然だろう。

今回はとりあえずわが愛好会では人間グーグルと呼ばれ(命名者不明)事実確証には定評のある安田耕太郎の解説から始めるとしよう。

(安田)南大西洋で行動中の米駆逐艦 ヘインズ の新任艦長ロバート・ミッチャムはFeather Merchant (羽毛商人- 兵役忌避者)と乗組員に陰口をたたかれるほど戦意が無いようにみえた。ところが、終わってみれば恰好良すぎるくらいの艦長振りであった。その辺の変わりゆく艦長振りがまず見どころ大であった。

駆逐艦はソナー(asdic)から電波を発して海中の物体があれば跳ね返っくる時間によって潜水艦の存在と位置を把握できる。それに対して、潜水艦は気泡発生装置から海中に気泡を放出してソナーからの電波を気泡に当てさせ、潜水艦の位置を攪乱させる。潜水艦の位置が全く分からなくなるのは、駆逐艦の真下に潜り込みソナーからの電波を無効にするか、海底にへばりつき、ソナーの電波が海底に当たったように思わせることである。「眼下の敵」では潜水艦は海底にへばりつき、駆逐艦側は位置を見失う。ところが、海底深く潜航すると、当然水圧が高くなり、潜水艦内のバルブなどが水圧で吹っ飛んだりして海水が艦内に入ってきて、乗組員はパニック状態に陥る。また、艦内の温度が上昇して暑くて汗みどろで不快極まりない。さらに、駆逐艦には聴音機なる装置で、潜水艦艦内の微音でも把握して位置を特定することが出来る。水中では音はより鮮明に聴こえるのだ。それで、潜水艦内では乗組員は話せない、物音を出せない。足音も立てられないという極度の緊張を強いられる状態に陥る。ストレスが溜まり戦意を喪失していくのである。

この様なパニックに近い乗組員の緊張状態を和らげるクルト・ユルゲンス潜水艦艦長の行動が振るっていた。ドイツの有名な行進曲をかけ、皆に声をだして歌わせ、「俺が皆を助けるのが仕事だ、皆。俺を信じるか」とリーダー振りを発揮する。乗組員は皆勇気づけられる。当然、ローバート・ミッチャム側の駆逐艦では音楽を感知して潜水艦の位置を特定する。「敵は随分余裕があるではないか」と錯覚させられる。

この様な虚々実々の秘術を尽くした心理戦を含んだ戦闘のなかで、お互い見えない敵の両艦長の間に敵ながら相手に敬意を払うある種の同志意識みたいな気持ちが芽生え始める。ラストシーンに繋がる演出ぶりが心憎いほどだ。
ユルゲンス艦長はナチス嫌いの戦争反対派。乗組員がヒトラーの「我が闘争」を読んでいるのをみていやな顔をする。また、艦内に掲げられた「ヒトラー総統の命令に我々は従う」の独語の標識には不機嫌に布をかぶせる。一方のミッチャム艦長も、Feather Merchantと思われたほどだから、戦争反対派。

しかし、両艦長ともいざ艦と艦の一騎打ちとなると、スポーツゲームの勝負に徹底的にこだわるが如く、戦闘には勝ちに行く。戦争に勝つ、祖国の為に・・・などとは全く無関係なように。映画の最後は、両艦双方損傷を負い痛み分けの引き分けで終わる。亡くなった潜水艦の副艦長の死に敬意を表して駆逐艦上で米・独の敵味方乗組員が同席してドイツ式の水葬を行う。

戦争映画でありながら、戦闘場面の悲惨さは全くなく、戦闘シーンの描き方は技術的に観ていて面白いし、潜水艦の特徴も理解できた。死と隣り合わせの極限状態に置かれた艦長と乗組員の人間模様の描き方も、温かさに溢れていて気分がスカッとする面白い映画であった。お知らせいただいたコブキ姉様に感謝。

(保谷野)眼下」というのは少し変だと思って調べたら、やはり原作は「水中の敵」でした(編集子注: 原題 Enemy Below)。(知らない人は戦闘機と軍艦の戦いだと勘違いしそう?)ただ、「水中の敵」では迫力ないか?日本語の妙ですね。

私は2回目でしたが、駆逐艦VS潜水艦そして、魅力的な2人の艦長・・・結構楽しめました。しかし・・・(疑問) あれだけ優秀なUボート艦長が、何故、簡単なトリック(駆逐艦の偽火災)に引っかかったのか。(そのため、致命的な5分の猶予を与えてしまった。)

さて、現代ならどうでしょう。原子力潜水艦にはどんな軍艦でも勝てないのでは?深海から水中ミサイルを発射されたらお終いでしょう。いや、迎撃水中ミサイルという手はあるか。まあ、そういう時代が来ないことを祈ります。

(安田)保屋野さんのご尤もな疑問は、当時の海戦の戦闘(battle)における了解ごとに関係していると思います。

敵の艦が大きな損傷を受けた場合、その乗組員を艦から退避させて救命するのが、いわば戦闘(battle)の紳士的ルールでした。ですから駆逐艦側は大火災(致命的損傷)と見せかけて、乗組員を退避させるに必要な時間(5分間)を敵方に与えさせるように謀ったのです。ルールに従って、その間には敵の潜水艦は更なる攻撃を仕掛けてこないことを見越して、時間を稼いで反撃に出る。少し狡い頭脳作戦ではありましたが、潜水艦に損傷を与え痛み分けに持っていくことが出来ました。映画Directorはその辺も計算ずくで勝負の行方を二転三転させて、最後は引き分けのノーサイドで終わらせたました。

(編集子)安田記事にもあるが、この映画のエンディングが素晴らしい。救助にきた米艦の船尾で、ミッチャムとユルゲンスが煙草を吸いながら航跡を見つめている。ミッチャムは(想像だが)ドイツ軍潜水艦のために失った妻のことを、ユルゲンスは親友ハイ二のことを考えていたのではないか。ユルゲンスが冗談めかしてミッチャムが投げたロープに感謝し、この次はもう投げないぞ、という返答に、いや、君はまた投げるよ と暖かい視線でいうのだ。もし、配役がミッチャムでなく、例えばジェームズ・スチュアートとか、ジョン・ウエインだったら、同じセリフを言ったとしても感じは違っただろう。この映画の時のミッチャムはまだまだ若いが、後年の男の渋さを感じさせる演技を約束するような、人間味のあふれるシーンだった.