自粛また楽しからずや 

各位がこの自粛期間をどうやって過ごしているか、情報交換をお願いしてきた以上、自分がどうしているかも報告しなければならないと思い立った。トピックは三つである。

その前に健康維持だが、ここの所、午前中は小生、午後はワイフ、と時間差散歩をやっている。僕は甲州街道を北上して調布まで、時には旧甲州も歩いたり、突発的に見知らぬ小路を歩いたり、最後は駅前の シャノアール(お気に入りの サンマロ は忠実に休業中) でアイスティ350円、帰りは電車、歩行距離は大体4キロくらいか。オクガタは街道を南下、仙川方面へいく。屋上に腹筋用の器具がおいてあって、毎日、と思っているのだがこれはなかなか日課にはならない。だいぶ暖かくなったので、歩くのを就寝前、に変更するつもりである。

今回、”家に籠る” 羽目になって、趣味をいくつか持っていることをよかったとあらためて思っている。亡父は水彩画にかけては正直、玄人はだしの腕前だったうえ、美術骨董品の収集に眼がなく、謡曲も得意だった。カメラ持参で休日と言えば奈良京都の古寺を尋ね、京都には地元の人もびっくりするくらい詳しかった(僕の小学校時代から大阪に単身赴任)。大の読書家でもあって、その影響で僕にとって本を読む、ということは食事をするのと同様の日常行事になっている。

この自粛生活がはじまってからの読書時間は1日あたり2時間くらいだろうか。1冊目はマーク・ウオルバーグ主演 ”極大射程” で知られるようになったスティーヴン・ハンターの歴史ミステリもの Hunters Honor を読了、現在は第二次大戦の山場、ノルマンディ上陸作戦にあたって英国情報部が仕組んだスパイ活動の実話 Double Cross に挑戦中。浮世にあばよ、とおさらばするまでに原書で10万頁読了という目標はまだ、捨てていない(先月末で約7万2千ページ)。

二つ目はアマチュア無線、いわゆる ハム、の世界である。高校1年のときに自作の送信機で交信ができて以来(この記念すべき第一号交信は、実にKWV 37年卒 国府田君の兄上であった!)、大学へ行くまでは文字通り熱狂していたが、KWVが生活の中心になってからは全く興味を失っていた。在職中、ふとしたことから免許を取り直し、退職後はこの分野での大立者である44年卒浅野三郎君の指導のお陰でほぼ10年近く、仲間内では DX と呼ばれる国外、遠距離との交信に精を出した(ちなみにこのギョーカイでは、浅野三郎といえば大したもので、小生なんぞは彼から声をかけてもらうだけで恐縮し、にじりよってお酌をさせてもらうのが光栄、というくらいなのだ)。ところが、である。

僕が高校時代、日本ではハムと言えば、まあ100パーセント近くの人が手製の通信機と竹竿にひっかけたくらいの原始的なアンテナで通信をやっていた。いま使われているメーカー製に比べればスーパーコンピュータとガラケーぐらいの差があったが、それだけにたとえ隣町の人であろうと、自分でやった、という満足感があった。一方、国外との交信(われわれの用語ではDXという) などはほんの数えるくらいのベテランにしかできない、一高校生にすればはるか遠くの夢でありあこがれであったのだ。それが現在はメーカー製品が当たり前の世界になり、はっきり言えば少し金をかければ、俺でもまあまあのことができるのがわかってきた。そういうなかで、せめてサブローから声をかけてもらえるくらいまでやろう、という気持ちと、どうもなあ、という年寄りのひがみか偏屈かわからないが、今の在り方に少しばかり興ざめの状態に陥っている。それが自粛の間、毎日通信機の前に座っていてもいいのだが、この3ケ月くらいはスイッチをいれたこともない、というありあまる時間の使い方としては妙な具合になっている。

それはひとことでいうと、アマチュア無線の仕組みそのものがいまやほとんど100パーセント、プロのメーカーの製品と、あわせて日進月歩のIT技術との両天秤で進行する、という現実への(これが ”アマチュア” なのか?)という疑問であり、ときとして (これならインタネットのほうがいいじゃん)などと感じる事もあるからだ。1970年代かな、あまり確かではないがトリオ、いまでいうケンウッド、はじめ多くのメーカーが出てくるまで、日本にはハム機器を作るメーカーはほとんどなく、当初はその少ないメーカーが完成品とあわせて自社製の製品に使う主要部品の小売りもしていたから、当時腕に自信のある人はそれを利用して、時としては(メーカー製に劣らないものを素人が作ったぞ!)と自作品がつぎつぎと発表されたりしていた。しかし時代は移り今やハム機器も高度の性能を持った自社設計のLSIやディジタル技術が満載され、自作、ということ自体、ハムの世界からなくなったとは言わないがきわめてまれであり、仮に通信機ができあがったとしても、それが現在の厳しい電波監理局の規制に合格できるかどうかはわからない(というよりできない確率がきわめて大きい)。わからないけど、やってみる価値はないのか。

なぜ、山に登るのか。 Because it is there ,といつもの無茶苦茶精神が起きてきて、何年かかるかわからないが送信機受信機の自作、それもオールドボーイの手の届く、真空管でやろうと実はここ数年、ひそやかにやってきた実験ベースを(ひょっとすると遺品になるかもしれないが)使えるものにしたい、というのがいまの挑戦である。2枚の写真は現在進行中の作品の例で、プリント板、なんてものすらない、昭和のタマシイみたいなものだが、結果、部屋じゅうにアルミの削り屑やらはんだの飛び散りやら落ちたビスやらが散乱、セーターははんだ鏝の焼け焦げだらけ。はじめは ”毎日、掃除して!” と怒っていた我が妻オヤエも昨今はあきらめ(はじめた)たようだ。なまじっか中古とはいえ、昔だったら想像もできない測定器などをそろえてしまった結果、昔ならわかりもしなかっただろう不具合連発発見、しゃあねえ、はじめから組みなおし、と自粛の時間では足りるわけがないのが現実である。しかし、これが楽しい。いつの日か、隣町のひとでもいい、この送信機に俺の声を載せてやる、その意地だけのことだ。

第三、がこれは 自粛生活、が開いてくれた新たな局面、題してSNS(と言えば大げさで、メールとブログにアイフォンだけだが)に目覚めるの記、である。

ブログを通じてOB会メンバー、在職中世話をしてくれた小生のセクレタリー、米人と結婚して現在はいわばメリーウイドウでシリコンバレーにいる旧友、普通部高校と通じての友人、というお互い面識のない間柄で起きている愉快な話がいろいろあり、先だって本稿で紹介した、小泉先輩、47年の関谷君、横河電機時代の親友、という異世界?の友人との出会い、このセレンディピティとでもいうような現象を再現したいと思わせる楽しいパスタイムのひとつを ”エーガ愛好会” として稿を改めてご紹介したいと思っている。月いち高尾” 同様、ご興味お持ちの方の参画を期待する。

小生にとって エーガ と言えばまずこの(左の)人なのだ)