ハードボイルドから冒険小説へ

数えてもう20年は前になるが,ハヤカワから”冒険スパイ小説ハンドブック”というのが出た。なんでこんなものを持っているのかというと、推理小説からハードボイルドというものに寄り道をしてみて、その親戚筋にあたる冒険小説に興味を持ったからである。少年少女向け冒険小説というのはまず誰でも一冊や2冊は読んだだろうし、ロビンソン・クルーソーや十五少年漂流記などに興奮した記憶もあるはずだ。しかしそろそろ還暦(当時の話である、念のため)になろうかという人間が冒険小説なんてものよりもっと読むべきものがあるだろう、それでいいか。純文学に憧れながらそれを果たせなかったという引け目のような感情に何かの理論的支柱(大げさかな)が欲しかったということだった。ありていに言えばいい年をして冒険小説に入れ込むための言い訳である。

このハンドブックの初めのほうで、評論家の関口苑生氏は冒険ということを定義して、”リスクを冒し、肉体と精神のせめぎあいによる個人的な危険の連続という興奮の中で自らを成就すること”と言い、冒険小説の主要なテーマは ”成熟した男でさえさらにもう一回り成長し自己を獲得していく過程” である、と書いている。これを読んで安心した。俺にとってのドストエフスキーって言えるんじゃないか。ま、よし、という感じである。

さてこの本の中で、関口は”アメリカ人が冒険小説を書こうとするとハードボイルドになってしまい、イギリス人がハードボイルドを書こうとすると冒険小説になってしまうという説がある、とも言っている。関口の定義によるとこの両者はなにか相対峙するもののようにも思われるのだが、この本に収められている欧米の作家一覧表にレン・デントンという作家があり、そのサブタイトルが ”ハメット、チャンドラーの衣鉢をつぐ英国製ハードボイルド” となっている。僕も1,2冊デントンは読んだ記憶があるのだが、しっくりせずに該当部分を開いてみたら、”作風についていうと(注:ル・カレに比べてという文脈である)…..アメリカのハードボイルド派の影響が濃いデントンは、まったく新しい時代の語法で…..われわれ同時代に生きるものの内的リズムにぴったりあった世界を創造した”とあり、執筆者は稲葉明雄氏であった。稲葉はチャンドラーの短編など、数多くのHB小説の翻訳家として名高い人物であるから、この発言は文体に注目したプロの発言と解すべきだろう。またこのハンドブックに網羅されている欧米の小説群の中には、誰もがHBと考えるであろう作品は一点も選ばれていない。やはり、関口のいう冒険小説の定義と一致する部分が多いとはいえ、専門の人たちから言っても、この間にはやはり一線を画すものがあるのだろう。

ま、理屈はともかく、ハードボイルドミステリの大枠をなぞった僕に次の分野として”冒険小説”への開眼というのはしごく当たり前の展開であった。そのきっかけはジャック・ヒギンズの ”鷲は舞い降りた”である。このあと、ハヤカワ文庫を探し回り(中古品も多くあり、古いものもたやすく入手できた)、結果として20冊を超えるヒギンズものを読んでしまった。またこの”鷲”に刺激されて第二次大戦秘話的なものに猛烈な興味がわき、アリステア・マクリーン(”女王陛下のユリシーズ号” ”ナヴアロンの要塞”),ケン・フォレット(”針の眼” ”レベッカへの鍵” ほか)や、これらの本のあとがきなどを参考に、結果的にはみな英国人の作品になってしまったが、第二次大戦ものばかりを読んでいた。またこの乱読の結果として、まともな歴史書も読みたいと思い、英語の勉強もかねてかなりの大著に挑戦した。ノルマンディ上陸作戦については Anthony Beevor  の”D-Day”, それに続いた北アフリカ作戦は Rick Atkinson “An Army at Dawn”  と同じ著者による ”The day of battle”, John Randall  “The last gentleman of the SAS” の4冊、日本の敗戦については John Dower の Embracing Defiat”, David Pilling “Bending Adversity” の2冊であり、僕の第二次大戦についての理解はこの”冒険”によって大分深まった気がする。

話がずれた。一番読み込んだヒギンズ について多少ふれておきたい。彼は”鷲”で大成功を収めるまでの苦労 時代にはほかに3つのペンネームでいろいろな小説を書いているが、大別すると第二次大戦秘話もの、アイルランド独立動乱もの、昨今多いイスラムテロもの、そのほかのものに分けられる。このうち、最近5,6年に書かれたもの、特に”大統領の娘”以降のものはただ単に金儲けとしか思えない駄作が多いのは残念で、特に売れ筋の作家が良くやる手法だが助手的な人物を使い連名で出しているものなどはタイトルばかり大げさなだけで読むに値しない。金儲けに目が行ったら万事終わりかな、と思ってしまうものばかりだ。

しかしヒギンズの第二次大戦秘話ものには傑作が多い。中でも気に入っているのは”狐たちの夜”、”脱出航路” で前者はストーリーが面白く後者は敵味方を超えた人間味のある物語であることが気に入っている。そのほかの中から選ぶと、およそ専門家の評判にはならないのだが、”廃墟の東”と 初期の作品であるが”サンタマリア特命隊”である。両作とも主人公の孤独が心に染み入るように感じられ、数あるヒギンズの作品の中で僕流の”ハードボイルド”と言える傑作だと思っている。

ヒギンズの延長としてはデズモンド・バグリー、ハモンド・イネスなど、背景やストーリーはいろいろだが、これぞ”冒険小説”、という気にさせる作品をいろいろ読んだ。時間的な感覚がなくなっているのだが、僕の読んだ順番でいうとこの次あたりに ”アメリカ人の書いた冒険小説” が現われ始めた。次回はそのことについて書く。

 

 

 

 

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