”吉田茂” と ”プライムニュース”

チャネル560で再放送された吉田茂についてのセミドキュメンタリを観た(正式なタイトルは覚えていない)。

ドラマ自体はよくできていたという印象だが、同時に、終戦時の混乱にあって吉田を助けた白洲次郎のことを聞いてはいたがよくわからなかったのが、このドラマであらためて理解することができた。昭和21年に満州から復員した僕の父親はすぐ勤務先のカネボウに戻り、混乱期の立て直しに苦労したひとりとして政府との交渉にもたずさわっていたようで、ときどき母に白洲のことをこぼしているのを子供心に?と思いながら聞いた記憶がある。そのおぼろげな感じからするともっと凄みのある、ある意味では暗部のあるような人物に思えていたので、谷原章介ではすこし清潔すぎ、軽すぎる感がして多少物足りなかった気はする。

田中圭が演じた長男健一との確執についてはよく知らなかったが、拾い読みしたことのある彼の文章などを考えてみると、役の演じ方がその割に清潔すぎて物足りない感じがした。父親への反抗はもっとどす黒いものだったのではないか、と感じたからである。またサブストーリーに出てきた街娼と若い役人のエピソードはやらずもがなの感じがないわけではない。おそらくこの挿話はロマンスとしてではなく、日本の一般女性をセックスハラスメントから防ぐため、という今では考えられない ”お上” の発想ではっきりいえば公娼にさせられた女性たちがいた、ということをいいたかったから作られたのだろう。その意味では、昨今議論の絶えない例の慰安婦問題はもっと至近な問題なのかもしれないではないか。

幾つかの重要な転機についての描写はよく理解でき、戦争直後から講和条約に至るまでの過程でなるほど、と再認識することも多かった。吉田が自分は外交屋で政治屋ではない、と吠える場面があるが、たしかにあの場面で変に理想ばかりを追求する二流政治家が排除されたのは日本にとって非常に重要なことだったように思える。いやだろうが、くやしかろうが、今、現実に日本を支えられるのはアメリカしかいねえんだ、それがわからんのか、という判断は正しかったということを今のぼくらなら理解できる。

2日後に、今度はプライムニュースで今の韓国事情についての討論を観た。政治家のことはよくわからないが、出席していた小野寺氏は僕が好感を持っている数少ない一人で、冷静で穏やかな議論にはいつでもうなずくことが多い。しかし今回は、同席していたもと韓国駐日公使、洪氏の ”いま、韓国の人たちの考え方と文大統領の政治手法は全く違っている。その意味で、日本の人は韓国を知らない。日本の人が相手にすべきなのは韓国の人で文ではない” という主張には非常に強い説得力があった。小野寺氏やほかの番組でではあったが、元防衛省の森本氏も同じことを言われていた。とにかく、いまわれわれは必要以上に感情に走ることを戒め、法治国家としてのありようをおしすすめるべきだ、というその結論を併せて考えるに、ぼくらにいま必要なのは、混乱期に吉田が示した ”政治屋でなくて外交屋” の現実感覚なのだろうという気がする。