月いちメンバー 家に籠る (20)  (39 相川正汎)

高尾山のケーブルカー休止で週末も閑散、弘前城の桜はGW明けまで封鎖とのこと。お堀一杯の花筏も見られず残念ですね。GWは和製英語と知りました。

東日本大震災は100年に一度と言われました。スペイン風邪は約100年前の1918年(日本で40万人死亡)。80年近く生きていると100年に1遍のことを経験してもおかしくない、ということですね。

私の近況:散歩コースは、神田川沿い、永福町から水源の井の頭公園まで約5キロ、普通では1時間強。腰痛を抱え休憩回数が増加。神田川は鯉が泳ぎ、サギやハトが降り立つ。今はハナミズキ、ツツジがきれいです。控え目に吉祥寺で食事をしています。

家の中の片付けも進みました。大学時代の手帳がでてきて、4年間の山行記録を整理しました。友人がカラオケで歌っていた、竹内まりあ「人生の扉」You Tubeで聴いています。お薦めかも。

月いちメンバー 家に籠る (19)  (41 久米行子)

退屈な日々ですが私は毎朝、6時ごろから近くの遊歩道をウォーキングしております。

隣接している港北ニュータウンは森林地帯を大開発してできあがった街です。計画的に公園を造成して遊歩道でつないでいます。それぞれに「ささぶねの道」「夕映えの道」「大原みねみち」などしゃれた名前がついています。遊歩道は車と全く遮断されている緑道です。春は桜、秋は紅葉それぞれに咲く花などが楽しめます。カルガモやらおなが、セキレイなど運の良い時はカワセミを見る事もあります。私は勝手にSコース70分。Mコース90分Lコース120分として毎朝Mコースを孫娘と時には娘、時には婿殿、時には主人と一緒に歩いております。今日は主人と一緒でした。

添付した写真をご覧ください。一昨日は遊歩道に隣接しているお寺の藤が満開だろうと寄り道しました。白いつつじと藤の花が見事でした。Giさんが女は料理をしないのかと仰っていましたが女にとって料理は日常なのです。

  (はい、わが女房殿からもそう言って怒られました)

その上、こんな日々は食べる事が一番の楽しみです。従って料理には精を出している毎日です。先日は桜葉の無い「桜餅」を20個も作りましたが2階の子供たちがあっという間に食べ尽くしました。ところで皆様、アルコールの摂取、多めになっていませんか。私達も今日は昼時に思わずワインでも飲みたいねとなりましたがぐっと踏みとどまりました。

好評さくら餅!

一日も早く皆様とわいわいと飲める日が戻ってくることを願っております。

 

月いちメンバー 家に籠る (18)   (39 岡沢晴彦)

私は 横浜市の 追分市民の森の入り口のところに住まいしてます。このところ天気の良い日にはほぼ毎日散歩 時には家内と二人で。 市民の森は 里山 水の湧く谷戸 スギ林の中の道等菜の花 ひまわり コスモスと一年中花が咲いてます。3月末には 桃 桜 菜の花が同時に咲き現在は新緑の真っ最中 6月初旬には 蛍が飛び交います。

4.5年前はでは 雉もよく見たのですが現在は全く見られなくなりました。最近見たのは タヌキ シラサギ 台湾リスなど鳥も 山雀(ヤマガラ)四十雀 鶯 散歩仲間には 山雀を餌付けして 手乗りで食べさせている人もいます。

野草は スミレは終わり今は紫ケマン草 筆リンドウや蛍かずら キランソウ、タンポポは 人の歩く歩道沿いはほぼ西洋タンポポですが 里山の斜面には関東タンポポの大群落が健在です。 我が家の近くには 追分 矢指 上川井 瀬谷の四市民の森隣り合わせであり すべて歩くと2時間以上にもなり 散歩道には事欠きません。

月いちメンバー 家に籠る (17) (40 武鑓宰)

堀川さんの料理はこれまで海外スキーなどの堀川プランでご馳走になっており、その料理センスの良さにはいつも感心しております。小生も多少自分流にやりますが、得意なのは牛すね肉のカレーと翌日昼のカレーうどん、ビーフシチュー、スパゲッティナポリタン、炒飯、高野豆腐の卵あんかけ(堀川さんから教わったもの)などで、いずれもどこで食べるより美味く自分の好みの味と自負しています
小生、最近気に入っているのが、”MAXIMUM”という調味料で肉、魚、野菜の焼物、炒め物ほかどんな料理にも合い重宝しています。これを使ったビーフストロガノフは簡単にできて絶品です。
さて、先ほどまでNHKBSでジョン・ウエインの「アラモ」をやっていたので観ました。多分、ジャイさん、小泉さんあたりもご覧になっていたのではと思いますが。以前、一、二度は観たと思うのですが殆ど覚えてなく割に新鮮に観ました。主題歌も懐かしく聴き、確かブラザースフォーが歌っていたと記憶があります。同じ時間に民放で007もやっていたのでこれは録画しました。007はやはりS.コネリーが一番です。
先日はC.イーストウッドの「ダーティハリー」をやっていたので2,3,4作を見ました。3作目は1976年の作品とかで、調度その頃サンフランシスコにいたので会社の事務所があったビルや覚えのあるストリート風景、車等出てきて懐かしく、映画もB級とは云え何度見ても飽きません。
家で時間潰すには映画やPCにヘッドホンつないでU-Tubeの音楽鑑賞が最適で楽しんでいますが(昨夜はE.クラプトンの今年2月のロンドンでのライブコンサート、こんな新しいのもあります。)、身体が鈍るのでドテ先輩にならって近所の神社の石段登りを二日続けてやったら、ふくらはぎの筋肉を傷めたらしく、今日は休んでいます。
(編集子注)ありがとう!なんだか月いちのメンバーはみんな、料理が大好きなんだ! とつくづく感心します。それにしても女性の方がた。料理はもうしないの?

月いちメンバー 家に籠る (16)  (44 安田耕太郎)

退職後の「毎日が日曜日」がギアが一段上がって「毎日が冬眠状態」生活に様変わりして、今日はどうやって過ごそうかと思いつつ、ともかく朝目覚めてからその日暮らしの毎日。日々似たり寄ったりの蓑虫生活です。
暇に任せて読書をしたり、ネット徘徊でコロナ情報の渦に巻き込まれたり、天気が良ければ近くの多摩川河原を散歩したりですが、ひとつ幸運なことにKWV先輩姉位のご指南を頂く機会に恵まれ映画鑑賞にはまってしまいました。映画館に出向くわけにはいかず、専らAmazon Prime配信, BS放送、時にはDVD中古購入に頼っています。主たる供給源はAmazonPrime配信でほとんどがロハ、有償の場合でも一本200円ほどと経済的。コロナ禍問題が深刻なって以降週に最低5本、今年になって50本近くは観ました。まだ観続けている現在進行形です。
まずは30年代~50年代のモノクロ洋画を手始めに手当たり次第といった感じ。ウイリアム・ワイラー、ビル・ワイルダー、ヒッチコック、ジョージ・キューカー、ジョン・フォードンなど名匠監督作品が目白押しで、流石ハリウッド映画全盛時代の秀作ぞろい。21世紀映画に到達するにはしばらくかかりそうです。
その中から印象深い映画を挙げると、1952年制作の「人生模様」はアメリカのアンソロジー映画。オー・ヘンリーの5つの短編をオムニバスでそれぞれ5人が監督した。ペイソツとエスプリ溢れるオー・ヘンリーのストーリーにマリリン・モンロー、チャールズ・ロートン(映画「情婦」の弁護士役、「狩人の夜」の監督)、リチャード・ウイドマークなど名優が演じていて面白い映画でした。最も驚いたのはジョン・スタインベックが各短編毎に解説をしていたことで初めて彼の動画を観ました。テレビ画面に映った彼の姿が左です。
スタインベックついでにジョン・フォード監督、ヘンリー・フォンダ主演で1940年制作の映画「怒りの葡萄」も観ました。面白さは本には敵いませんがなかなかの映画です。主役一家がルート66を辿りまさに新天地カリフォルニアを目指すシーンなどは昔のヒッチハイクの旅を思い出させてくれます。
監督を辿り、俳優を追っかけ、ジャンル毎に映画を観る楽しみが生まれてきます。次々に拡がっていく楽しみがあります。イギリス映画にしろアメリカ映画にしても第二次世界大戦前夜、戦争中、戦後すぐにしても、よくもまあそんな大変な時代にこれだけの名作を造った余裕と文化的底力には恐れ入ります。
1957年制作のビリー・ワイルダー監督の名画「情婦」をまだ中学一年生の時、題名の艶めかしさに惑わされて地元九州の映画館に観に行きました。アガサ・クリスティーの法廷ミステリー作品で全く内容が理解できなかった。マリーネ・デイトリッヒが随分歳を重ねたおばさんに見えた記憶は残っていた後年成人してまた観てようやく筋が理解できたいわくつきの映画です。
当時の映画黄金時代には超ド級ではなくても、小結・関脇クラスの存在感で光っていた打撃王、ミニヴァー夫人、疑惑の影、我等が生涯の最良の年、に出演したテレサ・ライトなどもいて本当に豊潤な俳優陣でした。
映画を観るのは時間がかかり神経と眼の集中力も必要として結構疲れますが、それを十二分に打ち消す楽しさと面白さを体験できています。皮肉にもコロナ禍に
よる蟄居生活の贈り物となっています。今後も期待が膨らみます。

エーガの話 フォロー   (36 後藤三郎)

少し不謹慎かもしれませんがこんな寂しい嫌な日々に少し明るい話題をと思い私の印象に残る映画女優・外国編を書き出してみました。好きだった人の順序は敢て書きませんが1)望郷のミレーユ・バラン2)カサブランカのイングリッド・バークマン3)哀愁のビビアン・リー4)地上より永遠にのデボラ・カー5)嘆きのテレーズのシモーヌ・シニョレイ6)陽の当たる場所のエリザベス・テーラー7)第三の男のアリダ・ヴァリ8)ナポリの饗宴のソフィア・ローレン9)ナイアガラのマリリン・モンロー10)わが心に歌えばのスーザン・ヘイワードが思い出されます。高校時代に年間300本は観ておりました。同年代の方々の好みは如何でしょうか。

(編集子注:)サブのデボラ・カー好きは有名である。同期の遠藤、翠川の誕生日が彼女と同じというだけで(なぜかは誰にも想像できないのだが)3人でお祝いをしたという話がある。

エーガの話で思い出すね (普通部時代の悪友から)

(菅原勲)

三密じゃなけりゃ、映画の話しは盛り上がらない。にっくきは、習近平と中国共産党です。地上から抹殺し、蔡英文総統がシナ全土を統治すれば、世の中、見違えるほど良くなります。

話しが脱線しました。エイガの話しですが、最近、「我が谷は緑なりき」を見たいなーと思っています。M.オハラが綺麗だった。J.フォードは好きだった。などなど。繰り返しになりますが、「武漢ウィルス」は習近平が垂れ流したが故に世界中に蔓延しました。全責任をとって全額を負担し、それ故、地上から完全に消えるのもありかな。今は、常にここに戻っちゃう心境です。

みんな映画少年だった!では、また。

(鈴木康三郎)

映画は好きだったので良く見に行ったが。普通部時代誰と行ったかはあまり覚えてないが銀座方面だと日比谷映画館・東劇、渋谷はテアトル渋谷等で西部劇やミュージカルが好きだった。チャップリンの「ライムライト」をもう一度見たいと思っているが上演されないね。ジョン・ウエーンの「静かなる男」ももう一度見たい。

コロナウイルス終焉させられれば世界は変わるね。でも新世界は見えないかもね。

(船津於菟彦)

普通部時代に日比谷映画に「探偵物語」を先生引率で観に行きます。問題になりましたね。当時何が問題かも分からなかった。「姦通」映画だったんですね。そんなことより全体として良い映画だったと思いましたがね。米国映画も良いですが、NHKTV再放送の「雨上がる」とか「阿弥陀堂だより」も中々しんみりと感じるところある映画ですね。
また、「硫黄島からの手紙」と「父達の星条旗」はイーストウッド監督の両方からの硫黄島。中々これも感動的。
「ぽつんと一軒」が評判の様に何も無いのに住んでいる方がいかにも幸せそう。コロナ旋風蔓延が去った後は、「生き方が改革」されるかも。ベスト蔓延の後ルネッサンスが。

”月一高尾メンバー、家に籠る” (1) (34 小泉幾多郎 - 36 中司恭)

エーガファンはこうして自粛を楽しんでいるのであります。各位、ご投稿、追加、反論、何でもご投稿いただき、山が開くまで、”天狗” の談論風発をこの紙上で展開しませんか。

34小泉―36中司 往復書簡(?)最近版

4・1 小泉発 

3月17, 23, 31日BS3で、ジョンフォードの3作品が放映されたことから、久しぶりに堪能しました。「三人の名付親」同原作で既に4作品が映画化されていて、これが5作目になる題材とのこと。古き西部の空に輝ける星、ハリー・ケリーの思い出に献ぐ という献辞で始まり、ハリー・ケリーとはフォードは26本も
の映画を演出したという。フォードが、その息子ハリー・ケリー・ジュニアを最初に登場させた映画でもあり、その後8本に出演している。

4・2 中司発

ハリー・ケリー・ジュニアは ”アパッチ砦“ がデビュー作だったように思うんですが、”捜索者” にしても ”三人の名付け親” も同じような役回りばかりでしたね。”三人”は今回は見逃しましたが、あの中ではワード・ボンドの人情たっぷりの演技が印象に残っています。
親子のことでもう一つ思い出したのは、”シェーン” の子役だったブランドン・デ・ワイルドが ”危険な道” にたしかジョン・ウエインの息子(離婚していたという設定だったように思うのですが、自信なし)の役ででていたことです。上原謙の息子が加山雄三、というような感じですかね。

4・4 小泉発

 ハリー・ケリー・ジュニアはアパッチ砦には出ていなかったと思います。フォード作品デビューは、三人の名付親の筈です。 ブランドン・デ・ワイルドの危険な道は戦争映画だったと思いますが、未見で分かりません。ジェームス・ディーン同様に、30歳ぐらいで自動車事故で早死にしてしまった記憶があります。

4・10 中司発

今日13時、BS3チャネルで 赤い河 をやっていました。ほかにすることも無し、オヤエが初めてだからつきあえ、というので、たぶん3回目になると思いますが、結局全巻、みてしまいました。きのうも同じような状況で ダーティハリー2 のこれまたたぶん3回目、でした。

仰る通り、この映画(注:三人の名付け親)がハリー・ケリー・ジュニアのデビュー作でした。(赤い河には)ハリー・ケリー本人もいい役で短時間でしたが出ていたのを確認しました。背景に流れる音楽が 年取ったジョン・ウエインの リオ・ブラボー でディーン・マーティンが歌っていた(そしていつの間にか小生の持ち歌?になった) MY RIFLE,MY PONY AND ME の原曲でしたね。このことは2018年9月3日のブログに少し書きましたので暇つぶしにご高覧下さい。
ま、こういうことでもないと自粛もつかれますね。バーボンが夕べでなくなったので、先ほど仕入れてきました。これじゃからだにいいわけないよーわかっちゃいるけどやめられね、ですね。

 

4・11 小泉発 

赤い河、懐かしの名画ですが、何回も観たし録画もしてあり、いつでも見られると思い、同時刻TV東京の 007シリーズの方を観てしまいました。どうやら007を全作品放映するらしく、先日まででチモシーダルトンまで終わり、ピアースプロスナンまできたところです。ピアース・ブロスナンは、優男ぶりが割合好きな方なので、その4作だけ見ようかなと思った次第です。赤い河は勿論かい西部劇の中でも大叙事詩的開拓劇の 模範ともいうべき作品ですから大好きな方です。初めて初老に扮したジョンウエインが、苦い過去の思い出からか、よじれた性格の持ち主として描かれ、捜索者と似たようなイメージを思いました。言われてみれば、主題歌が、リオブラボーのライフルと愛馬の原曲だったのですね。黄色いリボンに出ていた女優ジョーン・ドルーが、モンゴメリークリフトの恋人役で出ていたことを思い出したら、急にジョンウエインの恋人だったゲイルラッセルの清純だが、ひきつけてやまない眼付きとかをまた思い出してしまいました。ついでに、去る3月10日、ロックハドソンとカークダグラスのガンファイターに出ていたドロシーマローンが、またゲイルラッセルをより色っぽくした女優で、西部劇に良く出演していたことを思い出してしまいました。先日のモーリン・オハラのメールから、過去の女優のことが気になりました。インターネットにプロマイドがあったので添付しましたが、こういうことは著作権等に触れるのでしょうか?ブログに出さなければ問題ないと思いますが?

中司注:著作権?急に怖くなったので添付の写真2枚は今回は掲載しない。もし、栄えある義塾法学部卒の方がおられれば正解をお教えいただきたい。なんせドロシー・マローンって、いいんである。

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4・14  小泉発

先日若かりし頃、惚れてしまった女優のことに触れましたが、何となく書き足らない気がしてしまったので、もう少し書かせて下さい
ゲイル・ラッセル(1924~1961)清純ながら、ブルネットにブルーアイズで、明眸皓歯の美女。拳銃無宿(1947)で共演したジョン・ウエインが親
密の仲になって離婚騒動が起きたと言われるほど。その後も、怒涛の果て(1948)という海洋劇でで再び共演、フィナーレが、事故で海底に沈むウエインがラッセルを載せて天空へ旅立つイメージが被さなってエンディングとなる。ラッセルは演技面の悩みからか、アルコール中毒で、37歳の若さで亡くなる。その後、癌で余命いくばくもないウエインが、この怒涛の果てのビデオを何度も観て、この怒涛の果てこそがロマンティークな映画だったと語り、映画のように天国で、ラッセルと一緒になる積りだったのではないか?という噓のような本当のような話もあるのだった。

ドロシー・マローン(1924~2018)ラッセルが若くして亡くなったのに対し、マローンは93歳と天寿を全うした。美しいブロンドで上目遣いの瞳が切な
き存在感を演じていた。魅惑された映画は、ウイリアム・フォークナー原作標識灯を映画化した翼に賭ける命(1957)。ロック・ハドソン(新聞記者)ロバート・スタック(パイロット)ジャック・カーソン(整備士)ロバート・ミドルトン(横恋慕)の男性4人を相手に、報われない愛に疲労困憊したような女を、独特のけだるい視線で見事に演じていたのだった。その後、10本程度の西部劇等でお目にかかることが出来た。

両者とも主要作品は11作品と同じだが、マローンは、1964~1969 TVドラマ ペイトンプレイス物語に主要母親役で出演していた。
中司返信
確かに何かでみた記憶はありますし、名前も知っていますが ゲイル・ラッセル のことはあまり覚えていません。

ドロシー・マローンの方は何本もみていますし、ペイトンプレースもときどきですが見ていたので、あの独特の目配りが好きでしたね。
自粛中、放映されるのはどんなものですかね。ほかにエネルギーの使い場所がありません。明日は雨のようだし。

 

”とりこにい”抄 (7) 八甲田 – 忘れられない夏

KWVでわれわれの1学年上、35年卒の方々が卒業60周年記念の同期会(野郎会)をt特に ”拡大野郎会” のネーミングで八甲田夏合宿の思い出をテーマに、ゆかりある先輩後輩を糾合する、という企画をたてられた。大いに楽しみにしていたのだが、憎きウイルスのため延期されてしまった。当初の予定は4月9日であったので、その日に僕の八甲田合宿での想いを書かせていただくことにした。

合宿、解散の朝。

ワンダーフォーゲル部生活3年の夏、現役部員として一番脂の乗りきる時期。僕らの場合、このときに八甲田合宿という歴史的な企画に参画できたのは心底、幸運だった。過去、ベースキャンプ方式で運営されてきた夏合宿を、分散集中方式に切り替え、実行に移された荒木総務以下、35年卒の先輩の皆さん (現在の ”野郎会” メンバー)の決断とそれを実現させたたぐいまれな結束力にただ感謝するばかりだ。この方式は以後、KWVのお家芸として定着し、僕らが主宰した木曾開田高原合宿はまさに ”八甲田の再来” を目指したものだった。

開田高原のベースキャンプまで、わざわざ休暇を取って参加してくれた荒木さんに、”ジャイ、うまい所見つけたなあ” と褒められて本当に嬉しかったことを思い出す。”ショッペイさん” のあまりにも早かった旅立ちがあらめて悔しい。

その時の ”ふみあと” 特集号に、編集を担当された吉沢さんに命ぜられて巻頭のページに掲載していただいた詩まがいのものがある。2018年8月、本稿で ”山のあなたに” として書いたのだが,山戸先輩に ”カール・ブッセみたいなもの” とからかわれたのがこれである。同期の文集を編纂した時、横山美佐子に強く勧められて再び、巻頭詩とさせてもらった。やはり同期一同、”八甲田” の印象は生涯わすれられないもののようだ。

 

八甲田の夏

 

あの時 教わった星……..

ヴエガだっけ ?

どこにあるのか もう忘れちまった。

いっぱいあるからなあ 星なんて。

星だらけだっけな……..

八甲田の夜は。

黒かったっけな……

八甲田の夜は。

もう一本 薪を持って来いよ。

もっと 火の粉を 飛ばすんだ。

何故?

さあ…….

あの夜の 火も こんな 色だったからな。

おかしいかい ?

でも 想い出って いいもんさ。

そっと しまっとくんだな、おたがいに。

 

(36 高橋)
なつかしい写真。私どこにいるかお分かりになりますか?
コロコロ太っていて健康優良児だったわねェ。

つい先頃まで笑い興じもした、大騒ぎもした、遅くまで酒を飲み、夜更かしもした、気のおけぬ連中と。
でも、もうみんな消えてしまったのだ、あの昔の懐かしい顔は。
いとしい人も去ってしまつた。       チャールズ・ラム

風が立つ、生きようとつとめなければならない。  ポール・ヴァレリー

(38 町井)八甲田の夏合宿は私にとっても一番忘れがたい合宿です。テンテンさんリーダーで、東北の東海岸を尻屋崎まで歩きました。途中、小舟に乗って、船上でビーバーさんから「海女の子供」を歌唱指導して頂きました。体力不足でしたので、重いキスリングで肩から腕がつり、一緒の班にいらしたドテさん(医学部5年生?)にお世話になりました。そして、何と言ってもインディアンごっこです。牧場のような広い野原の両端に陣地を作りました。あまりに広いので、敵の顔は良く見えませんでした。間にある灌木に隠れながら、敵の陣地に忍びこもうとしました。まだ一年生でしたから、大人のような大学生がインディアンごっこを大規模に、ダイナミックにしていることに驚きました。そして、このクラブは楽しいクラブに違いないと思い、続けることになり、今も楽しんでいます。この夏で57年間です。