エーガ愛好会 (132)  RAILWAYS   (普通部OB 船津於菟彦)

ドラマティックな展開などとは無縁な小津安二郎監督作品は蒲鉾をアテに燗酒を嗜むような風情があって結構好きなのですが、ダイナミックな映画作りをする黒澤明監督よりもスタティックな小津安二郎監督の方が欧州では(特に玄人筋)評価が高いようです。そうなんです。
この映画は正にそれです。あらすじより淡淡とした「電車」と島根の「稲穂が揺れる風景」と人の心を描いているだけ。あらすじはやや筋の通らない場面が多々あるがどうでも良いのかも知れない。
中井貴一が50歳を目前にして、子供の頃からの夢だった電車の運転士を目指し、家族との絆を取り戻していく男に扮した感動ドラマ。島根東部を走る電車とその田園風景が心を和ませる。子供の頃って電車の運転手に成るのが夢の人が多良いですよね。今テレビ番組でも「吞み鐵」「撮り鐵」モノが「猫番組」と同様に人気がありますよね。
本作は鉄道好きである阿部秀司による製作総指揮の元、細部まで鉄道の描写にこだわって製作された。3年近くを掛けて、部外者が立ち入れない運転台などで撮影する許可を監督官庁から取り付け、一畑電車・一畑電気鉄道(一畑グループの持株会社)・京王電鉄(一畑電車の運転士養成の委託先)の全面的な協力や、島根県、松江市、出雲市など沿線の自治体・団体の支援を得てロケが実施されている。
中井貴一と並ぶもうひとつの「主役」であるデハニ52・53は、お座敷列車に改装された状態で2009年3月29日をもって営業運転を終了していたが、本作の撮影に当たってロングシートへの改装が行われている(お座敷の構造物の撤去までを一畑電車が手がけ、ロングシートの再設置は映画の美術スタッフによる。吊り手は沿線の保育園に保存されているデハ3・6のものを借用)その上で2009年8月に撮影のための本線走行が実施されているのだが、中井ら俳優たちは甲種電気車運転免許(電車運転士の免許)を取得していないため実際に運転するわけにはいかない。そこで美術スタッフが作ったマスコンハンドルやブレーキハンドルを俳優が握った上で巧妙にカットをつなぎ合わせて運転シーンを作っている。しかし、同じ鉄道モノでは「鉄道員(ぽっぽや)」が高倉健の演技と共に優れている。この映画は鉄道モノと言うより「風景・人情モノ」ではないかと思いますが、まぁ一畑電車には凝っていますし、これが主役とも言えそうな映画です。何が良いのかというと人生、仕事一途で良いのか。やりたいことをやり遂げるのが人生だと大声では言わないがそんな人生もアルよ。といった感じの映画が心地よい。
プロ野球選手に成るべく若手が一緒に電車の運転手として新入社員として入社するが、彼は肩を壊して泣く泣くこの仕事に就いている。しかし、その彼も電車の運転手というモノが多くの人命とか人のためになるのは一刻一時も許せないと言う電車の運転手に憧れてくる。癌で一人残り闘病していた母も亡くなり、島根の実家に一人残り、やりたかった電車の運転手に人生を投げ込む。
この「49歳で電車の運転士になった男」も妻は離婚状態で東京で一人ハーブの販売をして居る。最後に夫の運転する電車に乗り「これで良いのだぁ」で終わるのは何となく納得いかないが!人生もそんなモノなのかも知れませんね。兎に角、観て居て電車と風景が心を和ませてくれます。こんな映画も偶には良いかも。

エーガ愛好会 (131)   帰らざる河とマリリン・モンロー  

 

(中司)本日のBS劇場、帰らざる河。セーブゲキ、と決め打ちせずにモンローが酒場で歌う River of no return  を聞く映画、とお考え下さい。この歌はほかにも歌い手がいますが、モンローの歌い出しがかもす何とも言えない雰囲気はありません。此処だけでも見る(聞く?)価値はありますぜ。

(小泉)この映画の有楽座のプログラムが出てきた。鑑賞時の記録がないが発行昭和29(1954)年8月とあるから、その年に観たのは間違いない。昭和30年大学入学だから、浪人時代でとても映画なんか観ている余裕はなかった筈なのに、マリリン・モンローの魅力の方が勝っていたようだ。それも横浜からロードショウ劇場の有楽座まで。そのプログラムに、当時有名な映画評論家・翻訳家の清水俊二氏が「マリリン・モンロウの素顔」として4頁に亘り書いているが、要は、モンローはエロティシズムだけを売り物にしていない内面的な温かい情感に期待していることが述べられていた。

1954年1月ジョー・ディマジオと結婚、2月に新婚旅行で来日した時の素顔のモンローの印象が強かったようだ。この映画でも、酒場の歌手ケイ・ウエストンとしての色っぽい肢体を見せつけるものの、イカサマ・カード遣いのロリー・カルホーン扮するハリー・ウエストンに対し「一人前の女として認めたのはハリーだけ」と純情さも見せるように、ひたすら可愛いい女を演じている。

先ずは主題歌River of No Returnが素晴らしい。ケン・ダービー作詞ライオネル・ニューマン作曲。タイトル・バックでテネシー・アーニー・フォードが歌い、ラストに近い酒場のシーンでモンローが歌いカントリー・バラード調のセンチメンタルなメロディは美しく響く。モンローはこのほか、酒場でOne SilverDollarとI’m GonnaFile My Claim 宅地の庭と川畔でDown in the Meddowとの三曲を魅力的に歌う。

カナディアン・ロッキーのジャスパーとバンフ国立公園で2か月に亘るロケーションが行われ、大自然を舞台に繰り広げられ、特に帰らざる河と言われる急流を筏で下るシーンは迫力があり、合成場面があるにしても、モンローはじめ俳優たちがよく頑張ったものと感心してしまった。大筋は、開拓者のマット・コールダー(ロバート・ミッチャム)が、妻が死んでから酒場の女ケイ・ウエストン(モンロー)に預けてあった息子マーク(トミー・レティグ)に再会し、帰らざる河といわれる横での農場を開墾にしている際、ケイと婚約者ハリーが筏で漂流しているのを救った。そのハリーは恩人のマットから馬と銃を奪って旅立ってしまう。インディアンの襲撃から逃れるべく父子とケイは筏で、紆余曲折の末目的地カウンシルシティに着く。此処でハリーは買い物をしていた空身のマットを銃で狙うも父親危ふしと見た息子マークが店にあった銃でハリーを殺すことに。過去父マットが友人の危機を救うため咄嗟に背中を射った過去と同じ因果が巡ったのだった。父子とケイは農場での新生活が待っていた。

監督オットー・プレミンジャーは演劇と映画の演出を兼ねている数少ない一人。相手役ロバート・ミッチャムに対しては、モンローが「部屋から簡単に摘み出せないないような、たくましい男のお相手を務めるのは素敵よ」と述べていた。ロリー・カルホーンは二枚目のタフガイで、ヒーロー役悪玉役の双方を器用にこなしたが、どちらかと言うとダーティな裏切り者や女騙しの紐の役等が合っていたかも。子役のトミー・レティグはこの映画までにすでに10本の出演がある人気者だった。

(金藤)M・モンロー さすがの美貌。 可愛かったですし、歌は吹替ではなくて本人が歌っていたのですね! よかったです。 男の子にも優しく歌ってあげていましたね。

河下りでは、ずぶ濡れになりながら筏も操作出来るほど逞しくなってジーンズ姿のM・モンローも格好良かったです。R・ミッチャム 西部で生きて行く男は、女子供も守っていくのですから強くないといけません。 体は逞しそうなのに殴られて倒れ、ピューマと格闘して怪我をして、 M・モンローに手当てして貰えるのでよかったのですが。 魅力的なモンローと同行して “困ったなー“  と R・ミッチャムならではの表情、格好良くない不器用な、でも優しい男を演じるミッチャムも見られてよかったです。 今回はM・モンローの引き立て役と良い父親役。 筏はしっかり漕いでいました。
利発な可愛い男の子、父親と同じ事をしてしまいトラウマにならないとよいけれど、と思ってしまいました。激流の中、筏を漕いで、悪党に出会ったり、インディアンに執拗に追われたり ピューマに襲われたり、多くの場面で特写が使われているのでしょうが、俳優さん達は大変そうでした。 ストーリーは・・・今一つでしたが、最後にまたM・モンローの歌を聞けてハッピーエンドでした。

(保屋野)西部劇?「帰らざる河」初めて観ましたが、

良かった・・①筏によるラフティングシーン ②M・モンローの唄う有名な主題歌                                   イマイチ・・①ストーリーがやや単純。②R・ミッチャムの魅力が「眼下の敵」ほど出せていない。

(安田)主題歌の歌詞は、(Mm‥‥hum・・・)If you listen, you can hear it call Wailerie (wailerie), There is a river called the river of no return. Sometimes it‘speaceful and sometimes wild and free と続く。もしあなたが聴くなら、あなたは呼んでいるのが聴こえます“もの悲しさを”。 彼女が酒場で歌う場面のビデオ映像を添付しました。「Waillerie」の意味が解らず、調べるとWailは嘆き悲しむ、の意。哀愁の感情を“wailerie”の単語に込めて歌ったものと、勝手に解釈しました。

主題歌の作曲はその時代の映画音楽家として知られるライオネル・ニューマン(Lionel Newman)。モンロー主演映画の主題歌をいくつか作曲しています。「億万長者になる方法」「紳士は金髪がお好き」「恋をしましょう」など。有名な「ハロー・ドーリー」も彼の作曲。

(飯田)皆様の感想と同じく、モンローのハスキーボイスはしっとりとしていて良いですね。カナダ山々の景色もきれいで、ミッチャム親子の組合せも、小鹿物語やシェーンを思い出させました。

(関谷)釣られて見ました。うん十年振りに。映画の内容はともかく、M.モンローは魅力的ですね。JFKが熱をあげたのも納得!

(小田)皆様の感想と同じく、モンローのハスキーボイスはしっとりとしていて良いですね。カナダ山々の景色もきれいで、ミッチャム親子の組合せも、小鹿物語 や シェーン を思い出させました。

(編集子)ミッチャムが子供と離れていたのは人を殺して入獄していたからだとわかるが、その時、背後から撃ったという、当時もっとも恥ずべきこととされていたことを知ってマークは父を許す気にならなかったが、最後に自分が父を救うために背後からカルホーンを撃ち、そういうこともあるのだと納得する。

このパターンがメインテーマだったのがロバート・ライアンとジェフリー・ハンターの 誇り高き男 だ。ライアンは保安官時代、丸腰を装って隠し持った銃で彼を撃とうとした男を射殺し、丸腰の人間を撃ったと非難された。その後、移り住んだ違う町で保安官となるが、その殺した男の息子(ハンター)を部下に持つということになる。ハンターはどうしてもライアンを信じられず、一時は彼を撃とうとさえするが、仕事に慣れてきた彼は酒場でやはり隠し持った銃で撃とうとする男を大勢の眼前で射殺する。彼らが厳しい非難の目で見つめるなかで、ハンターはゆっくりと男の懐中から撃鉄を起こした銃を取り出して、無言のまま、それを見せて皆を納得させる。それを見てライアンは微笑し、馬車でまた街を去る。この映画の主題歌はウイキペディアによれば日本ビクターから発売されて、レコード売上は50万枚を超える大ヒットになり、文化放送ユア・ヒット・パレード』で1956年度の年間9位を記録している。”帰らざる河” がヒッパレにランクされていたかどうかは記憶にない。”誇り高き男” の主題歌、ユーチューブでぜひご視聴ありたいものだが。DVD編集子所蔵につき貸出可能。

なお、最近の方はディマジオをご存じないかもしれないが、1939年までニューヨークヤンキースの主砲だった有名なプレイヤーである。引退後サンフランシスコに彼の名前を冠したレストランを持っていて、小生も一度食事したことがある。野球選手としてもそうだが紳士として尊敬されていたよきアメリカ時代のヒーローだった。

新三国トンネル開通!    (44 浅野三郎)

当時東京方面と我らが浅貝を結んでいる唯一の自動車道路だった三国トンネルは、1957年(昭和32年)に開通以来63年が経過し、流石に経年劣化や現在の
交通事情に不適合となったために、この3月19日で新三国トンネルに入れ替わり
ました。
三国トンネルは現役時代以降数十回(もしかすると百回程度は?)通過したと思
われます。大型トラック同士だとすれ違えない程狭かったトンネルでしたが、中にはトンネル内をキスリングを背をって抜けてきた方々も居たとか。さぞや怖かったのでは?新三国トンネルには横断歩道もあり徒歩でも自転車でも通行が可能のようです。

国交省記者会資料
https://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000821951.pdf

新旧の三国トンネルを越えるYouTubeがありました。
https://www.youtube.com/watch?v=DIVkr0vmgYE

(編集子)上記 youtube  おススメです!

 

 

春来たる―日本人の心に響くもの

(船津)連日テレビを付けるとウクライナの爆撃と避難の悲惨な絵ばかり。鬱になりますね。 平和の日はやや遠き成りそう。 一日でも早い停戦と平和を祈念するのみ。
気分転換に眼下の錦糸公園は緋寒桜に続き枝垂れ桜、そして今日からはソメイヨシノも咲いてきました!間もなく満開だと思います。

 

ソメイヨシノ
       初桜 折しも今日は 能日なり(松尾芭蕉)
       旅人の 鼻まだ寒し 初ざくら (与謝蕪村)
       徐ろに 眼を移しつつ 初桜 (高浜虚子)
       人声に ほつとしたやら 夕桜 (小林一茶)
       蘖のつややかな葉に力あり( 稲畑汀子)
       蘖や涙に古き涙はなし (中村草田男)
       ひこばえや余談雑談無駄話 (柴田美代子)
(保屋野)先日NHKの番組で
  「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」(在原業平)

が紹介されてました。桜を愛でる喜びは、平安時代と同じなのですね。

船津さんご紹介の桜の俳句は初めて知りましたが(良い句ですね)、和歌(短歌)に比べてあまり有名な(桜の)句はありませんね。和歌の方は

  願わくは花の下にて春死なんその如月の望月のころ」 (西行)

  久方の光のどけき春の日にしず心なく花の散るらむ」 (紀友則)

のような有名な歌が目白押しです。・・・というと和歌に詳しいようですが、私の知識はせいぜい「百人一首」どまりです。

今日、浅川へのウオーキングの途中「カワセミ」に会えました。写真は小さくボヤケていて分かりづらいですが、一応添付します。一週間後ぐらいから、満開の花見を当分楽しめそうですね。

(編集子)百人一首かあ。終戦直後、引き揚げてきて寄留していた伯母の家での正月、何もない中、残っていた古い百人一首歌留多を見つけ、従兄弟たちと夜を徹して興じたものだった。小学生の小生が一番に覚えたのが 朝ぼらけ で始まる二首だった。歌の意味がすべて理解できたわけではもちろんないが、なんとなく ”日本ていいなあ”という素直な気持ちになって、”むすめふさほせ” とか ”つゆしもう” なんてテクニックを姉から教わって暗記したものだったが。

むすめふさほせ、って、わかる?  何人いるか、楽しみ!

人種差別ということ

ウクライナ問題で世情は混乱しているが、プーチンの言動の裏には大ロシアという一種の妄想があることはどうやら間違いないようだ。彼はウクライナはロシアだと思い込んでいるが,ウクライナの人たちはスターリン時代にウクライナ人であるがゆえに迫害を受けた歴史を忘れてはいまい。いろいろ考えてみると、海に隔てられた島国、という地政学的な利点に恵まれた日本人には人種差別という原体験がない。逆に言えば(マイナス面では)ガイジン、というひとくくりで物事を片付けてしまう、その意味では島国根性、というのもあるわけだが、今回のいわばロシアという国の身内のいさかいで、人種差別、という事を考えさせられることにもなったようだ。ここのところ活発になった人種差別問題についての甲論乙駁である。

(菅原)小生、日本IBMに勤めてたもんで、本社のある米国東海岸ニューヨーク郊外、磁気ディスク工場のある西海岸サンノゼ、ロサンゼルスのバーバンク営業所、などに頻繁に出張させられ、最後は、パリのEHQ(欧州本社)に2年ほど飛ばされていたわけです。しかし、今、振り返ってみると、その間、黒人の社員に会ったことは一回もないし、見たこともありません。小生、これをいささかも不思議とは思っていませんでした。人種差別があったのか。勿論、30年以上も前の話しです。今は、変わっているとは思いますが。

小生、パリの「欧州本社」勤務時代に、非常に不愉快な経験をしました。米国本社から来た社員による説明会があり、小生も同席。しかし、その御仁、やたらにJap、Japを連発。まさか「欧州本社」に日本人がいるとは思っていなかったんでしょう、流石に途中で気が付いて止めましたが。その時、「アメ公は心の底で日本を日本人をJapと観てるんだな」と。どうも差別って言う奴は、極めて厄介な代物で、何時までも、それこそ心の奥底に巣くってる、小生も含めて。

(安田)先日テレビで放映された映像に驚きました。20005年、ノルマンディーで戦争終結50周年の式典があり、その席上、原爆の写真が大写しになり、「これが戦争を終わらせた」とし、オバマ米大統領はじめ出席者全員が起立して拍手、大喝采でした。その際、唯一起立せず、胸に十字を切っていたのはプーチンでした。放映の主旨は、孤高の行動を執ったプーチンに焦点を当てたものでしたが、はからずも広島詣をした(今となれば偽善的)オバマと、連合国側首脳の態度が浮き彫りになりました。原爆被災者の悲惨な犠牲を省みず、誇ったように勝利の余韻に21世紀になっても浸り、日本が重要な自由民主主義陣営の一員である事実を一顧だにしない姿勢に唖然としました。

米議会で、2〜3日前、ゼレンスキーがビデオ講演しましたが、その時、「今回のロシアの侵攻は、あの卑怯なパールハーバーと同じ」と写真入りで説明しました。米上下院議員は拍手喝采。彼は日本の国会でのビデオ講演も依頼してきたそうですが、まさか真珠湾には触れますまい。機を見るに敏な役者大統領です。
ウクライナ人はじめ白人の対日本人観、歴史観や価値観には考えさせられます。真珠湾奇襲は軍施設のみへの攻撃。ロシアの攻撃は民間人を含め無差別。両者同じ文脈では語るべからず。
(斎藤)人種差別と言うんでしょうか、変な経験があります。
ドイツに着任したばかりの頃、休日に近くの哲学の小道(ドイツは至るところに同様の名前の道があります)を歩いている時、犬の散歩をしているオジさんに声をかけられました。ドイツ語だったので、正確にはわからなかったのですが、「日本人?中国人?韓国人?」と聞かれたと思ったので、「ヤパーナ(日本人)」と答えた所、訛りの強い英語で「一緒に戦った」「友達」と言われたようで、「ヤー」と答えると、激しく握手されました。その後、なんか言っていましたが、イタリヤは駄目と言っていたように聞こえました。きっと、第二次世界大戦を一緒に戦ったということだと理解しました。自分が強く人種の違いを意識し始めたきっかけがあります。アメリカ東海岸でのことです。ニュージャージーのモーリスタウンと言うところで研究会があり、その休日に、同行した同僚とニューヨークへバスで出かけました。
初めてのニューヨークにワクワクして歩いたのですが、ビル1階のトラックヤードの暗闇からヌッとでてくる黒人が怖くてたまりませんでした。黒人が怖いと感じてしまったのは、この時以来です。暗闇から無表情で突然現れる黒人は、今でも怖いです。仕事場で接するのは大丈夫なんですがね。その他、突然態度の豹変する、バッキンガム宮殿の観光客をカモろうとする紳士の装いをしたイギリス人に出会ってから、イギリス人の多弁は好きになれません。声の大きいイギリス人は特にですね。その後、パブで絡まれて言い合いをした時、やはりイギリス人は多弁でした。その時、私は関西弁と茨城弁をまぜこぜにした日本語でまくし立てましたけど。

エーガ愛好会 (130)  夕陽に向かって走れ   (34 小泉幾多郎)

赤狩り旋風の犠牲者エイブラハム・ポランスキーがニューシネマの台頭と共に、20年振りに監督復帰を果たした作品。脚本は相当数書いたが、監督はこの作品を含め生涯3本のみ。如何に赤狩り旋風が、有能な才能を無駄にしてしまったかの見本。

インディアンの青年ウイリー・ボーイ(ロバート・ブレイク)が、結婚を反対されたため、恋人ローラ(キャスリン・ロス)の父親を誤って殺してしまう。恋人を連れて逃亡するが、やがて追手の銃に倒れると言う実話をもとにしたドラマ。この絶望的な逃避行を続けるインディアンこそ当時のボロンスキー自身が被害者意識として表したのではなかろうか。

赤狩りにより、20年間ハリウッドを追放されていた監督の思いはボーイそのもので、自分は愛する人と一緒にいたいのに、インディアンというだけで差別視され、正当防衛も事故にも拘わらず殺人犯という汚名を着せられ逃げざるを得なくなる。待っているのは絶望だけ、ボーイの怒りと悲しみ絶望はまさに監督のそれ
を表している。そのことから、内容は白人とインディアン、昼と夜、移動と潜伏、地形の高低差などといった対立構造に象徴される差別的な視線で描かれていく中でも、走り、追うという追跡の徹底的単純化が独自性を生み出している。

追う方の主人公保安官補クリストファー・クーパー(ロバート・レッドフォード)は、インディアン青年ボーイにどことなく親しみを抱いており、スッキリしない人物だけに演じる方も容易でなかったのではと同情してしまう。まずは保護区監察官で女医エリザベス(スーザン・クラーク)と懇ろになる打算的性格、このエリザベスもインディアンにウイスキーを売っている者を糾弾したかと思えば、逆にインディアンに同情的な言動を吐く。クーパーは更に、町を訪れた大統領の警備の任にも携わる出世意欲もあるかと思えば、どこか斜めに見る反骨精神もあるという人物。最後は、ボーイのために自殺を選んだのか花嫁姿のローラの死体を発見、岩山へ追い詰めてクーパーの弾丸がボーイを倒す。しかしボーイの銃には弾が入っていなかったことを知ったクーパーは、二人の無益な逃亡と何の意味もなく散って行った命を思い胸に重い痛みを感じ、せめてもの慰めに火葬にすべく火を焚くのだった。火葬はクーパーなりのインディアン対する弔い方だが、手柄を立てることが目的のため死体を持ち帰りたい保安官(チャールズ・マックグロー)という権力に対する反発を強烈に表現したとも言える。

全般的に、ニューシネマとは言え、有機的な動きや堂々とした風格も感じられ、西部劇らしい叙情や登場人物の深い心理描写、監督の主張したいテーマが作品の中に溶け込んでいるので、悲劇的結末ではあるが、それなりに満足感は感じられた。撮影が「明日に向って撃て」他3本でアカデミー撮影賞のコンラッド・L・ホールで、夜霧の中、ボーイとローラが息を殺して追手をやり過ごすシーンやらクーパーが痕跡を追っているシーンの背景の岩山で対立する二人等全てが二つのもので表現されている気がしてならなかった。

音楽はデイブ・グルーシンで。従来型の西部劇のテイストは皆無、ジャズや現代音楽的な味付けで、メロデイ感覚のない抑制の効いた音で占められていた。

(ウイキペディアから転載) 赤狩り

ローゼンバーグ事件に代表される共産主義者による深刻な諜報活動に加え、1946年からの東欧における、また1949年中国大陸における国共内戦の末の共産主義政権の成立、1948年から1949年にかけてのベルリン封鎖、および1950年から1953年朝鮮戦争におけるソビエト連邦中華人民共和国からの圧迫により高まった緊張に対して増大する懸念に合わせたものである。この場合の「」は共産党およびその支持者を指す。日本語の名称である赤狩りに対応する英語の名称Red Scareは”共産主義の恐怖”の意味であり、増大していた共産主義者の活動に対する強い懸念を示している。1953年より上院政府活動委員会常設調査小委員会の委員長を務め、下院の下院非米活動委員会とともに率先して「赤狩り」を進めた共和党右派のジョセフ・マッカーシー上院議員の名を取って名づけられた。マッカーシーに協力した代表的な政治家は、リチャード・ニクソンロナルド・レーガンである。

(ウイキペディアから転載) ニューシネマ

アメリカン・ニュー・シネマともよばれる。1960年代後半に生まれたアメリカ映画の新しい潮流で、アーサー・ペン監督の『俺(おれ)たちに明日はない』(1967)がその先駆けとされる。続いてジョン・シュレジンジャー監督の『真夜中のカーボーイ』(1969)、デニス・ホッパーDenis Hopper(1936―2010)監督のイージー・ライダー(1969)などが生まれるに及んで、アメリカ映画の新しいジャンルとして認知される。最大の特徴は、反体制的なあるいは体制から脱落した人物が主人公になっていることで、そこから現実批判が提起される。俺たちに明日はないは、1920年代末の大恐慌時代に実在した若い男女の犯罪行を描いたもので、体制のからはみ出した若者像を鮮烈にとらえていた。『真夜中のカーボーイ』が描くのは、ニューヨークの廃屋に住む2人の若者のみじめな日常である。そして『イージー・ライダー』は、ヒッピーのような生き方をしている若者2人が、マリファナを密売した金を持って、オートバイでアメリカ西部から南部ニューオーリンズに向かう。主人公が2人で、それも男2人であることが多いのも、ニュー・シネマの特徴で、男女の愛よりも男同士の友情重点が置かれる物語が多かった。ニュー・シネマは、定型の枠に閉じ込められて生命力を失ったハリウッド映画に対する批判として生まれたとされ、その新鮮な表現が社会に衝撃を与えた。しかし、現実批判のリアリズム描写に傾きすぎて、アメリカ映画の基本的性格であった娯楽性に欠け、映画に夢と憩いを求める観客からしだいに見放されるようになる。時代的に見ると、ヒッピー文化、ベトナム反戦運動といった風潮の反映として生まれたのがニュー・シネマであり、大きな反響を呼んだ。アメリカ社会が保守化するとともに自然消滅したが、世界の映画に与えた刺激は大きかった。

(編集子)ニューシネマに分類されている作品もいくつか見たが、”バニシングポイント” の印象は強烈だった。

 

ウクライナ紛争ー戦争下のハム仲間たちよ、元気でいてくれ

オリンピックと並んで、世界中の仲間が友達、のアマチュア無線(ハム)の世界も国家の紛争となると残念ながらその機能を失ってしまう。すべての国は国家存続にかかわるような事態に立ち至ると情報管理の立場から、ハム局の活動停止を命じることができる。アマチュア無線憲章では、政治の話題は通信してはならない規定になっているが、これはあくまで正常の状態でのエチケットにすぎない。現在世界のアマチュアが使っている通信機やアンテナがあれば、その気になれば下手な情報部員よりは優れた情報を集める事だって可能なのだから、やむを得ない措置と言える。

日本アマチュア無線連盟関連のHPから関連記事を転載(44 浅野三郎君のご示唆による)してみよう。この記事は2月24日付けのもの。

ロシアによる軍事侵攻の懸念が高まっているウクライナ。ゼレンスキー大統領は2022年2月24日から30日間の「非常事態宣言」を発令した。対象地域は東部のドネツク州とルハンスク州を除くウクライナ全土。これにより同国では「抗議活動の禁止」「情勢を不安定にする可能性がある情報の作成および流布の禁止」などと並び、「アマチュア無線機の使用禁止」が政令で認められ、同国におけるアマチュア無線運用が事実上禁止される。ウクライナは東欧でもアマチュア無線局が多い国で、2000年のIARU統計では17,265局が免許を受けているという。

他方、ロシアのほうはまだ封鎖措置は取らず大国の度量?を示している。

さまざまなニュースが伝えられるウクライナ情勢だが、ロシアアマチュア無線協会「SRR/Russian Amateur Radio Union」は2022年3月3日、「SRRはIARU(国際アマチュア無線連合)とその加盟国の組織に訴えます」というメッセージを同協会のWebサイトで公表した。その中で「紛争でロシア国家がどの側にいようとも、SRRは紛争に巻き込まれた国のアマチュア無線家や無線団体に対して非友好的な措置をとったことはありません」「ウクライナでの事件に関連して、…SRRはアマチュア無線の伝統(慣習)に忠実であること、アマチュア無線を使った感情的な行動を控え、互いの交流を絶やさず、知恵と相互理解を示し、それによって状況の迅速な解決に貢献することを求めます」と述べている。

日本のハムにとって、極東ロシアは韓国や台湾と並んで最も近い外国であり、外国局との初交信がこのあたり、という人はたくさんいる。またウクライナは距離的には最も近いヨーロッパ(アマチュア無線の世界での定義)であり、交信もわりとたやすい。

小生が交信のたびに交換してきた交信証(QSLカード)の中から数枚を抜き出してみた。左側、ウクライナのディミトリ、右側、ロシアのセルゲイ。彼らがかつてのように声を掛け合うことができる日がくるのだろうか。その日まで、元気でいてほしいといのるだけだ。

エーガ愛好会 (129) 長江哀歌     (普通部OB 菅原勲)

3月17日、NHK BS3で、賈樟柯(ジャ・ジャンクー)が監督した中国映画「長江哀歌(原題:三峡好人)」(2006年)を見た。この映画は、ご存知の通り、2006年ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を獲得しており、蛇足だが、55年前には黒沢明が「羅生門」で掌中に収めているものだ。

実に久し振りだが、とんでもない映画を見てしまった。下らないとは言わない、しかし、途轍もなくつまらない見本のような映画だ。

話しは、別々の男女が、有名な三峡ダムを建設するために水没してしまった村に残した、男は妻を、女は夫を探し出す内容なのだが、その話しが、揚子江のようにゆったりとどころかモタモタモタモタして、締まりがない。主人公はと見れば、俳優ともども魅力がなく、感情移入が全く出来ない。と言って、気の利いたセリフがあるわけでも、笑いがあるわけでもない。始まって、余りにも退屈なので、40分ほどで眠り込んでしまった。そして、終わってみれば、こんな映画を大真面目に作ったことに、思わず大笑い。一言で言えば、隅から隅まで、ここにあるのは、当時の中国の田舎の度し難い貧しさだ。逆に言えば、この点を描くと言う点では、唯一成功したと言えるだろう。具体的には、例えば、季節もあろうが、ランニングシャツしか着ておらず、のべつ幕なしの喫煙、貧しい住宅と住環境、何から何まで貧しさがこびり付いている。救いは、イデオロギーに一切言及していないことぐらいか。

ナントカナントカの大賞なんてのが信用ならない、これもその典型的な見本だ。アカデミー賞だって、同じようなものだろう。

中国映画はこれが初めてだったが、ブルース・リーとかジャッキー・チェンなんかの香港映画の方が遥かに面白かった。でもこれも中国に吸収されてしまっては、あのハチャメチャ振りは最早期待できそうもない。

(菅井)ドラマティックな展開などとは無縁な小津安二郎監督作品は蒲鉾をアテに燗酒を嗜むような風情があって結構好きなのですが、そんな私でも「長江哀歌」は先輩方と同様で無理でした(^_^;)。ヨーロッパ人にはアレが受けるのでしょうか?そういえば欧米人にとって分かりやすいのでは?と思われるダイナミックな映画作りをする黒澤明監督よりもスタティックな小津安二郎監督の方が彼の地では(特に玄人筋)評価が高いようです。

 

(ウイキペディアより転載)

長江哀歌』(ちょうこうエレジー、原題: 三峡好人)は、ジャ・ジャンクー監督による2006年の中国映画である。三峡ダム建設により水没する古都に住む人々が描かれる。製作は上海フィルム・スタジオ英語版エクストリーム・ピクチャーズ英語版が共同で行った[2]

2006年9月5日に第63回ヴェネツィア国際映画祭コンペティション部門でプレミア上映され、同映画祭の最高賞である金獅子賞を受賞した[3]