人種差別ということ

ウクライナ問題で世情は混乱しているが、プーチンの言動の裏には大ロシアという一種の妄想があることはどうやら間違いないようだ。彼はウクライナはロシアだと思い込んでいるが,ウクライナの人たちはスターリン時代にウクライナ人であるがゆえに迫害を受けた歴史を忘れてはいまい。いろいろ考えてみると、海に隔てられた島国、という地政学的な利点に恵まれた日本人には人種差別という原体験がない。逆に言えば(マイナス面では)ガイジン、というひとくくりで物事を片付けてしまう、その意味では島国根性、というのもあるわけだが、今回のいわばロシアという国の身内のいさかいで、人種差別、という事を考えさせられることにもなったようだ。ここのところ活発になった人種差別問題についての甲論乙駁である。

(菅原)小生、日本IBMに勤めてたもんで、本社のある米国東海岸ニューヨーク郊外、磁気ディスク工場のある西海岸サンノゼ、ロサンゼルスのバーバンク営業所、などに頻繁に出張させられ、最後は、パリのEHQ(欧州本社)に2年ほど飛ばされていたわけです。しかし、今、振り返ってみると、その間、黒人の社員に会ったことは一回もないし、見たこともありません。小生、これをいささかも不思議とは思っていませんでした。人種差別があったのか。勿論、30年以上も前の話しです。今は、変わっているとは思いますが。

小生、パリの「欧州本社」勤務時代に、非常に不愉快な経験をしました。米国本社から来た社員による説明会があり、小生も同席。しかし、その御仁、やたらにJap、Japを連発。まさか「欧州本社」に日本人がいるとは思っていなかったんでしょう、流石に途中で気が付いて止めましたが。その時、「アメ公は心の底で日本を日本人をJapと観てるんだな」と。どうも差別って言う奴は、極めて厄介な代物で、何時までも、それこそ心の奥底に巣くってる、小生も含めて。

(安田)先日テレビで放映された映像に驚きました。20005年、ノルマンディーで戦争終結50周年の式典があり、その席上、原爆の写真が大写しになり、「これが戦争を終わらせた」とし、オバマ米大統領はじめ出席者全員が起立して拍手、大喝采でした。その際、唯一起立せず、胸に十字を切っていたのはプーチンでした。放映の主旨は、孤高の行動を執ったプーチンに焦点を当てたものでしたが、はからずも広島詣をした(今となれば偽善的)オバマと、連合国側首脳の態度が浮き彫りになりました。原爆被災者の悲惨な犠牲を省みず、誇ったように勝利の余韻に21世紀になっても浸り、日本が重要な自由民主主義陣営の一員である事実を一顧だにしない姿勢に唖然としました。

米議会で、2〜3日前、ゼレンスキーがビデオ講演しましたが、その時、「今回のロシアの侵攻は、あの卑怯なパールハーバーと同じ」と写真入りで説明しました。米上下院議員は拍手喝采。彼は日本の国会でのビデオ講演も依頼してきたそうですが、まさか真珠湾には触れますまい。機を見るに敏な役者大統領です。
ウクライナ人はじめ白人の対日本人観、歴史観や価値観には考えさせられます。真珠湾奇襲は軍施設のみへの攻撃。ロシアの攻撃は民間人を含め無差別。両者同じ文脈では語るべからず。
(斎藤)人種差別と言うんでしょうか、変な経験があります。
ドイツに着任したばかりの頃、休日に近くの哲学の小道(ドイツは至るところに同様の名前の道があります)を歩いている時、犬の散歩をしているオジさんに声をかけられました。ドイツ語だったので、正確にはわからなかったのですが、「日本人?中国人?韓国人?」と聞かれたと思ったので、「ヤパーナ(日本人)」と答えた所、訛りの強い英語で「一緒に戦った」「友達」と言われたようで、「ヤー」と答えると、激しく握手されました。その後、なんか言っていましたが、イタリヤは駄目と言っていたように聞こえました。きっと、第二次世界大戦を一緒に戦ったということだと理解しました。自分が強く人種の違いを意識し始めたきっかけがあります。アメリカ東海岸でのことです。ニュージャージーのモーリスタウンと言うところで研究会があり、その休日に、同行した同僚とニューヨークへバスで出かけました。
初めてのニューヨークにワクワクして歩いたのですが、ビル1階のトラックヤードの暗闇からヌッとでてくる黒人が怖くてたまりませんでした。黒人が怖いと感じてしまったのは、この時以来です。暗闇から無表情で突然現れる黒人は、今でも怖いです。仕事場で接するのは大丈夫なんですがね。その他、突然態度の豹変する、バッキンガム宮殿の観光客をカモろうとする紳士の装いをしたイギリス人に出会ってから、イギリス人の多弁は好きになれません。声の大きいイギリス人は特にですね。その後、パブで絡まれて言い合いをした時、やはりイギリス人は多弁でした。その時、私は関西弁と茨城弁をまぜこぜにした日本語でまくし立てましたけど。