昨日の人形町。自分同様ややうらぶれた風景です。今半に買い物犬でお肉買に行かされた道中でのスナップ。
村上から裏磐梯の新緑を堪能してきました (HPOB 小田篤子)
新潟(村上)、裏磐梯に出かけてきました。村上へは遺品確認や法要で。お墓は《にいがた庭園街道》のパンフレットに載っているお寺(
ホテルは磐梯山とこの沼に面し、絶景でした。
(保屋野)村上と新緑の裏磐梯、うらやましい限りです。村上は、近くの日本海「笹川流れ」をクルーズしたことがありますが、期待以上の景観でした。裏磐梯は紅葉の時期に何度か訪れましたが、毘沙門沼のブルーが美しかった記憶があります。なお、カレンダーの「青沼ブルー」は有名ですが、私には「三大ガッカリ」、あの美しい色は、晴れた日の限られた時間しか見ることができません。
(安田)山形県の出羽三山に数年前行った(登った)時、新潟から鶴岡まで乗った羽越本線の列車で村上を通りました。笹川流れも“あっという間”ですが眺めることが出来ました。新潟県というより山形県の感じもします。村上からほぼ真東の方角にある山形県南陽市が僕の女房の郷里でした。村上のことはほぼ何も知りませんが、唯一皇后雅子さんの実家・小和田家の本籍地だというのは知っていました。それにしても小田ご夫妻の縦横無尽に国内外を旅される足腰の軽さには感心させられます。村上から裏磐梯、そして五色沼辺り新緑は見事なんでしょうね。羨ましい限り!
(編集子)安田君のため息に同感。会社時代長い付き合いでしたがこんなに活動的なレディとは存じませんでした。ダンナはもともとすばしっこい人ですから、多分そのせいかな、とも。裏磐梯は普通部時代に学校旅行で行ったのが初めてでしたが、まだ、蒸気機関車にひかれた列車だった記憶があります。当然、ホテルなんてものはありませんでした。
エーガ愛好会 (153) 大統領の陰謀
(船津)1972年6月17日、首都ワシントンD.C.
入社してまだ日が浅いワシントン・ポスト紙の社会部記者ボブ・
一方、先輩記者カール・バーンスタイン(演:ダスティン・
当初は政府機関の厚い壁に阻まれ五里霧中の状態であったが、
事実関係の調査を済ませた記者たちは事件を記事にする。
ウッドワードはディープ・スロートからCIA、FBIなど諜報・
1973年1月20日、再選を果たし、
しかし、
(関谷)愛好会の皆さんに釣られ、立て続けに「ペンタゴン・ペーパーズ」と
本日の「大統領の陰謀」を、雨読日でもあり、見てしまいました。聞屋さんの図々しさに、改めて、感心するとともに、気の弱い私では、絶対に務まらない職業だと痛感!「文春」の記者も似たようなものなのでしょうね!
(保屋野)ウオータ―ゲート事件を映画化した作品ですが、(ペンタゴン・ペーパーズもそうでしたが)、巨悪に立ち向かう記者の奮闘ぶりはそれなりに楽しめましたが・・・ネットのコメントにもありましたが、何せ、登場人物が多すぎて、かつ電話のやり取りが多く、ストーリーを理解するのが中々難しい作品でした。私は、こういう複雑な事件は、映画より、NHKがよく放映している(解説付)「ドキュメント番組」の方が分りやすく、面白いのではないかと思います。D・ホフマンとR・レッドフォードの競演は見ごたえありましたが。
(安田)1972年6月17日のウォーターゲートビル内の民主党本部で起きた盗聴侵入事件発生からニクソン大統領の辞任の1974年8月9日までの2年2ヶ月間に及ぶぶ、ワシントンポスト紙の真実を掴み報道する自由を追求するジャーナリズムの信念に対して政治権力の相克を描いた映画である。
原題は「All the President’s Men」。先日、ブログにも載った映画「ペンタゴン・ペーパーズ」、更にウォーターゲート事件をFBI副長官の目線で描いた映画「ザ・シークレットマン」2018年制作、原題「Mark Felt: The Man Who Brought Down the White House」、 これら3本の映画は1971年から74年に起こったアメリア政府中枢の腐敗とも呼べる権力の乱用と自己正当化の傲慢な動きに真向から挑んだジャーナリズムとFBI副長官の孤独な闘いを描いた、アメリカの良心と正義を担保した映画とも言える。
「ザ・シークレットマン」はFBI副長官マーク・フェルト、後にウォーターゲート事件の情報提供者として知られる「ディープ・スロート」本人(対外的には秘密)の政府の公的な組織人の立場と個人的な自由と正義を守る信条の狭間で悩む一個人を描いた秀作。彼が「ディープ・スロート」ではないかと‘70年代には目されたが、本人は認めたことはない。2008年に85歳で他界するが、死去の3年前の2005年8月に自ら公表した。映画の制作はマーク・フェルトが自らを「ディープ・スロート」と公表してから13年後、死後10年後に製作された。それだけ時間の経過が必要であったのだろう。スティーヴン・スティルバーグ監督映画「シンドラーのリスト」主役を演じた北アイルランド出身リーアム・ニーソンがマーク・フェルトを好演した。この映画はFBI副長官の知ってしまった公人の葛藤と苦悩を闘ったを見事に描いた映画。「大統領の陰謀」と併せて観ると、ウォーターゲート事件についての理解がより増すこと請負。
(編集子)ワシントンポスト紙社内のシーンが迫力があった。ああいう場で仕事をすることを夢見た時代もあったのだが。
キャトルドライブ、カウボーイ、スタンピード、ジョン・チザム (44 安田耕太郎)
映画「赤い河」1948年や「スタンピード」1965年では牛の群れの暴走・スタンピードのシーンがある。両映画を観て、掲題の諸点について興味をもった。キャトル・ドライブを描いたクリント・イーストウッドの出世作となってTVドラマに「ローハイド」(1959~65年)放映があった。
キャトル・ドライブ(Cattle Drive)とは牛の群れを輸送すること。輸送といっても鉄道や車に乗せて運ぶことではない。19世紀半ば頃から、アメリカの大草原地帯で増えた牛の群れを数百キロから1千キロ以上離れた鉄道の出荷駅まで運ぶ作業をことである。調べたところアメリカには元々キャトル(牛)はおらず、入植してきた、肉を主食とするスペイン人が持ち込んできた。スペイン人が撤退後はメキシコ人がそれをついでテキサスあたりで繁殖させた。その地域はメキシコとなって、バケーロ(Vaquero)と呼ばれるメキシコ人の牧場労働者が管理していたが、牛肉を食べる文化はスペインのもので、アメリカに住んでいた英国やスコットランドやアイルランド系の人々は牛を食べる文化がなかった。
アメリカとメキシコの米墨戦争(1846~48年)の結果テキサスはアメリカに帰属(映画アラモなどでも描かれる)。その頃までには所有主のいない野生化したテキサスの牛(Texas Long Horn)が無数に増えてきて、放置されたままになっていた。南北戦争が1865年に終わると、人々が西部に入植していって開拓が始まる。東部は工業も発達し、移民も増えて、人口が増え、食料の需要も増える。そこで目をつけられたのが、テキサスの無数の牛だった。これを捕まえて、食肉として消費地のカリフォルニアや東部に送ろうと思いついた人々がいたのだ。そこで、テキサスから、鉄道の出荷駅があるカンザス州まで数百~数千頭の牛を運ぶ “キャトル・ドライブ”が始まり、その仕事に従事する人を“カウボーイ”と呼んだ。我々が西部劇映画で馴染んだいわゆる“カウボーイ”は牧場で牛を育てる牧童主などを指す場合はあるが、彼らは厳密な意味では“カウボーイ”ではない。
大量の牛肉の消費地であるカリフォルニアや東部へ運べばいい金になるということで、テキサスからオクラホマを経由して、鉄道が敷設された出荷駅のあるカンザス州までチザム・トレイル(Chisholm Trail)と呼ばれる道を通って牛を運ぶ仕事をキャトル・ドライブ(Cattle Drive)と言った。カンザス州アビリーンまで鉄道がのびた時,家畜商人のジョーゼフ・マッコイJoseph G.McCoy(1837‐1915)はここに牛を集め,東部へ運ぶことを思いつき,当時テキサスでは1頭4ドルだった牛を40ドルで買うと宣伝した。たちまちカウボーイたちは,テキサスから〈チザム・トレイル〉沿いに,1000マイル(約1600km)もの距離をものともせず,年間50万頭の牛をここまで追ってきた。鉄道が西へのびるに従い,ほかのトレール(牛追い道)も開発され,ロング・ドライブ(遠い牛追い)に従事するカウボーイは時代の花形となった。…
最終送り先は大きな畜産取引市場のあったシカゴ。黄金時代は1866~1886年の20年間。カウボーイ(Cowboy)というのは元々キャトル・ドライブという牛を運ぶ危険な仕事をする牛の管理・運搬をやった男達のこと。一万頭の牛を運ぶというのは、1頭が何らかの理由でパニックを起こせば次々に伝播して大量の牛が一斉に暴走する危険な「スタンピード」(stampede) を引き起こす。「赤い河」や「スタンピード」の映画でもスタンピードのシーンが出てくる。更に、テキサスとオクラホマの州境を流れるRed River (映画の題名 – 下流ではミシシッピ河となりルイジアナ州でメキシコ湾に注ぐ)を1万頭もの牛を渡らせるのは至難の業。そして辿り着いたオクラホマは、当時、南部から強制移住させた先住民を住まわせる居留地で、警察も何もない無法地帯で、犯罪者・荒くれもの・流れ物の巣窟で危険極まりない地帯。牛泥棒が待ち構えていた。しかも川には橋がかかっていない。牛を渡河させるのは非常に危険で、しかもスタンピードという牛の暴走が始まるかもしれない。1回のキャトル・ドライブで何人ものカウボーイが当たり前のように死んでいく、地獄の旅だったわけです。従って、カーボーイは拳銃を保持し必要とあればそれを使って闘うのは当たり前。カウボーイが1回のキャトル・ドライブで稼ぐ額は相当なものだった。トレイルの沿線宿場町には一攫千金を当てたカーボーイたちが金を落とす仕掛けの酒・女・博打が大普及するのも自然の成り行き。そこには西部劇の題材となる話がごまんとできても何ら不思議はない。(安田注:スタインベックの小説「怒りの葡萄」では瘦せた土地で生活できないオクラホマに住む家族が新天地カリフォルニアを目指した苦難の旅を描いている。それほどオクラホマは貧しい土地だったのだ。)
黄金時代の20年間(1866~86年)に幕が下ろされるきっかけは、有刺鉄線の導入・普及。長距離の牛の輸送は必要がなくなり、有刺鉄線の塀に囲まれた牛の世話をするのがカウボーイ(というより牧童)となり、ダイナミックにチザム・トレイルをキャトル・ドライブする本来のカーボーイの姿と全く変わってしまった。本来的なキャトル・トレイル時代のカーボーイは尊敬されるべき特別な勇気ある男たちであったのだ。
テキサスの牛は基本的には野生なので原価はゼロ。カーフ・ブランディング(Calf branding)という焼き印をすることで牛の所有権を主張できることになる。「赤い河」では、キャトル・ドライブの隊長トム・ダンソン役のウエインの焼き印は左上に大文字の「D」、横に二本の曲線が斜めに走った印。二本線はRed Riverを表す。ジョン・ウエインは「赤い河」以後の西部劇出演でもこの焼き印のベルトバックルを常に着用していたとのこと。その位、彼はキャトル・ドライブ隊長役トム・ダンソンと一心同体化していたとも言える。
(編集子)いわゆる”カウボーイ”(安田君の定義のいかんにかかわらず)の現実がレコードケースの表紙を飾るようなロマンチックなものでなかったことは想像できる。同期の大塚文雄(フミ)も小生と同じに英語好きだが、彼から ”ぜひ読んでみろ。ただしちいとばかり大変だけどな” と紹介されたのが Lonesome Dove という小説だった。まあとにかく買ってみるさ、と例によってアマゾンに依頼。まもなく到着した本の暑さを見てうなった。842頁、自分が標準として計算しているポケットブックのほぼ3冊分、挿絵もなければなにもなし、1ページ41行、びっしりつまっている。フミへの敵愾心もあって何とか読み終えるのに3か月かかってしまった。しかしこの内容はさすがに濃厚だった。ストーリーはともかく、描写される当時の西部の生活、キャトルドライブでもなんでもいいんだがその生活のすさまじさ、自然との闘い、飢え、なるほど、西部開拓とはこういうものだったのか、となっとくさせられた1冊だった。
映画 チザム。実在した開拓のヒーロー、ジョン・チザムをウエインが、その相棒をごひいきベン・ジョンスンが務めた娯楽ものだが、チザムそのものは筋の上では添え物で、ストーリーの中軸にあるのはビリー・ザ・キッドことウイリアム・ボニーが恩人タンストウールを殺された復讐のため射殺し逃亡、のち、チザムを通じて友人でもあった保安官パット・ギャレットに最後は射殺された(映画ではこの部分はない)という史実をとりまぜた話である。このビリーの復讐を含んだ一連の騒動は地名にちなんでリンカーン・ウオーと呼ばれる。安田君が述べているチザム・トレイルは、西部開拓の引き金になったのが有名なオレゴン・トレイルであるとすれば、その開拓の成果をあまねく広げたトレイルということだ。一度アイダホ州ボイジーへ行ったとき、オレゴントレイルの一部が保存されているところまで行ってみたことがある。映画にでてくるロマンなどとは程遠い、わだちの後にすぎず、日本だったらそれらしい看板の一つもたてる価値がある風景を想像していて落胆したものだった。
世代を越えて―友人を持つことの幸せを実感
(53 林)昨夜は遅くまでお疲れ様でした。久しぶりに美味しい鍋を囲み、居心地の良いバーでの歓談で
(48 佐藤)楽しい会話と美味しい肉とお酒でした。ありがとうございました。帰宅後締めの一杯、では済まず結構やってしまいました。またの機会を楽しみにしています。
(47 関谷)私にとり、久々の、外飲み。楽しい一時をありがとうございました。無事帰宅。風呂に入って、最後の閉めの一杯をフロートでやっています! 又の機会に!
(編集子)日帰りWで久しぶりに顔を合わせ、以前からの計画を実行。小生と佐藤君はちょうど一回り、林君とも1.5回り違い。現役時代の仲間を越えて長く広い交流の楽しさと、もしOB会がなければ知り合うこともあり得なかった友人を持つ幸せを感じたことだった。このささやかなブログがきっかけで出来た”エーガ愛好会”も出発以来初めて、フェイスツーフェイスで会う機会を幹事役の安田君のお骨折りで今月末に開く。KWVOB, 小生会社時代の友人、顧客、それと普通部、高校、大学でのクラスメートと、世代と環境を越えた楽しい会合が待ち遠しい。これはSNS社会にして初めて可能になる交流だ。
梅雨入りの風物詩 (普通部OB 田村耕一郎)
友人からもらったあいさつ状から失敬したものです。日本の夏、が戻ってくるようだと思いませんか?
エーガ愛好会 (152) スタンピード
(小泉) 原題名は「稀な品種」即ちセントルイスで行われる家畜売買会に英
主演ジェームス・スチュアート(サム・バーネット)が不器用なが
るのだった。
音楽が、あのジョン・ウイリアムス、昨今程の強烈なメロディでは
(安田)邦題の「スタンピード Stampede」は、動物の群れの暴走のこと。西部劇に現れる
いちおう西部劇だが、派手な銃の撃ち合いなし、インディアンも騎兵隊も保安官も出て来ない、イギリスの母娘と牛が目立つ風変わりな映画。アイリッシュらしい気丈な女性役のモーリン・オハラ、闊達な娘役ジュリエット・ミルズ、牧場主役ブライアン・キース、57歳ながら殴り合い場面も頑張った老優ジェームス・スチュアート、皆それぞれに適役だった。それからもう一人、いや、一頭のヒーローは、新種の牛です。これが英国国歌の口笛で指示に従うという厄介な牛。スコットランドのバグパイプ演奏、こういう趣向がなかなか洒落ていた。気軽に観れた1時間40分だった。
(編集子)名画 ”駅馬車” の有名な主題曲は西部に古くから伝わったカウボーイ仲間の愛唱歌 Bury me not on the lone prairie である。良く覚えていないが原曲の歌詞に long-horned cow という一節があった。テキサスから延々と大西部を旅したのはこのテキサス牛だったのだ。
ジン・トニックがお好きなようですが (会社時代友人 齋藤博)
(編集子)先日人間ドックへ行って、その結果万事問題なし、ただ体重のコントロールは必要で、アルコール制御といわれただけ、と自慢したら斎藤さんから警報が届いた。ご同様の環境の方も多いと思うので、私信ではあるがご承諾いただいてその一部を掲載する。トニック愛好者の小川先輩、斎藤警告にしたがってバーボンあたりに変更しますかね。
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検査項目中にHbA1cというのがあるのですが、これで1〜2ヶ月
トニックウォーターは問題ですね。砂糖水みたいな
蒸留酒は、糖質を含みませんから、バーボンOK、ウイスキーOK
エーガ愛好会 (151) ベニスに死す
(安田)映画の冒頭、主人公が船で干潟の間を縫って南東の方角からベニスに近づくと、運河の向こうにドゥカーレ宮殿、サン・マルコ広場の鐘楼、サン・ジョルジョ・マジョーレ聖堂、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂、などの姿が次第大きくなり、まさに「ベニスを見てから死ね」の気分の高揚を覚えた。映画の舞台ともなったリド島(ヴェネチア映画祭の開催地としても知られる)にはそこのユースホステルに1週間滞在したこともあり、なおさらであった。リド島はベニスでは最大の島で、アドリア海の1番外海側に位置している。
イタリア映画界の巨匠、ルキノ・ヴィスコンティが、美少年への思いを募らせたドイツ人老作曲家の苦悩を格調高く描いた文芸ドラマ。作曲家グスタフ・マーラーをモデルに描かれたトーマス・マンの原作を基に映画化。少年へ恋焦がれるあまりに破滅へと向かう作曲家の生き様と、その美少年を演じたスウェーデン出身のビョルン・アンドレセンの美ぼうも話題になった。マーラーの音楽と共に描き出される芸術的で退廃的な世界観が見どころ。
1911年、イタリアのベニス。静養に訪れたその老作曲家は、宿泊先のホテルで見掛けたポーランドから来た少年タジオ(ビョルン・アンドレセン)に一目で心を奪われる。タジオへの思いが抑えられないだったが、折しもベニスではコレラがまん延し始め、彼は遂にはコレラに罹患してベニスに死す。
(船津)確かに船であのドゥカーレ宮殿、サン・マルコ広場の鐘楼、サン・
この映画は何度観ても分からん。「やはり美少年趣味」の耽美の世
(菅原)マーラーの番号付き交響曲は全部で10(ただし、10番は未完成)。その殆どが1時間以上と長い。しかも、二三の例外を除き、最後まで聴くのに大変な忍耐と我慢が必要だ。その例外は、1番、4番、それに、安田さんが言及された、5番第四楽章のアダージェットだ(その1/2/3/5楽章は、まるでつまらない)。このアダージェット、小生はアダージョみたいなもんだと思っているが(アダージョとは、「緩やかに」。アダージェットは「アダージョよりやや速く」と定義されているらしい)、アダージョの傑作は、これと並んで、ベートーヴェンの第九の第三楽章だ。第九は第四楽章の合唱が有名だが、小生、この第三楽章の方が好きだ。と言うわけで、興味のある方は、マーラーの第五番を聴いてみたら如何でしょうか。あっ、ヴェネツィアで食ったカルボナーラは絶品、これはマーラー以上だった。
(保屋野)正直、私の(普通人)の「鑑賞眼」には少々ハードルが高い映画でした。この手の映画は、面白いはずはないのですが、いくつかの見応え場面はありました。第一に、何といっても、あの究極の美少年、この世の人間とは思えません。彼の存在だけでこの映画は価値があると思います。私は、彼を見て、何故か「ラファエロ」を想起しました。彼の自画像だったか、彼が描いた「天使」だったか・・・
さて、音楽ですが・・・まず、「メリー・ウイドウ・ワルツ」(レハール)が流れてましたね。(私は「金と銀」だと勘違いしましたが)次に「エリーゼのために」が弾かれてました。ただ、マーラーは良く知らないので、もう一度音楽だけを聴いてみます。最後に、やはりベニスの風景ですね。リド島へは行ったことがありませんが、サンマルコ広場で演奏を聴きながら飲んだ「エスプレッソ」最高の(美味しい)思い出です。
(飯田)何回見ても難解な映画だなーとダジャレでも言いたいところですが、多分2回目です。強いて言えば、少し見るべきところは屋内の広間やレストランシーンのバランスよい多色の色彩感覚がヴィッスコンティ映画では「山猫」でも延々と続く舞踏会シーンでも感じられたこと。意味不明ともとれるロングのパン撮りの撮影シーンが度々出て来て考えさせられるが考えても何も思いつかない愚かな自分を感じること。
同じように分かりにくいイタリア人監督の フェデリーコ・フェリーニの「8-1/2」も似たようなロングパン撮りが沢山あったが、こちらは宗教的な意味合いを感じさせたように思う。淀川長治氏の評価を添付しておきます。彼は最後に“眞に凄い大美術品映画。ヴィスコンティの大名作です”と宣まっていますが、果たしてどこまで理解しているのかと思います。
されど我らが日々
ミサ、こと横山美佐子が不帰の客となった後しばらくして、夫君のヨコさんこと隆雄先輩から、(ミサが書いたものなどだが自分で整理すべきではない、処理を頼む)と送られてきた小包みがあった。かなりの分量のものだった。僕はヨコさんのメモを詳しく読まず、これだけ多くのものを書いていたのか、と長い付き合いだったが改めて彼女のことどもが蘇り、今日までひも解く勇気がなかった。今朝、思い切って開封してみたら、現役時代に作られたいくつかのワンデルング文集だった。
ロマンチスト金井先輩の主宰された清津峡めぐり。KWV史上初の積雪期Wとなった北沢BC,Lは今なお月一高尾の常連である平松さん。”KWVは山だけじゃなく、もっとロマンチックな ”旅” をしようと試みた、L田中新弥 小海線沿線ワンデルング。硬派の代表だった寺田捨巳が意外な面を発揮したスケッチワンデルング。それとこれは小生がやはり言い出しっぺだったのだが、詩文集の形でこころみて、企画に賛成した故細田佳嗣が装丁、命名した ”へのへのもへじ”。
参加者寄稿者の中にはすでに鬼籍にある仲間もいる。半世紀前、僕らはどんな気持ちでいたのだろうか。われら青春の日々、という気がする。今回いわば”発掘”された(なぜこれらがミサの手元にあったのかは永久にわからないが、いいではないか、それも歴史のもつロマンなのだし)4冊は、本日,各リーダーあて送らせていただく。参加した覚えのある向きは各リーダーにご連絡いただければと思う。
ヨコさん、ありがとうございました。