今日、何気なくテレビをつけたら、スーパーボウルの中継番組に行き当たった。
小生はフットボールには関心がないので、いつもならほかのチャネルにしてしまうところだったが、ゲームの開始にあたってのセレモニーだったので何気なく見ていたら、アメリカ国歌が歌われる場面になり、出場選手たちがこれを聞いている場面になった。我が国とは違って、顔だけを見てもいろいろな人種がいるのだなあと改めてアメリカという国の成り立ちを改めて感じた。そのうち、ひとりが黙って聞いていながら涙をながしているのが大写しになった。
彼がなぜ涙を流しているのか、もちろんわからない。この場に参加できるまでの努力とか苦労を思い出していたのかもしれないし、なにかもっと個人的な感激だったのかもしれない。しかしそれが 国歌吹奏の時だ、ということに感動した。勝手な想像だが、彼は自分がこの国に生まれ、多くの仲間たちと一緒にその国歌を聞く、という当たり前のことが改めてどんなにすばらしいことなのか、それに思い当って感激したのではないか。
人種間の対立やら異文化のはざまの問題とか極端な経済格差とか銃暴力とか、我々日本人には理解できない障壁を抱えながら、なお、”自分たちの国” という感情がこの国の人たちにはずっと強いのではないか、という気がした。はじめて米国の地を踏んだ時、いろいろな場所場所に米国旗がひんぱんに翻っているのに驚いた。その時はかなり自分の考え方もひねくれていて(国旗でもない限り自分の国という感情が湧かないんだろう)などと考えていた。ちょうどヴェトナム戦が問題になっていた時期でもあったかかもしれない。しかし今日、すんなりとこのシーンに感激したのは、簡単に言えば愛国心というのかもしれないが、僕らがなんとなく口に出しにくくなっているごくごく素朴な気持ちをこの選手は素直に表していたのではなかったのか。
この種の発言をすればやれウヨクだのなんだのという雑音が聞こえ、建国記念日に国旗を掲げるなんてこともなんとなくはばかられるような、現代日本というのはどんな国なんだろうか。そんなことを思った。名前ももちろん知らないこのアメリカ青年の素直な感情が温かく伝わってきて、彼のゲームでの健闘を祈る気持ちになった。いろんなことが起きている国ではあるが、その原点を支える人たちの善意を改めて感じたことだった。
(船津)日本人とて同じだと思います。
つまり、米国は、絶対王政を選択すべきでした。しかし、歴史は戻ってやり直すことは出来ません。米国は、もしかしたら、例えば、永遠にUnited States of Aの実現に向かって行く、常に青春であり続ける国なのかもしれません。
(編集子)常に青春であり続ける、か。なるほど。スガチューの喝破で一件落着、のようで。