エーガ愛好会(29) 昼下がりの情事 

(42 保屋野)

「昼下がりの情事」初めて観ました。ゲーリークーパー、初見参ですね。ちょっと年食ってますが・・・

タイトルは例によって、ちょっと違和感がありますが、この映画はやはり、ロマンチックコメディーの傑作といって良いのでは。ヘプバーンとクーパー、はもちろん、脇役のモーリス・シュバリエとの競演は、ユーモアたっぷりのセリフを含めて大いに楽しめました。そして、4人の雇われ楽団が演奏する、テーマ曲「魅惑のワルツ」も(ちょっと、しつこかったけど)この映画の主役の一つでしょう。

ただ、大富豪のプレイボーイという役は、ケーリー・グラントとユル・ブリンナーに断られた経緯があったようですが、確かに、クーパーより、私は、ブリンナーの方が適役だったような気がします。

さて、ビリー・ワイルダーという監督は、この映画を始め、、ヘプバーン(麗しのサブリナ)シャーリー・マクレーン(アパートの鍵貸します)マリリン・モンロー(7年目の浮気・お熱いのがお好き)等キュート美人が好きだったようですが、確かに、お得意のロマンティックコメディーにバーグマンみたいな正統派美人は似合いませんね。最後に、ネットでは、ラストシーンに賛否両論があるようですが、私は「列車に乗らないで別れる」方に1票を投じます?

(44 安田)

探偵役のモーリス・シュバリエがヴァンドーム広場の真ん中の、ナポレオンがアウステルリッツ戦勝記念に建てさせた円柱の上からリッツ・ホテルの部屋を双眼鏡で覗き見するシーンから映画は始まる。円柱の頂きにはナポレオン像、円柱には戦争のレリーフが彫られている。映画舞台のゲーリー・クーパーの部屋から窓越しに円柱が常に見えている。映画の舞台は花の都パリの中心の一等地だと訴えているかのよう。このリッツホテルのシーンを見ると思い出すのは、この映画からちょうど40年後の1997年8月、ホテルに宿泊後パパラッチに追っかけられセーヌ河右岸沿いの道路で交通事故で亡くなったダイアナ妃の悲劇だ。妃が出入りした映画と同じ玄関前の光景を思い出す。

舞台となったリッツホテルは、オードリー・ヘップバーンがピーター・オトウールと共演した「おしゃれ泥棒」の舞台にもなり、ココ・シャネルやヘミングウェイが定宿にした欧米人であれば知らぬ人がいない程のパリでは3指に入る高級ホテル。映画の格付けも重要視したのであろう。

映画当時ヘップバーンは28歳、「ローマの休日」でグレゴリー・ペック、「麗しのサブリナ」ではハンフリー・ボガート+ウイリアム・ホールデン、「パリの恋人たち」ではフレッド・アステアと共演、彼女の映画キャリアの最盛期にあたる作品かと思う。服飾デザイナー・ジバンシーの専属となり映画でも洗練された服装が目立っていた(貼付写真参照)。相手役ゲーリー・クーパーは水も滴る男の中の男。彼は当時56歳、死の4年前の作品。「モロッコ」「ヨーク軍曹」「打撃王」「誰が為に鐘は鳴る」のクーパーを知る人にとってはその老いは隠せず、言い分があるファンがいてもおかしくはない。ただし、ヘップバーンとの28歳の年令差を乗り越えて初老の紳士役を色気も失わず魅力タップリに演じていたと思う。洋服姿も格好いい。「脱出」(To Have and Not Have) で共演した25歳違いのハンフリー・ボガート45歳、ローレン・バコール20歳の組み合わせと双璧をなす初老の紳士と若い美女の共演映画だと言って良いだろう。音楽も素晴らしい「「シャレード」でのケーリー・グラントとの共演を観るのが楽しみだ。

父親役のフランスの名優モーリス・シュバリエのいかにも家父長然とした落ち着きのある演技が、一般には不釣り合いな年齢の男女の組み合わせの恋愛物語に潤滑油的役目を見事に果たしていた。ビリー・ワイルダーお得意の軽妙なロマンチック・コメディー映画だが、ユーモアとウイットに富んだ会話が売りとなれば女優はヘップバーン、モンロー、マクレーンは適役だろう。エリザベス・テーラー、バーグマン、デボラ・カーでは似合わないと思う。

最後にラストシーンの結末だが、「カサブランカ」のバーグマンとボガートは同行するか否か、「第三の男」のキャロル・リード監督と小説作者グレアム・グリーンの墓場でのジョセフ・コットンとアリダ・ヴァリの異なる別れ方と同様、物議を醸す出発する列車に飛び乗るか否かの結末であった。一般的には20代の女性が60才近い男性に未来を委ねはしないだろうが、映画は夢を売るのが最も大事な役目の一つ。あの終わり方で良かったと思う。

主題曲「魅惑のワルツ」は映画の両輪の一つになっていたのは確かでした。片肘張らずに気楽に楽しめた面白い映画でした。

(編集子)

映画より音楽の方が印象にある一例かな。クーパー、悪くなかったけどなあ。列車に乗らずに別れる、シーンならやっぱり 旅情 のロッサノ・ブラッツイとヘプバーンのほうが小生の趣味。

 

 

 

 

”荒野の決闘” を観ました (33 小川義視)

第三波の襲来、厄介な事態ですね。皆さんお元気なようで何よりです。

エーガ愛好会「荒野の決闘」、アマゾンプライムで検索して鑑賞しました。(ホントに便利になりました)。懐かしいの一言、併せてあの映画の見られた時代を懐古しております。

それにしても、エーガ愛好家の皆さんだけあって実に造詣深いのに驚きです。

My Darling Clementine  をかの 雪よ岩よわれらが宿り と、山好きの人々にとっていまや聖歌と言える愛唱歌に仕立ててくれた、京都大学山岳部の方だったに改めて感謝。その Clementine が彫り付けられた牧場の柵をあしらったタイトルバックもまた心に残る。”

京都大学山岳部とは初めて知りました。小泉さんのコメント通りにあのタイトルバックと音楽だけで充分でした。何処にコメントしたらよいのかブログのコメント欄に当初返信してしまいゴメンナサイ。

(小泉) 相変わらず、アマゾンプライム等の最先端の情報関係を駆使できる先見性には敬意を表したいです。

当方は新しいものへの取っ掛かりにはとても踏み切れない状況です。エーガ愛好会の方も、映画館での映画は今年珍しく正月に「スターウオーズスカイウオーカーの夜明け」「ダウントンアビー」「キャッツ」と3本を観た以外ご無沙汰です。それでも愛好会の人たちも、コロナ禍の影響もあり、中々映画館まで足を運べないことから、TV特にNHKBSでの映画に関する投稿が多いので、何とか一緒になって話題を追うことが出来ております。今年の5月ごろから、NHKBSでは、金曜日が、どうやら西部劇と決めているようで、出来るだけ金曜日だけは、観て投稿するよう心掛けている次第です。

NETFRIXやAmazonPrimeと言った小生にとっては最先端のものへの取っ掛かりがなかなか出来ないでいるのが現状です。
是非とも新しい情報等、先輩の方からブログへの寄稿も期待したいです。どうか大変な情勢下、お身体をお大事にして下さい。

(中司)小川さん、お久しぶりです。お便り楽しく拝見しました。

小泉さんを主軸に愛好会なるものをやっておりますが、結果としてオールドタイマの回顧が多くなっています。ぜひ、ご投稿(小生あてメール)お願いします。
雪よ岩よの話ですが、小生の勤務先の当時の社長が京大スキー部のOBで、有名な今西博士(個人だったかどうか覚えていませんが、あるいは当時の山仲間の方だったのかもしれません)だと聞いた記憶があります。
月一度の高尾山ハイキングも第三波のうわさで今月は中止になりました。ま、環境保全にはいいのかもしれませんね。中京地区の具合はいかがでしょうか。

米国大統領選挙について (36 高橋良子)

先日、日本経済新聞の朝刊記事をお読みになられた方も多いと思いますが、トランプ大統領の失敗はコロナ対策だけではなく所得格差を一段悪化させたこと、つまりトップ1パーセントの富裕層の資産は36兆ドル、4年間で4兆ドル増加したが、中間から下半分の人々は全財産を合計しても2兆ドルしかないということでした。

雇用は2割近く減少、成長の原動力である中間層も育てられていない、巨大企業の市場独占をさせたことである、というようなことが書かれていました。この記事ばかりではなく、テレビ等で伝えられている米社会の深刻な分断の一番の原因は著しい貧富の格差であることは間違いないでしょう。

貧富の差は貧困問題を引き起こし、米社会で絶えずくすぶっている人種差別問題を深刻化させ沢山の白人至上主義者の台頭をゆるしているのではないでしょうか。ヨーロッパ人によってアメリカ大陸の岸辺につれてこられた黒人たちは奴隷制から解放されたといえ、白人と平等になれないまま過ぎまもなく白人の敵として立ちあらわれることになろう、とA.トクヴィルは言っいます。日本は単一民族国家でありこのような人種問題を心配することなく暮らせることは幸せなことです。

とにかくバイデン大統領が勝利したことに安堵しました。新大統領によるアメリカの秩序回復を願いたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

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秋を訪ねる旅 (44 安田耕太郎  42 河瀬斌)

(安田)雲一つない快晴に恵まれた錦秋の甲州(旧勝沼・塩山・大和) に一泊二日の旅をしました。心が穏やかに和む美しい日本の風景です。木々の素晴らしい色彩のグラデーションをはじめ、風景があまりにも綺麗なので写真貼付を多めにしてお伝えします。ブドウ・桃の収穫が終わり、甲府盆地の寒暖の大きな差を利用して名物の干し柿作りが風物詩の秋の盆地風景です。

萄畑の中に位置する民宿からは甲府盆地の向こうに南アルプスが眺望され、雄大な景色を堪能。日の出すぐの朝日に輝く標高3000m超の白峰三山と前衛の鳳凰三山、夕焼けの荒川岳と赤石岳(と思う)。
塩山の名前の由来となった「塩の山」(553m)に登った。「四方の山」の音が変化して塩の山>>塩山と呼ばれるようになったと言う。盆地の中の独立した山からの眺めの素晴らしさは言うまでもない。
眼下の独立した「塩の山」の西方はるか遠くに右から北岳・間ノ岳・農鳥岳を望む。右側前衛は鳳凰三山。北岳まで直線で50キロ。右端の地蔵岳頂上のオベリスクが肉眼でハッキリ見えた。
武田家終焉の場所天目山では武田勝頼自害の地と墓のある景徳院を訪れる。織田・徳川連合軍に追われ1582年3月勝頼自害・享年37、妻19歳、嫡男16歳と共に。「本能寺の変」の3ヶ月前。
その他、大菩薩峠へ向かう峡谷、紅葉、由緒ある寺院、甲州ワインのシャトーなど訪れた。名物のほうとう鍋、蕎麦などで舌鼓を打ったのは言うまでもない。
(河瀬)美しい写真をたくさんありがとう。風景、天気だけでなく写真のアングルが素晴らしい。塩山の恵林寺は春に行ったことがありますが、大木の枝垂れ櫻が満開であったのを覚えています。
八幡平松川林道
私は二週間前に八幡平と青森の白神林道へ家内と行きました。八幡平は降雪で登れませんでしたが、後者の長さ100Kmの林道は幸い通れました。その半分は未舗装ですが、ブナの森に楓が混じった紅葉はとても綺麗で、3時間要したダー
トの道を楽しみました。
白神林道
十二湖金山の池

(編集子)なかなか仲間内のワンデルングもままならないのに、そういう時に限って快晴が続くものだ。おしどり夫婦2組の秋を訪ねる旅は素晴らしい解決策なのかもしれない。

コロナ第三波について  (34 船曳孝彦)

このところコロナ新患者は増えてきています。第2波が8月上旬にピークとなりその後減ってきていましたが、9月中旬から下げ止まりのプラトーとなっていましたが、10月中旬から第3波(日本の)と言っていいような漸増が始まっています。累計患者数は9万人を超え、中国を抜いてしまいました。週当たり400人の患者数の勢いは、黒木氏によれば倍増時間ほぼ4か月で、このままだと次の4か月後、3月初めには累計数20万人となる可能性があります。

時を同じくしてヨーロッパでは急増しています。第1波が長かったので、今を第2波とする見方が多いようです。フランスなどで生活上の最重要慣習である夏のバカンスの影響が出ているとみなされ、さらにVirusの明らかな変異が証明されています。中国株から変異したヨーロッパ株から新しいヨーロッパ株へと変異し、重症度・死亡率はやや低くなっていますが、伝播力は強くなっています。

恐らく日本で増えてきている新患者は新ヨーロッパ株ではないと思われますが、観光客ゼロを改善しようと政府では入国制限緩和が検討されていますので、「危ない」と叫ばざるを得ません。

国の新型コロナ政策としては、未だにチグハグな状態が続いています。検査体制を充実させるといいながら、検査データの一本化は進まず、被検者の状況による検査料負担にも大きな差が出ています。クラスター検査などで、被検者の検査がどこで行われるかにより、都府県ごとの発生率に影響してきています。また、一部の医療機関ではビジネスチャンスと高額な検査費で稼いでいるとも聞きます。全部無料化までとはいかないまでも、ここに補助を出してしかるべきだと思います。私自身旅行を計画しておりますので言い辛いところではありますが、GO-TOトラベル、GO-TOイートには惜しげもなく国費を使っています。

巷では明らかに緊張感が取れてきているように思えます。先日も大学生風の10人ほどが路上で大声をあげていました。最近の研究では大声などで発生しやすい5μm程度のエアゾルの状態では長く大気中に留まっており、感染の最大要因が空気感染であることが分かってきました。これだけの微粒子ですからマスクを通り抜けますが、マスクしているのとしていないのとでは2桁の差が出るといわれています。マスク着用の意義が増しています。一方で、野球場の観客席とか、クラシック音楽会などの観客性はもう少し緩和してもよいと思いますし、ゴルフ大会の観客はソシャルディスタンスが取れるような棒状の物(危険性のない)を持って歩くようにしたら無観客試合にしなくて済むのに、などと考えます。工夫が足りないと思います。

新型コロナウィルスによる影響は数年続くという見方があります。 息長く付き合うため、大いに工夫し、楽しく過ごしましょう。

 

アメリカ大統領選に思うこと  (37 菅谷国雄)

銃を持たなければ投票所に行けない、アメリカは相当傷んでいます。今正に進行中の大統領選挙を見て誰しも思うことは、今日のアメリカ社会の対立・分断の傷は相当深い、ということです。

特にこの4年間は、大統領たる最高権力者の発信がこの対立分断を一層煽り、混迷の度合いを深刻なものにして来ました。かって、民主主義を標榜する各国のリーダーとして存在し、その寛大さや自由闊達さに寧ろ憧れさえ抱いたアメリカは、何処かに逝ってしまいました。

塾祖・福澤諭吉が「文明論の概略」の執筆に当たり、手本としたフランスの政治思想家・アレクシ・ド・トクビル(1805~1859)の「アメリカのデモクラシー」の序文に「道徳の支配無くして自由の支配を打ち立てることは出来ない。民主主義に於いては、人々は自分たちにふさわしい政府を持つ」と書きましたが、2世紀近くを経た現在もなお、心に沁みる言葉となりました。

いずれ選挙の結果は確定し次の時代が始まります。専制独裁の習近平やプーチンの野望は尋常でありません。民主主義を標榜する各国が結束し、新しい秩序を模索していくことが急がれます。我が国も、周りに右顧左眄することなく信念を以って発信するリーダーの存在が問われています。世話役・事務局長が相応しい人材を総理に選んだ我が国のこれからが心配になります。

追伸: 分断・対立はアメリカだけではありません。文明の衝突、文化・宗教の対立だけでなくその原因、根っこにあるのは富の偏在にあるのでしょう。2014年に刊行され世界中で話題となった、トマ・ピケティの「21世紀の資本」を改めて読み直します。博学・諸兄妹のご高説もお聞かせください。

 

 

 

東北の紅葉・温泉・山登り Go to Travel 利用旅 (39 堀川義夫)

10月15日(木) 今日から先輩1名、同期2名の4人で東北の紅葉と温泉と山を楽しむ旅行に出かけました。折からのGo to Travel のお陰で新幹線代、レンタカー代、4泊の旅館代すべて含めて@12万円ほどの旅行がなんと地域共通クーポン分も差し引くと半額になり、ちょっと贅沢な旅をして来ました。まずは、新青森経由弘前に行き、レンタカーを借りて弘前城を見学。桜の時期以外に訪れたのは初めてのことです。岩木山がりっぱに見えます。

 

今日の宿はいささか女性好みではありますが、ランプの宿として有名な青荷温泉です。大変旅心をくすぐるムード溢れる宿です。難点は薄暗くて年寄りには良く見えない!!折角の料理もよく見えないので、美味しさが半減、曰く、明るいところで食事したい! 部屋でもみんな物探しに時間を費やすという半盲目状態に結構疲れてしまいます。ランプ専用の小屋があり200数十のランプを毎日、整備しているそうです。温泉はいくつか有りどの湯もいい湯でした。

 

10月16日(金) 東北旅行2日目

今日は同行の滝が大好きな友人の願いで、日本100名爆の中でも2、3位と言われる安(やす)の滝見学に行くことにしました。場所は森吉山の近くでマタギの里として有名な阿仁の打当 (うっとう) 温泉から、さらに10kmほど林道を行き、更に小1時間歩いてやっと滝を見ることができる秘境の滝です。周りの紅葉も素晴らしく往復の歩行も楽しい物でした。明日からの登山の良いトレーニングになりました。見学後は約1時間半程で新玉川温泉にチェックイン。岩盤浴を楽しみ料理はバイキングですが大変美味しく、秋田の銘酒に舌鼓を打ちゆったりすることが出来ました。

10月17日(土) 東北旅行3日目

今日は秋田駒ヶ岳に行く予定ですが、雨模様なので宿の出発を1時間遅らせゆっくりと出発しました。今日は土曜日で交通規制があり、八合目まではシャトルバスで行きます。到着時には雨も止み、なんとか登れそうです。爆裂口跡の脇を通り順調に登ると紅葉が見事です。田沢湖もみえてきました。でも、生憎なことに頂上付近にくるとガスが出始め、風も冷たく雪がちらつき何も見えません。避難小屋の寒暖計は−3°Cで寒いはずだ! 下山を早め予定より早いバスで戻り今日の宿泊地である南花巻温泉の開湯1200年と言う山水閣にチェックイン。今晩も豪華な料理で至福の時を過ごしました。

 

10月18日(日) 東北旅行4日目、5日目

今日の目的地は栗駒山です。朝食後直ぐに出発して須川高原へ。紅葉の最後の見頃の日曜日で、しかも天気も良いのですごい賑わいです。やっとのことで駐車することが出来早速アタック開始! まだまだ紅葉を楽しめ思い出に残る良い登山ができました。年内に近郊のハイキング程度は行くと思いますが、私の今年の最後の遠征登山でした。宿泊は鳴子温泉へ、今回の旅行で一番豪華な部屋と食事を楽しみ、翌、19日(月)に東北新幹線の古川でレンタカーを返却して帰宅の途に。レンタカーの走行距離はなんと6300km、ハイブリッド車だったのでガソリンはなんと28リットルしか使用しませんでした。

 

 

 

20年10月 月いち高尾報告    (39 堀川義夫)

 

7月以来の月いち高尾を開催しました。コロナ禍が治まったわけではありませんが、良い意味で皆さんが少しコロナ慣れしてきたのか(?)26名の参加を得て、また、天候にも恵まれ楽しいワンデリングが出来ました。

コロナ対策としては、ワンデリング中の密を避けるため4班に分けそれぞれのリーダーのもと、皆さん久しぶりのワンデリングに楽しい時間を過ごすことが出来ました。

定刻10分前には全員が集合し、意気込みを感じます。今回から新しく参加された下村さん(42年)、猪俣恭子さん(43年)織戸さん(55年)を紹介した後、各班に分かれて出発しました。その後は、午後1時に頂上のテラスで集合写真を撮ること以外は全て班ごとに行動して頂き、最後は希望者だけで何時ものてんぐ飯店で22名の参加を得て打ち上げを開催しました。唯一、心配なのがこの打上で、てんぐ飯店を貸切にしたのですが、やはり密になってしまいました。でも、凄く楽しい時間でした。皆さんも日頃の行動から解放され、のびのびされたのではないでしょうか? リーダーの私も久しぶりで色々とチョンボをしてしまいました。各班の写真を提供してもらい損ねました。従って、集合写真以外は全てケーブル利用班のものです、ご容赦ください。

参加者  合計 26名

  • ケーブル利用班 後藤三郎、中司、平松、椎名、堀川(L)、相川、猪俣、猪俣(恭子)  8名
  • 1号路班    翠川(L)、吉牟田、高橋(良)、深谷、遠藤、浅海    6名
  • 稲荷山班    三島、藍原(L)、久米、久米(行)下村、安田、織戸   7名
  • 大垂水班    菅谷、矢部、岡沢(L)、武鑓、関谷 5名

 

エーガ愛好会(27) カサブランカ

(保屋野)5回目の「カサブランカ」、ビデオでじっくり観ました。脚本、俳優、音楽と3拍子揃った、やはり、名作中の名作ですね。でなければ、5回も観ません。

今回、初めて気がついたことがあります。私は、これまで、戦後に制作された映画だと思っていましたが、何と戦争中に制作されたのですね。ネットによると、アメリカ参戦直後に制作された、ドイツを悪者にした「プロパガンダ」映画でもあるそうです。ですから、当然、モロッコ~カサブランカでのロケは無理なので、実際は、アメリカで撮影されたようです。もう一つ。当時カサブランカはフランス領で、ドイツの傀儡・ビシー政権の管轄下にあったものの、実質的なトップであるドイツ軍少佐が何故警察署長に遠慮して?(お尋ね者)のラズロを即逮捕できなかったのか、少々疑問。

ニヒルなボガードと美しいバーグマン、そして、黒人のピアノ弾き、日和見・警察署長、太った顔役、ラズロ役・・・皆、個性あふれる俳優でした。特にラストシーン「(賭に負けた)1万フランは2人分の飛行機代に」という署長のセリフが憎いですね。

(金藤)遅ればせながら「カサブランカ」初めて観ました。評判通り、とてもよかったです。 

イングリッド・バーグマンの美しさは言うまでもなく、ハンフリー・ボガートは美男ではありませんでしたが、男らしく格好よかったあ。
雨の中 駅でバーグマンを濡れたトレンチコートを着て待つ姿、最後に飛行機を見送る時に着ていたよれよれになったトレンチコート。
トレンチコートが彼の心の内を語っているのでしょうか?格好いい男性のトレンチコート姿は、こうでなければ!と思いました(編集子注:申し訳ないけど、俺だってもう30年は着てるよ。アナタやミッキーと毎日顔を合わせてた頃はどうだったか、記憶にないけど)
台詞回はお洒落で、昔の恋人と再会して、俺たちにはパリがある なんて言えますか?流れる曲も、ピアノ弾きのシーンも、ラ・マルセイエーズの合唱も良かったです。最後もホッ、しみじみ・・・ 良い映画でした。
君の瞳に乾杯🍸 Here’s looking at you,kid
  と書きたくなる 気持ち大変良くわかりました。

(小田)名画なので本当にいろいろなセリフがシェクスピアのことばのように使われているのですね。保屋野さん君の瞳に乾杯……のお言葉ありがとうございました。でも目も若くはなくなってきましたので、

“ゆうべはどこにいたの?”
“そんなに昔のことは覚えてない”
“今夜会ってくれる?”
“そんなに先のことはわからない”

が最近には近いかと。

(安田)主題曲 「アズ・タイム・ゴーズ・バイ(As time goes by) – 時の過ぎゆくままに 」 は素晴らしい。監督は、後年ハンフリー・ボガートが主演した映画 「俺たちは天使じゃない」 1955年でもメガホンを執ったハンガリー出身のユダヤ人マイケル・カーティス。公開は1942年。同じ年にチャップリンのサウンド版 「黄金狂時代」 とゲーリー・クーパーがヤンキースの不世出の野球選手ルー・ゲーリックを演じた「打撃王」 が公開。全米脚本家組合 (Writers Guild of America) が「歴史上もっとも優れた映画脚本ベスト101」 というリストを発表していて、第1位に 「カサブランカ」、第2位 「ゴッドファーザー」、第3位 「チャイナタウン」、第4位 「市民ケーン」。ちなみに、「ゴッドファーザーPart2」 10位、「アラビアのロレンス」 14位、「アパートの鍵貸します」 15位、「ショーシャンクの空に」 22位、「風と共に去りぬ」 23位。アメリカ以外の映画は選考に入ってない。

体制側であるはずの植民地警察の署長がイルザと夫ラズロの逃亡を見逃す飛行場のシーン、阿吽の呼吸で逃亡を助ける協力をしたボガートが署長役のクロード・レインズへ、「 美しい友情のはじまりだな 」  (This is the beginning of our beautiful friendship) と言いつつ満足げに並んで立ち去るシーンには爽やかな男気を感じ清々しい。

名セリフの多い映画だが、特に印象的だったのは 空港で別れ際にリックがラズロに向かって言う 「昨夜イルザが私のところまで来ましてね。出国ビザの件です。手に入れるために、まだ私を愛していますとまで彼女は言いました。でもそれはずっと昔のことです。あなたの為についた嘘ですよ」。このセリフを背中で聞きながら、イルザは涙を拭っている。ハイライト場面のひとつだ。

他にも名セリフが目白押しだ。今でも忘れえない幾度も出てくる名セリフ 「Here’s looking at you, kid] は特に有名だ。直訳すると「君を見ていることに乾杯!」 という意味だが、名和訳  「君の瞳に乾杯!」 が誕生した。末尾のkid は若者、若いの、子ども、という意味だが、ボガートとバーグマンは実年齢16歳離れているので、ここでは親しみを込めて「ねえ、きみ」 くらいの感じであろう。映画制作当時、ボガート43歳、バーグマン27歳。 この 「君の瞳に乾杯!」 のシーンは映画を通して4回出てくる。 

さらに名セリフは続き、「昨日はどこに? そんな昔のことは覚えてない」 「今夜会える?そんな先のことはわからない」。 ルノー署長はリックの出国の意図を聞いて彼へのセリフ 「寂しくなるな。俺よりハレンチなやつがいなくなる 」。 ラズロのリックへのセリフ 「私はいい。彼女を助けてもらいたい。彼女と一緒にカサブランカを出て欲しい。私だってそれほど妻を愛している」、リックのイルザへのセリフ 「愛しているから。だから行って欲しい。君は彼の一部なのだ」。 正に会話のアクション映画である。

(編集子つけたし)

ロック・ハドソンが主演した トブルク戦線 の冒頭に、保屋野くんが言及しているヴィシイ政権下のフランスの状況がちょっとだが出てくる。第二次大戦のヨーロッパ解放についてはノルマンディ侵攻(映画で言えば史上最大の作戦)がいつでも出てくるが、歴史家リック・アトキンソンによると、北アフリカ戦線に投入されたアメリカ軍がドイツの名将ロンメルを制し、アフリカからイタリーへ転戦(有名なアンツィオの激戦を舞台にしたのがヴァン・ジョンソンの 二世部隊)、勝利したことが欧州の運命を決定したのだそうだ。この北アフリカ侵攻が始まったのはカサブランカのすぐ北、アルジェリアの海岸からで、この映画の背景になっているように中立国への逃避や亡命を図った人たちはどういう立場にあったのだろうか。また、ドイツの敗北を決定づけた英米両国の主脳会談がおこなわれたのもカサブランカであったし、そういう意味からも興味がある映画だ。

フィルムの持つ雰囲気、そのほかについてはあえて言うまでもない名画!

 

 

 

コーヒーブレーク

定期に通っているかかりつけ医で採血のため朝食抜き、といわれていたので、終わってから仙川の街へ出て、ミスドでドーナツ二つとコーヒーでブランチにした。この店でいつもきまって選ぶのがハニーディップというやつで、これにはある思い出がある。

生まれて初めてアメリカの土を踏んだのは1967年9月。まだまだ ”日本人“ はサンフランシスコ郊外という親日性の高い地域であってもあきらかなマイノリティ扱いだった。オリエンテーションを担当してくれた男は、”俺はゼロ戦と戦ったことがある”と自慢したし、苦労して新聞広告で探し当てた、低所得住民地域の長屋では、隣の職工さんが興味を持ってくれたのはいいが、Do you have dogs in Japan ? と大真面目で聞かれた時ばかりは耳を疑った。日本、への関心はそんな程度で、悪人じゃないが面倒をみてやらなければならん敗戦国の人間、というのが標準的アメリカ人の見方だったのだろう。

だからもちろん言葉のこともあるが、もうひとつ、人間関係に踏み込めない毎日だった。そのような中で付き合いを広げるのに役立ってくれたのが、コーヒ-ブレーク、という日本では考えられない制度だった。毎朝10時と午後3時、職場にコーヒーポット、プラスチックカップと山盛りのドーナツを載せたカートがやってくる。周りの人間は手を休めてほぼ10分くらい、その周りで雑談をする。なかにはドーナッツを三つも四つもとって朝飯代わりにする若いやつもいた。当時のヒューレット・パッカードでは本社でも個室を持っているのは日本流にいえば会長のパッカードと社長のヒューレットだけで、みんな同じようなデスクが並ぶのがオフィスの在り方で、当然、両創業者もオフィスから出てきてこのブレークに加わるし、もし来客があればその場所につれてきて歓迎する、だれかれなしに よお、どうしてる、とか、先週の釣りはどうだった、とか、話が弾む。隅にいる僕には特に目をかけてくれる人が多くて、冗談交じりにいろんなことを教えてくれた。このような職務を離れて個人としての会話がとても貴重な英語の勉強の場であり、市井人の素顔を知るのにどれだけ役に立ったか、計り知れない。

当時のHP本社

当時僕が勤務していたのはいわゆる本社で、5棟の2階建てのオフィスと工場があった。従業員は少なくとも2000人くらいにはなっただろうから、そこへ定時にコーヒーを届ける、というのも大変な手間だったはずだ。コーヒーはともかくとして、あれだけの数のドーナツはどこから仕入れていたんだろうか。ミスタードーナツは50年代の創業だから多分そこからだろうとは思うのだが、パロアルトやメンロパークといった街角で店を見た記憶はない。

ただ、いずれにせよ、コーヒーカートにかならずあったのが日本では見たこともなかったハニーディップ、というやつだった。もう一種、これはどこでも見かけてドーナッツ、といえばすぐ頭に浮かぶ、どこの喫茶店にもあるような、シンプルで薄く砂糖をまぶした奴、あれは今のミスドにはない。あれだけ何種類もあるのに、である。代わりに選ぶのがオールドファッション、というやつだが、あれは ”あの時の“ コーヒーブレークカートには載っていなかった。

それから。

かのグローバリゼーションとかいう見栄えのいい企業イメージを支えるための現実のまえに、いつの間にかコーヒーブレークは姿を消してしまった。

”人が企業をつくる“ というパッカード、ヒューレットの創業理念が浸透し、職場のコミュニケーションを図ることがマネージャの第一義務とされていた、アメリカ企業ベスト50(20だったかな)の常連だった、”古きHP” はすでに過去のものとなってしまった。自分はケイオーの出身だ、ということと、“あの” HPで育ててもらった、というふたつの事実が僕の誇りであるのだが。