しっくりこない新聞記事について・続編

先日、気になっていた新聞記事のことを書いたら、話があれよあれよという間に拡大してしまい、メル友グループの中で言葉遣いとかアクセントとか、面白い話題を提供してもらった。その中で、HPOBの菅井君が言っているようにコトバ自体は時ともに変わっていくものだし、現在のように科学技術が人間を置き去りにして変化していくあいだに、感覚もそれを表現する手段としての言語も変わっていくのは間違いないと思う。しかし一方では、やはり自分の時代、という感覚はあるものだし、時代の変化に伴うコトバについていけない、あるいは行きたくない、というような思いもどこかにあるのではないか。有名な 明治は遠くなりにけり、という一句を昭和に置き換えてみることもしばしばある。人間はふたつの時代には生きられない、という龍之介だったか寛だったかのコトバを僕は真理だと思っている一人なので、余計そのような変化に敏感なのかもしれないのだが(もうひとつ、えらそーに言ってしまうと、僕は 二つの時代に生きられる人間 というのはどちらの時代にも真剣に生きられない人間、だと思うのだ)。

いくつかのメールの中で、KWV42下村君が指摘された、国会中継などでよく耳にする、 “……となってございます” という妙な言い回しには小生も困惑するし、いかにも役人コトバらしくて好意が持てない。また同じように違和感が深いのは “いただきます” という文句がめったやたらに使われることである。 そもそもこのフレーズは相手の立場を尊重した丁寧語だったり、食事などの時に使う場合は誰であれ食事を食べさせてくれる人や環境に、単純に感謝を表したりするものだと思うのだが、どうもあの見掛け倒しのいんちき総理大臣が トラストミー とか 少なくとも本土並み、なんて誰が考えても無理な論理をふりまわしながらせめて大向うの歓心を買おうとでもおもったのか、妙な丁寧語を連発しはじめてからではないか。ただ “します” といえばいいだけの場所に本人は丁寧語のつもりらしいが、結果としては慇懃無礼、かえって馬鹿にされたような気持ちになってしまうことが多い。

日常生活の場でも、この “いただきます” が妙な使い方だと思うのが料理番組だ。料理が完成したとき、たとえば、ソースをかけて、….食べます“ といえばいいのに ”……いただきます“ というのはおかしくないか。料理が出来上がったら食べるのは自分であって、他人から頂戴するものでもない。こういう言い回しを重ねている間に本来の意味がかわってくるのか、自分がいただく、のだから、と考えたのか、”あなた、どうぞ、“いただかれてください” と、中年すぎの婦人から言われた時には目をむいてしまった。”召し上がってください“ というゆかしい日本語をご存じないのか。親の顔が見たいものだと思ったことだった。

“いただく” の延長なのかもしれないが “…….あげる” という動詞も妙な使い方をされているひとつではないか、と思うことがある。自分の子供に面と向かって ”バナナをあげるよ“ というのは当たり前だが、第三者と話をしているときに ”娘にバナナを上げる”、とか、さらに愛犬家が例えば友人に向かって、自分の犬に “フランスパンをあげるの” というのはおかしくないか。決してワン君を蔑視するのではないが、この場合は ”パンをやる“ のではないだろうか、と思うのだが。

話はちと変わるが、先回この話題は ”新聞記事で“ という限定詞をつけて書いた。高校時代、新聞会という部活動をしていたときの感覚があったからだ。その意味での付けたりなのだが、記事の内容ではなく、新聞紙面の作り方について、最近 ”!“ と思うことがあった。

新聞記事は特殊な業界紙などを除けば、縦書きの文章が、紙面に10段ないし11段くらいに右から左へと配置される。そして写真とか見出しなどが多くの場合、数段の場所をとって縦書きの文章の間、各所に置かれるから、紙面全体を左右を通してある一つの段が貫通することはない。

船津君と小生が所属していた高校新聞では、記事を書くほか、実際の紙面の割り付けを考え印刷所に指示する作業もあったが、この段階で厳しく言われたのは、右から左へ、縦書きの見出しや写真で遮られない、つまり左右貫通してしまう段がある紙面は ハラキリ と称してあってはならない、ということだった。この常識は今はもうないのか、先日、購読している読売の紙面で、忌むべき(といまだに思っているのだが)ハラキリを発見してしまった。編集作業まで高度に機械化されてしまった時代、よき時代の慣習は顧みられないのだろうか。

世の中、コトバが代わるように人々の美意識や伝統とか慣行に対するある種の敬意、などというものもまた、変わってしまうのだろうか。スマホにテレビ全盛の世の中だが、小生にとって新聞というのはある種の魔術的(?)魅力を発揮しつづけているので、こういうことが気になるのだろうか。