皐月徒然・上野東照宮の春牡丹 (普通部OB  船津於菟彦)

時は巡り皐月です。「冬牡丹」についで「上野東照宮の春牡丹」満開とかで訪れてみました。

上野東照宮は、寛永4年(1627)、藤堂高虎と天海僧正により東叡山寛永寺境内に創建されました。藤堂高虎は津藩主で築城技術に長け、江戸城を築城した人物としても知られています。天海僧正は、徳川家康公のブレーンとして有名で、江戸の町の設計にも大きく関わりました。江戸の町づくりに大きな影響を与えた2人が創建に関わった上野東照宮は、寛永寺とともに江戸城の東北、鬼門の方角を守護する役割を果たしてきました。

現在の建物は慶安4年(1651)に造営されたものです。社殿・唐門・透塀は、金色に輝く大変豪華なもので、度重なる震災や戦火をくぐり抜け、現在に江戸建築の真髄を伝え、国指定重要文化財にも指定されています。

また寛永10年(1633)に酒井忠世が奉納した大石鳥居や江戸期に全国の諸大名が奉納した48基の銅灯篭も同じく現存し、国指定重要文化財に指定されています。
春の桜、秋も紅葉をはじめ季節折々の美しい風景を楽しめることも魅力ですが、中でも上野東照宮ぼたん苑では、冬牡丹が40品種なのに対して、春牡丹は約110品種ほどありますが、やはり春が一番の牡丹の時期になりますので、ボリュームも品種も多くなっております。冬は、1月から2月の二ヶ月程、春は、4月の中旬から5月の中旬までの一ヶ月程、開苑致しております。別な所で温室で栽培して植え替えているとのことです。
牡丹の花は「富貴」の象徴とされ、「富貴花」「百花の王」などと呼ばれています。日本には奈良時代に中国から薬用植物として伝えられたとされ、江戸時代以降、栽培が盛んになり数多くの牡丹の品種が作り出されました。中国文学では盛唐(8世紀初頭)以後、詩歌に盛んに詠われるようになり、日本文学でも季語として多くの俳句に詠まれ、絵画や文様、家紋としても親しまれてきた花です。
我がパートナーの一句 「天つ日へ緋の牡丹のためらわず」 聖子
「冬牡丹」2022年1月10日に撮影 冬牡丹は薦被りで風情があります。