置き配というシステムは、新型コロナ禍で始まった緊急避難的な業務遂行方法だと思っている。つまり、Amazonを始めとする通販会社によって、その販売を継続させるために考えついた戦術に過ぎなかった。新型コロナ禍でこの方法が始まって、禍、すなわち難儀でなくなっても、この置き配は続くのだろうかと思う。
新型コロナ禍の前から、少子化という視点も含めて、宅配業者にとって、宅配すべき物品をどのように効率よく受取人に渡すかが問題になっていたように記憶している。たまたま降って湧いた新型コロナ禍で、追加コストをほとんど掛けずに、物品を受取人に渡す算段がついたのは、ラッキーだと思う。
私の住むマンションには25年前から宅配ロッカーというものがある。近くの駅にはヤマト運輸関連のPUDOステーション(Pick Up & Drop Off station)というものがある。これは佐川急便の宅配でも使える。近くにはコンビニがあり、宅配をコンビニで預かってもらうことも出来る。最近では戸建て用の宅配ロッカーもあるようだ。実にコンビニエントな都市生活になったものだ。我が家では、宅配のお兄ちゃんお姉ちゃんが暑いさなか荷物を届けてくれると、一杯の麦茶を出すのが恒例になっていた。配達員のご苦労をありがとうと言葉とともに伝えていたつもりであった。一杯の麦茶を出すのは、生産性と言うか効率の観点では最悪かもしれない。でも、私の周りにいる人と人とのつながりではないかと思う。
タブレット注文も、Giさんの仰るとおりだと思う。追加であるが、メニューでもタブレットでも、舐めて味がするわけない。どちらでも良いじゃないかと、お店にとっては集計の手間を掛けずにできるのが良いというわけなのであろう。自分の好みや、子供のアレルギーでの禁忌な物の問いかけも出来ない。色々と食事制限のある身にとっては、困る。北京オリンピックで天井から食事がおりてくるのに似ている。
皆さんのコメントとは違った角度でみて、置き配とタブレット注文は、SDGsと叫ばれていながら、反対方向の事に思う。売る側の論理だと思う。戦略と戦術を混同している日本の表面だけを捉える文化に見えて仕方がない。
蛇足であるが、犬猫の糞や尿の件では、小生の最近の保健所での経験から現状はきれいごとでは済まないと感じていて、もしかすると先進国の中で日本は最悪の部類に属すると思う。保健所勤めで受けた苦情の多くの部分は、放置された糞尿、鳴き声であった。私の最多訪問国のドイツやオーストリアではありえない現象で、日本はイギリスに似ていた。そのことについてご参考までに付記する。
(編集子)齊藤さんは小生と同じ外資系企業勤務で、同じように文化の違いやらなにやらで悩みを語り合ったりした仲。親会社の関係で欧州での経験も豊富。医療関係の造詣が深く、最近は保険所で勤務の経験がある。