昨日の終戦記念日、第二次大戦の記憶をおぼろげながら持つ最後の世代として感慨深いものがあった。戦争の悪や悲惨さを訴え、伝えることも重要だが、そういう事態になおヒューマンな態度を貫き通した人が多くいたはずである。田村君から頂戴したエピソードを転載する。
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友人SMさんより、「HN氏からの日本帝国海軍中佐のエピソード」を貰いましたので、終戦記念日にとご紹介します。軍人でありながら、どんな時でも「あくまでも人道を貫いたこと」と「合理的な思考に立脚した正しい判断力」を失わずにされた方で、海軍の方もいます。第二次世界大戦中の駆逐艦「雷」工藤艦長で、沈没した敵兵英国人422名を救助した方です。
1998年5月昭和天皇が戦後英国を最初に訪問された際に、当時「反日感情」が強く残っていた時代に、この救命の事実記事を英国の「 London Times紙」に掲載されたのが「サムエル・フォール卿」で、救出されたメンバーの一人でした。この記事が英国国民の反日感情を一夜にして一変させたと言われています。
第二次大戦中、昭和17年(1942年)3月1日午後2時過ぎ、ジャワ海において日本海軍艦隊と英国東洋艦隊巡洋艦「エクゼター」、駆逐艦「エンカウンター」が交戦し両艦とも撃沈された。その後、両艦艦長を含む乗員420余名の一団は約21時間漂流した。彼らの多くは艦から流出した重油と汚物に汚染され一時目が見えなくなった。加えて灼熱の太陽、サメの恐怖等で衰弱し生存の限界に達しつつあった。中には絶望し劇薬を飲んで自殺を図る者さえいた。
翌2日午前10時頃、日本海軍駆逐艦「雷」は単艦で同海域を哨戒航行中、偶然この集団を発見した。工藤艦長は見張りの報告、「左30度、距離8000(8km)、浮遊物多数」の第一報でこの集団を双眼鏡で視認、独断で、「一番砲だけ残し総員敵溺者救助用意」の号令を下令した(上級司令部には事後報告)。
一方、フォール卿は、当時を回想して「日本人は未開で野蛮という先入観を持っていた、間もなく機銃掃射を受けていよいよ最期を迎える」と覚悟したという。ところが「雷」マストに救難活動中の国際信号旗が揚げられ「救助艇」が降ろされた。そして乗員が全力で救助にかかる光景を見て「夢を見ているかと思い、何度も自分の手をつねった」という。
「雷」はその後、広大な海域に四散したすべての漂流者を終日かけて救助した。120名しか乗務していない駆逐艦が敵将兵422名を単艦で救助し介抱した。勿論本件は世界海軍史上空前絶後の事である。
https://www.youtube.com/watch?v=QAevTFqLE0w
工藤俊作中佐【海の武士道】1
https://www.youtube.com/watch?v=ItdMS8N-gkQ
工藤俊作中佐 【海の武士道】2
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784794220707
http://shokan.blog82.fc2.com/blog-entry-155.html?sp
今上天皇皇后両陛下がイギリスを訪問されたのは今から14年前の1998年5月。イギリス政府と国民は歓迎の意を表し、天皇陛下はエリザベス女王と馬車に乗ってロンドン市民の歓迎に応えた。しかし、このパレードには抗議の意味でわざと背を向けた人たちがいた。彼らは、第二次世界大戦中日本の捕虜になり、その時の扱いに抗議し、日本政府に賠償と天皇陛下に謝罪を要求した。
この抗議行動にイギリス政府は遺恨が日英関係を支配してはならない(ブレア首相)と呼び掛けるなど、両陛下及び日本政府に異例の配慮を見せた。当時、日本の財界はイギリスに積極投資するなど、日英関係は経済面で新たな親密度を見せているときだった。ブレア首相の発言は当然だったかもしれない。
しかし、イギリス国民の感情は二分された。
戦時中の捕虜に対する非人道的な扱いを非難し日本政府と天皇に謝罪を要求するものから、個人的に戦争に関わっていない現在の天皇に謝罪を要求することへの疑問、さらには、元捕虜に対する賠償問題は退役軍人にちゃんと年金を払わないイギリス自体の問題だなど、様々な意見が噴出し、両陛下のイギリス訪問が反日運動を起こすきっかけになるのではないかとの不安が巻き起こった。
そんな怪しい空気を一掃するような投稿がロンドンのタイムズ紙に掲載された。その投稿は、元イギリス海軍士官で戦後は、スウェーデン大使を務めサーの称号が与えられたサムエル・フォール卿(投稿当時86歳)のものだった。フォール卿は、大戦中の「スラバヤ沖海戦」で、日本海軍に撃沈された巡洋艦から海に放り出され漂流中のところを日本海軍「雷(いかづち)」に救助されたのだった。このときの体験をタイムズ紙に投稿し、敵兵救助を決断した日本の武士道を賛美し、その国の元首を温かく迎えようと国民に呼びかけたのだ。
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