エーガ愛好会(66) 江原達治とあの頃のアクション映画バイプレイヤーたちのこと

先日の新聞に好感の持てる演技で多くの作品に出ていた江原達治の訃報があった。数時間後にグーグルを見たら結構の数の哀悼の投稿が寄せられていた。なかでも これで昭和がまた遠のいた という一文が心に響いた。

僕らが大学に進んだ年、石原裕次郎が中退(実際には出席日数が足りなかったとかいう噂だったが)。日活にいた、当時の用語でいえば グラマーガール として名をはせていた芸名筑波久子が入学。同期の美濃島孝俊が、“さっき筑波久子が隣に座った” と興奮して部室に駆け込んできたりした。アメリカ映画に引きずられた形で日本映画もぐんと身近になった時代だった。高校から大学へという一番楽しくもあり、それなりに悩みもあった時期の甘酸っぱい思い出と一緒に訃報を受け止めた朝だった。江原は慶応中等部から高校、大学と僕と同い年だからどこかで接点があったかもしれない、という一種の寂しさもある。

そのころ、石原裕次郎という群を抜いたスターがそれまでの日本映画をリードしていた俳優陣にとって代わりつつあることを見抜いた映画会社は、彼を中心にしたスター群の養成し、それまでの日本映画にはなかったスタイルのアクション映画を売り出すことにに注力していた。その頂点にあった裕次郎直系とみなされた主演級が小林旭、若死にしてしまったが赤木圭一郎。ほかにも二谷英明、宍戸錠、などなどの名前が浮かぶが、彼らの主演作を支えていたバイプレーヤー陣の中で、目立たないが優れたひとりとして江原の印象が強い。いくつかの作品の中では、加山雄三が主演した 独立愚連隊 独立愚連隊西へ のシリーズでみせた好ましい演技がよかった。この他一連のものでよく見たのは、暗くて渋い感じがよかった中丸忠雄とか中谷一郎、などもよく覚えている。

中谷一郎はその後テレビシリーズ物でもそのキャラクターを生かした活躍していたのでよく知られているのではないかと思う。タイトルを忘れたが、風車の弥七、なんていうのもあったな。

本稿でも書いた通り、目下、加藤剛の 大岡越前 という古いテレビシリーズにはまっているのだが、中心人物のひとり風間駿介を演じているのが和田浩治だ。小林旭と合わせて日活が売り出した俳優だが、バイプレイヤーとしての出番が多かった。このシリーズでは気のいい江戸っ子を好演しているが、赤木同様、 42歳という若さで不帰の客になってしまったのが残念だ。

メインキャラクターとせりあう敵役も思い出す人が多い。小生お気に入りの 俺は待ってるぜ で二谷英明が裕次郎と演じた殴り合いは迫力があった。西部劇では殴り合いは欠かせない要素で、たとえば スポイラース でのジョン・ウエインとランドルフ・スコットとのシーンなどは有名だが、日本映画ではこの裕次郎 対 二谷の果し合いはすごい迫力があったと思っていて、その後、時代劇は別としてあれだけのシーンにはお目にかかっていない。。

敵役といえば欠かせなかったのが阿部徹だろうか。二本柳寛、杉浦直樹も良く見た顔だった。阿部は中でも見る機会の多かったひとりだが、裕次郎のヒット作のひとつ、嵐を呼ぶ男 のインテリやくざは特に凄味があったし、鷲と鷹 での憎たらしさも覚えている。二本柳のほうは独特の声と話し方が妙に記憶に残る貫禄だった。杉浦直樹は 裕次郎物で結構出演していて、錆びたナイフ の凄味は良かった。俺は待ってるぜ ののちはむしろ剽軽な役回りでお目にかかった。タイトルを忘れてしまったが、テレビのシリーズ物でも楽しませてもらった。ほかには 風速四十米 とか上記 嵐を呼ぶ男 で阿部徹の仲間を演じた金子信夫等も出てくるだけでストーリーが見えるほど,柔もての悪役としてはおなじみだった(本人がグルメで料理番組の常連だったこともつけくわえておこうか。代表作は 仁義なき戦い のはずだが、僕は見ていない)。

アクション映画では当時の力関係からいうと日活の作品が多かった。東宝の作品では裕次郎に匹敵する人気スターが同じく塾出身の加山雄三だが、僕には彼は映画スターというより歌手としてのイメージが強く、椿三十郎 と上記した岡本喜八の 独立愚連隊 などを除くとあまり映画ではお目にかかっていない。結構人気があったようだが若大将シリーズなんかはおふざけだけの愚挙に見えて、一度も見たことはない。

人生もそうだが、などと年寄りめくが、自分の来し方を考えてみて、お互い、ほかの人生にとってはバイプレイヤ―なのだが、本当に多くの人たちに支えられてきたことが実感される。

昭和は遠くなりにけり、か(ついこの間まで 明治は だったのだが)。