石神井公園は西武線石神井公園駅から徒歩10分のところにありま
写真は石神井池に隣接する湧水池の三宝寺池です、といっても枯渇
先日散策に出掛けたときは山吹の花があちこちに咲き乱れていて、武将であるととも歌人であった太田道灌の有名な山吹を詠んだ歌だを思い出しました。
(参考 太田道灌)
室町時代後期に活躍した武将。上杉一門の扇谷家2代を補佐し28年にも及ぶ享徳の乱を戦う事になったが、古河公方側と戦うために早急に防御拠点を築かねばならず、更に古河公方側の有力武将である房総の千葉氏抑えるため、両勢力の境界である当時の利根川下流域にいくつかの城を築き、さらに当時江戸一門の領地であった武蔵国豊嶋郡に江戸城(現在の皇居)を築城した。
名将として名高い道灌だが、あるとき父を訪ねて越生の地に来て、突然のにわか雨に遭い農家で蓑を借りようと立ち寄ったところ、娘が出てきて一輪の山吹の花を差し出した。道灌が後でこの話を家臣にしたところ、それは『後拾遺和歌集』の「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」の歌に掛けて、山間(やまあい)の茅葺き(かやぶき)の家であり貧しく蓑(実の)ひとつ持ち合わせがないことを奥ゆかしく答えたのだと教わった。古歌を知らなかった事を恥じて、それ以後、道灌は歌道に励み、歌人としても名高くなったという。豊島区高田の神田川に架かる面影橋近くに山吹の里の碑があり、1kmほど東へ行った新宿区内には山吹町の地名があって伝説の地に比定されている。また、埼玉県越生にも「山吹の里」と称する場所が存在し伝説の地であるという説もある。