結婚するって本当ですか

変なタイトルだが、フォークソングの話である。今朝、日課の散歩をしていた時にコスモスが咲いているのに気がついた。別に不思議はないのだが、見たときに急に頭に浮かんできたのが、僕らの年代の人なら記憶にあるだろうが、ダカーポ の確かデビュー曲だったと思うが大変ヒットした曲のタイトルで、その歌詞に ポストのそばには赤いコスモスゆれていた という一節があったのだ。人間の記憶力というのは本当に不思議で、夕べ何を食べたかすら覚えていないのに、40年近く前に聞いた曲の歌詞が出てくる。まことに妙な気持である。

中学生の時、仲間にませたのがいて、小遣いで当時来日したザヴィア・クガーの入場券を買った、と自慢した。このころから、それまで聞いたこともないメロディがラジオ番組に登場した(まだテレビなんてものはなかったのだ)のだが、高校のころ、かのプレスリーが現れ、その後はテレビの普及とともに日本人歌手が主としてアメリカのヒットソングの翻訳ものを歌うのが当たり前になり、カントリーだハワイアンだというのが大学時代。このころ、ブラザースフォアだとかキングストントリオだとか、日本製ではムード歌謡なんていうのが幅を利かせた時代があった。いわゆるフォークソング、というジャンル(本来のフォークソング、というものの定義とは少しばかり違っていたのだと思うのだが)はサラリーマンになってからのものだ。数あるヒットの中で、僕が気に入っていたのは 千賀かほる 真夜中のギター、ビリーバンバン 白いブランコ、そしてこの 結婚するって本当ですか だった。

音楽の専門家やホンモノのファンはどういうか知らないが、ある曲が好きになる、というのは僕の場合はその曲を聴いたときのなにかの特別な思い出とか環境がからむか、これは音楽を聴くということからは外れるのだと思うのだが、メロディよりもむしろ歌詞が気に入る、ということが多いようだ。もちろんこれは歌詞が特に重要なフォークソングとか歌謡曲、というジャンルでの話だが。

今あげた三つの曲の場合、真夜中のギター は米国駐在から帰って、工場現場を知るということで2年ほど、当時製造工場の主力であった、中学卒の人たちの中に放り込まれ、はっきり言えば白い眼を意識しながらなんとか職場に溶け込もうと必死だったころの思い出につながっているし、白いブランコ はなじみやすいメロディが気に入っていた。結婚するって のほうは恋人に去られた女性の気持ちをうたったものだが、その中で あなたに寄りそうその人は 白いエプロン似あうでしょうか という一節が気にいっている。この一節はやはり女性だから書けた歌詞だろう。なぜか、と言われても説明できない。ただ悲しい、悔しい、という気持ちを直接に書くのではなく、あきらめの気持ちを 白いエプロン といいう、たぶん自分がかけるはずだったものを誰かが掛けている、という場を思いうかべている。この感情が伝わってくる。

昨今のポピュラー曲にはほとんどなじみがないが、若い層にはメロディというよりもリズムとかテンポという要素のほうが受けるのだろう。考えてみれば、高校時代、あの ロック・アラウンド・ザ・クロック を初めて聞いた時の興奮と同じなのだろうが、曲が訴えたいものが言葉で表現される、ということももっと大事にされていいのではないかな、と思ってしまう。これは僕が言ってみれば乱読家であり、文字入力のほうが自分の中に醸成されるものが豊かに感じられる、という事情もあるのだが。

そういう意味では、文字、書き方、にも訴え方の違い、濃淡、がある。この ダカーポ の一節が旧仮名遣いで 白いエプロン似合ふでせうか と書かれていたらもっと僕の印象は深かったかもしれない。