ここのところ大谷選手の大活躍に引き続き、松山の新記録での優勝、さらに映画ではSHOGUNの受賞など、野球、ゴルフ、映画とアメリカ大衆文化の基軸でもある分野で日本勢の勢いが止まらない。この勢いに多少かすんでしまった感もあるがもひとつの人気分野バスケットボールでも八村の活躍が伝えられる。結構なはなしではないか。
終戦直後、僕らは小学校生、僅かに水泳での古橋やボクシングの白井なんかの活躍があったけれども、すごいことはみんなアメリカ、の時代を過ごした。野球なんかはその懸隔が大きすぎて、とてもアメリカに勝つ、なんてことは想像すらできなかった。そういう時代を経験してみてわかることは、われわれはそのアメリカ文化を、時には意地汚いとか卑屈だとか言われながら、取り込み、模倣し、咀嚼して日本の文化に取り込み、そして世界に誇れる成果を出した。このあたりはスポーツや芸能だけでなく、ビジネスの世界でも全く同じパターンで我が国は発展してきた。ものごとを自虐的にとらえてはなにかと (西欧では)と嘆くことがインテリのあかしだと考える人たちは、日本人には独創性がないと言って嘆くのだが、僕は模倣とか消化とか、表現はいろいろあるが、言ってみれば他人の褌で相撲を取ること、結構じゃやないかと思っている。どんなに独創的な発明や技術ができてもそれを実用化し、改良していくプロセスがなければ人類に資することはできない。しかしそれには、優れたものから学び、といりれることに躊躇しない国民性がなければならない。日本人にはそういう柔軟性が備わっているのだと感じる。
先日のテレビ番組で韓国では、最近まで、日本の音楽を演奏することが禁じられていた、ということを初めて知った。かの国に反日思想が根強くあることは承知しているが、このようにいわば坊主憎けりゃ袈裟までなんとやら、というかたくなな思想が一体どうして生まれたのか。要は韓国を日本が支配した、という歴史をひたすらに憎み、否定しつづけることが韓国人のいわば愛国心なのだ、ということなのだろう。確かに歴史書をみれば、古代までさかのぼらずとも明治維新当時に西郷隆盛らの征韓論があったし、のちにかの国を併合するという国策もとられ、その過程で韓国人の差別とか文化の破壊とかといった蛮行があったのは事実だろう。しかしあの時代、すなわち帝国主義が世界を覆っていた時代を考えれば、人類史上の汚点ではあるかもしれないがこのような関係は日韓間だけの問題ではなかったはずだ。
日米の関係でいえば、我が国は韓国の日本に対する歴史よりもはるかに深い傷を負うた。追い詰められて突入した大戦に敗れ、広島に長崎、二度と人類が経験すべきではない深傷もアメリカから受けた。そういう意味では日本人対米国人、という図式は韓国人が日本に対してもつものよりもさらに根深いところで憎悪や反感につながってもおかしくはない。しかし日本人はそれよりも我が国の敵であった国の長所を学びそれを取り入れ、凌駕することを選んだ。第二次大戦で我が国の友邦でありながら同じく敗戦国となったドイツも、同じ反応をすることで欧州のリーダーに返り咲くことができた。なぜ、韓国はこのような例に学ぼうとしないのだろうか。
同じ日、別のチャンネルで維新前夜、のちに日本の開国事業の中核となった薩摩藩の武士グループが国法を破って英国に渡り、大学に学んで広く知識を吸収した史実を伝えていた。彼らは薩摩において無謀にも当時世界一の強国であった英国に挑戦し完敗した薩英戦争に開眼し、敵国であった英国に学ぶことから始めたのだ。たとえ敵国だったとしてもすぐれた国から素直に学ぶ、という柔軟性が僅か数十年のあいだに日本をアジアを代表する強国を作り上げた。この晩、たまたまみた二つのテレビ番組をみたことから、日本と韓国、隣り合う二つの国のありようのちがいを改めて考えてしまった。
このささやかなブログをきっかけにできた友人の輪の中には、外国生活の長かった人、外国企業に勤務した人、そのほか、日本を離れて考えることのできる人もたくさんおられる。そういう人たちのご意見を伺いたいものだ。
(33 小川) この投稿を是非とも韓国の有識者に読んでもらいたい。小生海外経験もなく発言の資格はないかもしれないが、まさに至言です。
小生も昔から韓国を「近くて遠い隣国」と言っておりました。それはハングル語のせいです。訪韓して街並みのショップを見ても全くどういう店か分からない。こんな国は他にありません。この言語に固執する国民性に韓国の何かに関係がある様な気がします。上手く表現できませんが何か・・・。
(44 安田) 日韓関係で不思議に思うことは、同じように日本に占領され日本の統治下におかれた台湾と韓国の対日本、対日本人感情の真反対な反応を示し親日の台湾と反日或いは謙日の韓国と、二者の相違が際立っていることだ。清国領土の一辺境であった台湾を日本は日清戦争勝利の結果、帝国主義時代のルールによって正当に獲得し統治した。 一方、韓国は、独自の王朝(李)を持ち独自の古い歴史・価値観・文化とアイデンティティを誇りにしていたが、日本が無理やり力づくで植民地化して1910年韓国を併合した。両国それぞれの謂わば宗主国・統治国の日本に対する感情・受けいれ方に違いがあったのが歴史的事実であり、当然かなとも思える。
韓国で 「最も嫌いな日本の歴史上人物は誰か」と問えば、10人中8・9人が豊臣秀吉、伊藤博文と答えるだろう。両者とも貧乏な百姓から立身出世して国を治める立場に至り、彼等の明るい人好きのする性格とも相俟って、日本では人気が高い政治家であるが、韓国では真逆だ。秀吉は非現実的な明征服を目指し、通り道の明の友好国・属国の韓国と当然交戦となった文禄の役は決着が付かず和議が成立して撤退。朝鮮征伐を目的として無理に起こした慶長の役は秀吉の死で終わる。無益な侵略戦争を起こした秀吉の暴挙と思える行動が、今日まで続く韓国の日本に対する怨恨と憎悪感情を惹起したのだ。当時、スペイン・ポルトガル がキリスト教宣教師をまず送り、民衆をキリスト教に改宗させ、のちに可能であれば政治的・経済的・軍事的に植民化に動く戦略だったのを秀吉は感じていて、伴天連禁止令を発布するなどして対応策を講じていた。結果、アジアで植民地化を免れたのは日本とタイのみであるというのが史実である。
日韓併合の下(1910年)、朝鮮総督として韓国を統治した博文は歴史上300年以上秀吉に遅れて登場したが、両者とも韓国では第一級の極悪人として歴史に悪名を遺した。文禄・慶長の役の侵略戦争を闘った朝鮮の総大将・李舜臣、そして伊藤博文を暗殺した安重根は韓国民族主義の象徴とみなされ、今日でも二人は英雄視されている。
韓国(朝鮮)は歴史的に隣国の大国中国の属国扱いを受けたが、東の国日本へは文化や芸術や工業技術が、蛮国・日本(と彼らは思っていた)に伝えていったという歴史があり、中華思想の国・中国に隣接し、自らがより先進国であるというう日本に対する優越感を抱いていたであろう。百済経由で仏教を伝え、機織り技術、稲作、陶器(薩摩の沈壽官家は有名、慶長の役の時遠征した島津氏が連れ帰った)など優れた製造技術や農耕や製品が韓国経由で日本に伝えられ、韓国人も渡来して(やがては日本人となるが)それらを陣頭で広めていった。そのような国、見下していた日本が明治維新以来、文明開化と富国強兵を旗印にして清国・ロシアを破り、韓国をも事実上植民地化した事実に対する屈辱感・嫌悪感・劣等感が、戦後の日本経済成長時代にもぬぐえず、深層心理の中では古来から続く優越感を抱きつつ、反日・嫌日感情に苛まれているのだろう。
日本がその統治時代に台湾と韓国の発展のため、インフラ構築・国土開発・経済成長・教育の方策・・などに腐心し、多大な貢献したのは自明であり、その土台の上にたって台湾 韓国両国とも戦後著しく発展した。台湾は、それに感謝し親日的であり、今日、台湾では日本が世界で最も好きな国に挙げられている。一方、韓国は嘗ては屈辱感・嫌悪感と劣等感に苛まれ、最近は著しい経済成長で一人当たりGDPは日本を凌駕するに至り、心の中では優越感に浸っているに違いないのだが、歴史のトラウマから抜け出せず、余裕をもって友人付き合いが出来ないにいるように映る。戦後、日韓関係が政治的に正常化した’60年代の朴正熙大統領時代、日本は多額の経済援助をして ”漢江の奇跡” と呼ばれる韓国の経済発展に大いに寄与したが、韓国ではそのことを特に挙げては語らず、感謝の念を表していない。悪行を働いた日本が犠牲者に対して償いをするのは、特別な善意ではなく当たり前ではないかの態度といえる。過去の屈辱感がトラウマになって歪んだ歴史観を生み出した半面、今日までに果たした経済成長で遂には一人当たりGDPでは日本を抜き去り、達成感と優越感に浸っていると予想するに難くない。これらが複雑に複合的に交錯して国民の精神感情を形成しているのではなないだろうか。それだけ、弥生・飛鳥時代以来の歴史の綾は重く複雑に絡み合い今日も引きずっているような気がしてならない。
富んでくれば人は総じて寛容になり、許容範囲と度量が広くなり、嫌いな物・者に対する耐性は増し、穏やかになるはずであるが、韓国に於いて如何ともしがたいのは、左寄りの反日大統領・政権が国を治めることが頻繁に起こることである。反日教育を植え付け、国を一枚岩にまとめる特効薬は反日だと言わんばかりに。対日本のイメージを凍結させて大人に育て上げることが行われているのは事実からである。
日韓関係が日本とアメリカ、ドイツと欧州各国の関係(感情面を含めて)のようになるか、といえば、僕らの孫の世代が日本を動かす時代(今世紀後半)以降になれば両国のわだかまりが氷解するかも知れない。しかし文禄・慶長の役から430年経ち、韓国併合から115年経ているのに、昨今の不安定かつ不穏な彼の国の対日本感情状態が存続しているという事実は、白村江の戦い以後要した長い長~い年月を経てもなお、被害者意識が強く、日本を加害者とみなしている韓国にとっては単純で簡単には割り切れない心理の問題なのだろうから、時間が、それも百年単位の長い期間が必要なのかも知れないし、反日を国是とする為政者が繰り返し繰り返し登場する限りは、それも難しいのかも知れない。
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