先日、イングリッシュガーデンの薔薇に魅せられ、再び図に乗り、
(編集子)耽美派の小泉センパイには申し訳ないが、小生には ”港の見える"とくれば、小学校時代一世を風靡した、あの ”港が見える丘” のメロディが先ず頭に浮かぶ。当時の流行歌(というジャンル分けがされていたのだ)ならば、”湯の町エレジー” とか、シベリア抑留から帰還した作者がNHKのど自慢に応募出演という形で全国にあっという間に広まった、”異国の丘” なんかが思い出される。ジャンルは違ったが、”みかんの花咲く丘” も流行ったな。小泉さん、不肖の後輩の述懐をお許しいただきたく。
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「港が見える丘」(みなとがみえるおか)は、東辰三作詞・作曲、平野愛子歌唱による歌謡曲。1947年(昭和22年)、当時新人歌手であった平野が歌った、終戦直後流行歌である。
歌詞には具体的な地名は一切登場せず、この曲の舞台となる「港」がどの港であるかは定かではない。横浜市にこの歌のタイトルを冠した「港の見える丘公園」があり公園内には歌碑もあることから横浜の歌として親しまれているが、作者の東辰三(あずま・たつみ)の出身地である神戸の歌としても親しまれていて、東の息子である山上路夫は、「どこが歌の舞台なのか、よくわかりません。(神戸と横浜)二つの港町のイメージをだぶらせて作ったのではないでしょうか」 と述べている。
(編集子) 演歌の三大要素は 涙、北国、それと港だそうだ。小生の愛唱歌、”北へ” も確かに港、で始まる。本人は船は苦手で、したがって港、にもおよそ縁がない。港が見えるからなんだ、というくらいの気持ちなんだが。