”懐かしき日々” のこと   (44 安田耕太郎)

同郷北九州出身高倉健のことではなく、ジャイさんが短期間赴任されていたシリコンバレー、レッドウッドとパロアルトのことを懐かしく思い出した。

時は1968年、ジャイさんは勤務先HP社の本社が位置するパルアルトの隣町レッドウッドシティに居を構え、アメリカ勤めを始めておられた。その年はベトナム戦争反対の大規模デモや世界各地で暴動が相次ぎ、黒人公民権運動家マーティン・ルーサー・キング牧師がメンフィスで(4月)、故ケネディ大統領の実弟、民主党の大統領候補ロバート・ケネディがロサンゼルスで(6月)暗殺されるなど騒然とした年であった。ちょうど時を同じくして、21歳の僕は貨物船で太平洋を渡り渡米、世界一周放浪の旅の緒に就いていた。ロサンゼルスに上陸後、旅費稼ぎを目的としてアラスカ沖の蟹工船アルバイト仕事の雇用面接を受けるため、本社のあるシアトルへ向かう途中、サンフランシスコ南郊のジャイさん宅を訪ねた。奥さん共々KWVの8年上の大先輩お二人に面識はなかった。が、中司ご夫妻の声望は先輩方から伺い知っていて、KWV名簿からサンフランシスコ近郊に住んでおられた先輩の住所を知り、渡米前に手紙を送り、僕のおおまかな旅程をお知らせし、シアトルへの道中3〜4日お邪魔させて頂くことは出来ないか、と厚かましいお願いをしていた。僕はお二人のことを若干伝え聞いていたが、お二人は僕のことは ”何者か?” と訝しがったのは想像に難くない。KWV現役時代から使用していた、左右に大きなポケットがついた薄汚れた横広のキスリングを背負った姿であったので尚更であったろう(注:のちにスマートな縦長のリュックサックを購入して旅を続けた)。

お住いのあった市の名前redwoodとはアメリカ杉、セコイア杉のことで、加州の北部の海岸に沿って300キロにの亘って(幅20~30キロ)拡がる巨木の森で知られていて、世界一高い木は最高は120mに及ぶものもある。樹齢は500~700年ほどだが、1000年以上の木もあるという。
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但し、Redwood Cityは閑静な郊外の住宅地で、魂消るほどのredwoodの巨木にはお目にかからなかった。お隣のパロアルト(Palo Alto) はスペイン語で El Palo Alto (背の高い木)を意味する言葉。Reddwood Cityと同様、人々が入植した頃(1700年代から1800年代)には辺りは、両市の名前の由来となった大きな背の高い木々が覆い茂っていたのではと推測する。Palo Altoが世界に知られているのは、HP社の本拠地である以外には何といっても名門スタンフォード大学が在る町としてであろう。美しいキャンパス、素晴らしいステンドグラスの在る大聖堂(カテドラル)、7~8万人収容のスタジアム(主にフットボール試合の会場)などジャイさんに案内して頂いた。両市とも絵にかいたような閑静な美しい住宅地であった。今ではIT産業のメッカとしてその一帯は発展し活況を呈しているに違いない。

ブログでも言及しておられた当時2歳半の娘さんのお相手をして遊んだ。あれから56年、ジャイさんご夫妻は曾祖父母だ、まさに “光陰矢の如し” 。

滞在中は、毎日バスでサンフランシスコ通い。町を隈なく歩き回り腹一杯サンフランシスコを満喫した。目と鼻の先に見える金門橋に歩けども歩けども着かず、アメリカの大きさを変な所で感じた。アル・カポネが収監されていた合衆国連邦刑務所として知られたアルカトラス島はサンフランシスコ市の北岸から2.4km離れた湾内にあって29年間使用されたが1963年に閉鎖され、当時は訪れることが出来なかった。1973年に歴史記念物として一般公開された後、訪れる機会があった。名物の世界最古(1873年 – 明治5年開業)の現役手動運転の循環式ケーブルカーの動力室がある博物館を訪れ駆動方式について学んだ。サンフランシスコを舞台にしたスティーヴ、マックイーン主演の刑事アクション映画「ブリット」を映画館に観に行った。坂道を縦横に駆けるカーチェイスを存分に楽しんだ記憶がある。当地を訪れて、臨場感が半端なかった。

バック・オウエンスとグレン・キャンベルの曲は滞米中によく聴いたものだ。とても懐かしい。https://m.youtube.com/watch?v=zBNzxhc0T3I