テレビで夏井いつき先生は「プレバト!!」の中で2013年11月に開始した芸能人の「俳句の才能査定ランキング」で俳句を査定しており、俳句ブームをけん引している俳句がやや復活してきている感じがします。
俳句って何だろうか?
定義 連歌の上の句である「5・7・5」で作られた定型詩で、十七語、十七音とも呼ばれます。日本の四季のいずれかの季節が感じられるように「季語」と言われるものを入れること、また数少ない言葉でより趣やいきの良さを感じさせるように「や」「かな」「けり」といった「切れ字」といわれる言葉を入れて作るものが決まりとなっています。
一つは俳句の元となる「形式」が生まれたのが室町から鎌倉時代だということです。「連歌」から始まっています。もう一つの歴史は「俳句」という呼び名が生まれたのは明治時代だということです。連歌の上の句の部分だけを切り取ったものが江戸時代に「俳諧」として広まり、それを明治時代の正岡子規が「俳句」という呼び名でさらに新しい文芸として発展させていったのです。「俳諧」の陳腐さを嫌い、写生・写実を根本にした新しい詩風へと変革したものを「俳句」と提唱します。
俳人として有名なのは江戸時代の松尾芭蕉(まつお ばしょう)、与謝蕪村(よさ ぶそん)、小林一茶(こばやし いっさ)、加賀千代女(かがの ちよじょ)ら。大正・明治時代には正岡子規(まさおか しき)、高浜虚子(たかはま きょし)、中村汀女(なかむら ていじょ)、種田山頭火(たねだ さんとうか)らがいます。
松尾芭蕉
『 古池や 蛙(かわず)飛び込む 水の音 』
与謝蕪村
『 春の海 ひねもすのたり のたりかな 』
小林一茶
『 やせがえる 負けるな一茶 これにあり 』
『 雪とけて 村いっぱいの 子どもかな 』
正岡子規
『 柿くえば 鐘がなるなり 法隆寺 』
高浜虚子
『 遠山に 日のあたりたる 枯野かな 』
加賀千代女
『 朝顔に つるべ取られて もらひ水 』
中村汀女
『 咳の子の なぞなぞあそび きりもなや 』
季語が俳句の季語か季題という論争も在りそもそも季語が必要ないという人もいるようです。NHKのBS放送でも、「季語」という金子兜太と「季題」という稲畑汀子とがしばしば激論を交している。もともと季語・季題という言葉は江戸時代にはなかった。芭蕉の言葉にも「季節の一つも探り出したらんは 後世によき賜と也」(『去来抄』)とあり、この「季節」とは季語・季題のこと。その他芭蕉はすべて「季」(季の詞)といっている。大胆に要約すれば季の題を詠むとする立場が「季題」、それでは季題趣味に陥るとするのが「季語」派です。
友人が続けてこんな事を言っています:
そういえば昔「俳句第二芸術論争」というのがありましたね。
私も俳句ほど選者によって評価の異なる芸術はないと思っています。小説でも絵画でも音楽でも同じような気候風土、歴史的・文化的背景を共有している人(民族)の間では、鑑賞する人によって評価にそう大きな差は出ないでしょうが、俳句のような17音の作品の巧拙を評価することは非常に難しいと思います。事実、夏井先生も生徒の作品を評価するに当たって、「先生によってはこの言葉を嫌う先生もいらっしゃいますが、云々・・・」と、評価者によって尺度が異なることを認めていらっしゃいますね。
そう言う事で俳句には沢山の「派」が出来て、自分の嗜好に合った派に属するようになるのでその派は更に伸びていきますね。これは他の藝術でも同じだとは思います。あの「印象派」が認められない中から生まれたり。特に俳句は短い中で色々な「景色」を述べなければ成らないので難しい世界ですね。
コチトラ廃人ですがパートナーは長年俳句の世界で過ごして来て、今もいくつかの句会に飛び回っています。先の平林寺での俳句と写真を
僧房の庭一枚の敷く紅葉
倒影の紅葉なほ炎ゆ池ほとり
濃紅葉や紺大空に瑕瑾なし
山本健吉さんが「俳句とは何か」と問われたときに、「俳句は滑稽なり、俳句は挨拶なり、俳句は即興なり」と答えております。語り出すと小林秀雄とか吉本隆明とかランボーなど持ち出さないと語れないかも知れませんね。
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