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大雪の日の散歩 (小泉幾多郎・後藤三郎)

(34 小泉幾多郎)

2018年1月 高尾山月例報告 (39 堀川義夫・岡沢晴彦)

堀川は当日家内の具合が悪くなり、欠席いたしました。新年早々に、皆さんにご報告しましたようにオーナーと事務局で打ち合わせをして、副事務局長の岡沢さんと藍原さんを決めていたため事なきを得ました。家内はノロウィルスに感染して、医者で点滴をしたり、水分補給を小まめにしろとのこと、終日看病に追われましたが、翌日にはケロッとして回復しました。

岡沢さんの報告

参加者 吉牟田 翠川夫妻 中司 平松 蔦谷 武鑓 中川 浅野 藍原 岡沢 の11名 平松さん天狗は欠席

全員楽々コースへ  登山口駅からバスで大垂水峠⇒一丁平⇒もみじ平北巻道⇒細田小屋(昼食)⇒下山

10時24分バス高尾山口駅発 大垂水峠10時43分発 一丁平11時25分

一丁平北巻道ともみじ台北巻道(共にシモバシラの説明案内板がありました)を通ったのですが 全然シモバシラの気配はありませんでした。12時15分細田小屋着 小屋は閉まっており鎖が張ってあったのですが 小雨が降り始めたので軒先を借りちょうど全員が座って雨宿り 食事ができました。12時35分細田小屋発一号路 ケーブルカー 電車で14時 天狗着 皆楽しく大きな声でおしゃべりをしていました。

15時35分解散

汁粉とぜんざいはどう違うのか   (40 藍原瑞明)

(前置き  中司)

考えてみると、このプラン開始以来、雨に降られた経験はほとんどない。発足当時は天候を見て参加するのも当人次第、としていたのを、間もなく悪天の場合は事前に連絡しあうようにしたので、当然といえば当然なのだが、今回は天気予報もかなりブロードだったので、結果として本人の判断で11人が集合。行動記録は前掲堀川:岡沢両君の記録に詳しいが、今回はなにしろ時間も早いし、天狗ではビールよりも熱燗かなあ、などと論議が始まった時、サプライズ発生。あのいかつい武鑓君がおずおずと、今日は 白玉しるこ がどうしても食べたい、と言い出したのだ。彼によれば、来るたびにそう思っていたのだが言い出せば吉牟田、鮫島など酒奴(注1)にさげすまれ、先輩諸氏の反感を買うと思って遠慮していたのだという。なにしろ寒かったことので全員早く下山したいばかり、その場では異議もなく1400には天狗到着、熱燗ならぬ温紹興酒ボトル2本で開宴。一段落してそれではということになったが、ここで、“しるこ”と“ぜんざい”はどう違うかという哲学的論議が発生、さらに“おはぎ”と“ぼたもち”はどうかについて天狗のおばさんまで巻き込んで論戦ほぼ30分。このままでは会が分裂しかねないと調査を藍原君に委託(学年差健在)。見かけによらず律儀なアイちゃんによる報告が届いた。このまま、関係者のみで消化するにはもったいないので、ワンデルング報告に加えて掲載することにした。

(注1)われわれが現役時代お世話になった故塚田ドクターは名だたる酒豪であったが、同じ酒飲みを定義して、“のんべえ” と、風格ある大人 “酒仙”、それと酒の奴隷状態に身を落とした “酒奴” に区別していた。同期にはいまだ”酒仙”は存在しない(あえて名前は上げないが、酒奴予備軍は多数存在する)。

以下,藍原リポートを転載する。

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昨日 つきいち高尾の会が開催され、雨模様の中、無事下山し、いつものように天狗にて懇親いたしました。雨模様の為、急いで天狗に駆け込みましたので、時間もあり、のんびりとくつろぎました。話題ものんびりしたもので、天狗のメニューを見ながら言葉の違いに花が咲きました。例えば、「しるこ」と「ぜんざい」・「おはぎ」と「ぼたもち」・「せんべい」と「おかき」の違い皆様それぞれ薀蓄を述べられていましたが、千差万別でした。結果私に調べるように下命あり、その結果を報告いたします。

詳細は添付の資料をご覧ください。上記の簡単な言葉でも異なる地域の言葉の違いが面白いです。結局皆様のご解釈が全て正解ということでした。

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「しるこ」と「ぜんざい」の違い  三省堂の国語辞典によると

しるこ(汁粉) 餡を溶かした汁の中に餅等をいれた食品

ぜんざい(善哉)つぶしあんをまぶした餅。

違いが分かる辞典によると

おしるこ(お汁粉)とぜんざい(善哉)はどちらも小豆を砂糖で甘く煮て餅や白玉団子を入れたものだが、両者の違いは、関東と関西で異なり、関東では汁気の有無、関西では使う餡の違いで区別される。 関東では 汁気のある全般を「おしるこ」、汁気の無い餅に餡を添えたものを「ぜんざい」と呼んでいる. 関西ではこしあんを使った汁気のあるものを「しるこ」粒あんを使った汁気のあるものを「ぜんざい」、汁気のないものは「亀山」や「金時」とよばれる。

関東でも餡による区別がないかと云えばそうでもない。 区別する場合はこしあんを使ったものを「御膳汁粉」、粒あんを使ったものを「田舎汁粉」という。 また「小倉汁粉」という呼称もあり、普通は砂糖で煮た小豆粒にこしあんを加えたものをいうが、粒あんを使ったおしるこを言うこともある。

「せんべい」と「あられ」と「おかき」の違い

米菓は「せんべい」と「あられ」、「せんべい」と「おかき」という組み合わせであれば明確に区別することができる。せんべいは、うるち米(ご飯のお米)が原材料に使われる。あられやおかきは、お餅と同じもち米が原材料に使われている。そのため、原材料によって、「せんべい」と「あられ・おかき」のグループに分けることができる。

「あられ」と「おかき」は、同じもち米が原材料であるため、「せんべい」との違いのように明確な区別の方法はないが、一般的には次のように区別されていることが多い。あられは、餅を煎る際に音を立てて跳ね、膨らむ様子が、空から降ってくる「霰(あられ)」に似ていることから付いた名で、霰のように小さいものである。

おかきの語源は、鏡餅を手や槌で欠き割ったことから「欠き餅」と呼ばれ、宮中の女房言葉として「おかき」になったもので、霰に比べ大きいものという印象がある。しかし、何センチ未満が「あられ」何センチ以上が「おかき」といったものではなく、大体の大きさの区分である。

また、「あられ」は関東を中心に広まった呼称で、「おかき」は関西を中心い広まった呼称であるため、関西地方では「あられ」のように小さい米菓も「おかき」と呼ばれることがある。

「おはぎ」と「ぼたもち」

おはぎとぼたもちは基本的に同じ食べ物で、どちらか一方で呼ばれることが多いが、季節・大きさ・材料によって呼び分けられることもある。ぼたもちは漢字で「牡丹餅」と書き、春の彼岸の頃に咲く牡丹の花に似ていることから付いた名。

おはぎは漢字で「御萩」と書き、秋の彼岸の頃に咲き萩の花が咲き乱れる様に似ていることから付いた名で、春に作るものを「ぼたもち」、秋に作るものを「おはぎ」と呼び分ける地域も多くあったが、現在は、季節によって呼び分けられることは少ない。

ちなみに、夏は「夜船(よふね)」冬は「北窓(きたまど)」という。大きさによって、「おはぎ」と「ぼたもち」を呼び分ける地域もある。

おはぎには「つぶあん」、ぼたもちには「こしあん」を使い、あんこの違いによって呼び分けることもある。収穫シーズンとなる秋の小豆は、皮まで柔らかいことから、秋のおはぎには「粒あん」を使い、春の小豆は冬を越して皮が固くなっていることから、春のぼたもちには「こしあん」を使ったためといわれる。

その他、いろいろ呼び分け方があり、地域やメーカー・販売店によって逆転していることもあり、全国共通のものではない。

新春七福神詣での話 (34 小泉幾多郎)

山荘運営について思うこと (54 石倉周一郎)

私自身は、三田会活動(親睦委員会)に参加した10年くらい前から、山荘で行う行事にはほぼ全部参加しており(但し、「新道隊」とか「冬ごもり」とかには参加しておりません)、一昨年から山荘委員も兼務しております。「なにゆえ山荘に行っているのか」という私の思いの説明になってしまうと思います。

私にとって「山荘」は、極端に言ってしまうと「ワンダーOBとして現役との交流を持てる唯一無二の場」ということです。もちろんそれだけではありませんが、そういうことが好きで、そういう環境の醸成を目指して山荘に通っておりました。「現役~80歳のOBまでが思いを一つにできる場所」として三国山荘ほどふさわしいところはありません。

けれどももし現役がその維持管理の任に耐えられなくなったら「山荘」での交流が保てなくなったら、いよいよ山荘を始末するという選択をせざるを得ないこと、それを先の世代に先送りしないでKWV三田会に力(お金)があるうちに実行すること、ではないかと思っています。浅貝の地に「新たな山荘建設」ということは現実的なことではないと思います。

現在の山荘維持にあたって、例えば「ごみ処理」ひとつとっても結構大変ということをご存知でしょうか。宿泊される方には「自分のゴミは自分で持ち帰ってください」というお願いをしています。

「生ゴミ」、「燃えるゴミ」、「缶・瓶ゴミ」など、きちんと分別してそれぞれ指定日に指定場所(本陣前あたり)に出さねばならないのですが、「平日」の指定日にはだれも浅貝にいないので、山荘祭の時などは、現役が直接(休日も持ち込むことができる)塩沢の処分場まで車で持っていったり、場合によっては都会まで持ち帰ったり、しています。

庭に焚き火場がありますが、ゴミを燃やすことは絶対できません。(下手すると別荘住民から通報されます・・・おそらく、通報されたこともあります。煙の色が違ってきますもんで)。いい加減にやっていた我々現役時代と違って、現在、現役は「湯沢町民」としての義務を生真面目に一生懸命やってくれています。

そんなことも含め、都会にいるOBが、心ない宿泊者への対策なども含め「宿泊施設」として運営するのは無理ではないでしょうか。(管理会社に委託するとか、奇特なボランティア精神にあふれる誰かが小屋番などやってくれるとかすれば別ですけれど、私はまっぴらですが)。

 

月いち高尾へのお誘い (39 堀川義夫)

高尾山は武相国境に位置

月いち高尾・・・ なんだ、それ?と言われる方もいらっしゃると思いますが、2011年1月17日にナンカナイ会の川内さん、吉牟田さん、翠川さんご夫妻、そして言い出しっぺのGIさんのご夫妻の6名で「どうだ、せめて月に一度高尾山ぐらい行ってみないか?」と言うことで始まり、ナンカナイ会を軸に一昨年(2016年)の9月末までなんと5年9ヶ月で43回、延べ452名の参加を得ると言うKWVシニアワンダラーの楽しい月例イベントに成長して参りました。若い世代の参加も徐々に増えました。と言うことで現在はオーナーであるナンカナイ会の委嘱を受け、堀川(39年卒)が事務局長をさせて頂いています。

参加にあたっては、何の拘束もありません。自己責任で参加してください。決められた日の決められた時間に良ければ来ていただき、終日、高尾山の四季折々の自然に親しんでいただくことをモットーとしています。梅良し、桜良し、新緑、紅葉、冬の木漏れ日の中でのミニ野外料理、時には

薬王院で精進料理を楽しんだり…….
時には結構なアルバイトもある?

専門のガイドをお願いして高尾のすみれ鑑賞をしたり。そして、これも自由参加ですが、毎回、高尾の駅近くにある得体のしれない中華屋(日本そばもあるラーメン屋??)で打ち上げをして解散です。

 

目標は「KWVシニアワンダラーズの世代を超えて心のつながりを継続・持続していこう」昨年1月から堀川が運営をし始め、早1年が経過しました。昨年、1年間は一人で日程、コース等全て独断で決めて運営して参りました。しかしながら、毎月参加人員も増え、一人で運営する限界を感じ、今後も、末永くこのプランを継続していくために今年度から2名の副事務局長を置くことにし、オーナー他参加者のご意見を取り入れ改革をしながら、楽しく、月に一度の高尾山ワンデリングを楽しんでいきたいと思います。

最近のメンバー (12月野外料理の時の参加者.47年組から初参加あり)

こんな状況の 月いち高尾 です。興味のある方、年齢、世代を問いません。毎月、堀川からその月の内容をメールで配信しています。どんなことをやっているのか、事務局からのメールを受信してください。気に入らなければやめてもいいし、年に1度の参加でも構いません。まずはshunhori@nifty.com  にアドレスを登録して下さい。

皆さんの参加をお待ちしています。

 

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2018年 月いち高尾の方針 (確認事項・改善点・お願い等々)

① 月いち高尾のオーナーはナンカナイ会の皆さんです(確認事項)。将来的にはシニアワンダラーの合議制による運営を目指します。

② 事務局を以下の3名で運営します。(改善点)

事務局長  堀川義夫(39年)

副事務局長 岡沢晴彦(39年)

副事務局長 藍原瑞明(40年)

岡沢君と藍原君を副事務局長に迎えます。参加人数も毎回多くなりました。体力に合ったコースわけも必要になります。ワンデリング内容の検討およびオーナーとの連絡他必要な活動を3人の合議で決めて行きたいと思います。

③ ワンデリングは自己責任の上で参加してください。(確認事項)

④ 今までは当日に集まった人たちで適宜コース等を決めて楽しんできましたが、本年度からは参加希望の方は事前にエントリーしていただくことにします。これは事務局として全体の参加人数等把握しておき安全面でも配慮したいと思うためです。(改善点)

⑤ 天候等の事由で中止する場合は、原則、実施日の2日前の午後10時までにメール連絡します。(確認事項)

⑥ 携帯電話番号等の事務局への登録を順次お願いします。(皆が高齢者です。決して強制ではありませんが、万一に備え本人の携帯電話番号と緊急連絡先などを登録していただきたいと思います)。

⑦ 山岳保険加入のお勧め。KWV三田会の行事には必ず保険を掛けています。年に数回、月いち高尾に限らずワンデリングをされている方にはお勧めです。年間4000円から5000円程度で加入できます。是非ご検討ください。(山岳保険で検索すればいろいろな紹介があります。ネットで簡単に加入できます。後日改めてご紹介します)。

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        2018年度 上半期の日程

         1月  1月17日(水)

         2月  2月22日(木)

         3月  3月22日(

         4月  4月10日(火)

         5月  未定。

         6月  6月 6日(水)

笹岡さんのこと    (元日本HP   東栄一)

TQCって覚えてますか?

正月早々に、勤務先であった日本(創立時点の“横河”のほうがいいのだが)ヒューレット・パッカード社元社長,笹岡健三さんの訃報が届いた。京都大学出身、横河電機時代測定器技術部門のエースとよばれた方だったが、京大スキー部のファウンディングメンバーでもあり、仕事のほうは当然として、スキー仲間として目をかけていただき、プライベートにもいろいろとお世話になった先輩である。

このようないわばプライベートな事柄を書くのは、笹岡さんとTQCという活動が切っても切れない関係だからで、同氏の訃報を聞き、一番に思い起こしたのがそのことだったからだ。80年代後半から90年代まで、日本の実業界、特に製造業の有為転変に深いつながりをもった“TQC”, ご存知ない方に解題しておくと、Total Quality Control、 日本語訳が何だったのか、忘れてしまったが、モノづくり、ひいては企業経営の中心軸に”品質(Quality)”という概念を据え、”品質”とは出来上がった製品の出来栄えのことだけを指すのではなく、そのような優れた品質を生み出すすべての(Total)企業プロセスが最終顧客の要求に合致することを目標に組み立てられるべきだ、とする経営思想、というべきものだ。それが、登り坂にさしかかり、世界市場を相手にすることになった日本の、とくに製造業の経営陣にアピールし、その思想の発案者である米国のデミング氏にちなんで”デミング賞”なるものが設けられ、各社がその獲得を一つのメルクマールとしてしのぎを削った。日本(当時は横河)HP社は、”外資系企業“のデ賞一番乗りを果たした。その牽引車が笹岡さんだったのである。

先回、“CLASH”ということを書いたときに触れておいたが、当時の我々のあいだにわだかまっていた米国企業崇拝思想のゆえか、デミング理論そのものが米国における先進的な理論であるように受け取られていた。その中に据えられていた数理的な取り扱いがいわゆる伝統的な”日本的経営”(なんだかよくわからないものの当然視されていた)に対するアンチテーゼとして技術者出身の笹岡さんには大いに共感するものがあったのだろうと思われる。ただ、誠に面白いというか今振り返れば皮肉としか言えないのだが、デミング氏が言いたかったのはそれまでの、フォードに始まるベルトコンベヤー的、機械的なアメリカ企業の生き方に対して、より人間的な、ソフト面を重視した考えの必要性であって、それを立証する一つのすべとして、米国人に受け入れやすい”数理”を持ち込んだのだ、ということ、その意味ではデミングが日本的経営の在り方を高く評価していた、ということもかの“CLASH” を読んで初めて理解した。

その意味では、この“TQC”の咀嚼方法が、当時運動の展開に取り組んだ経営学、経営工学の学者たちによる啓蒙活動ではじまり、もたらされた展開手法が時として現実離れした理想追及第一になり、専門家(とわれわれは信じ込まされていた)先生方の権威主義的な”指導“だったことは、実は”日本的経営”の手法そのものだったと思える部分もあった。そのありように反抗し、僕のもともとのアマノジャク性格が災いして、マネージャ層にあって“ジャイはアンチQC人間だ”と危険視されていたことは否定しない。このあたりの事情は、CLASHの項について投稿してくれた坂東正康君がいみじくも喝破したように、戦前の“八紘一宇”的だった、というのは正鵠を射ているかもしれない。

しかしこんなことはどうでもいいので、ここで話題にしたいのは、昨今の重大問題である大手企業のいわば“品質詐称”とでもいえる行動のことである。僕が知る限り、対象となっている”被告“はいずれもTQCの洗礼を受け、多くの場で我々の先輩的立場にあった企業だから、また、大規模なプロセス管理を実施しているところだから、”製品そのもの“が粗悪なものである、とは考えにくい。問題は”実績重視“、といえば格好いいが、要は数字を割り付けられた中間マネジメントが苦し紛れにとった、数字合わせのための一種の反逆的行動だということだ。これが日本のみならず、”ドイツ的品質”と礼賛されたヨーロッパにも同様のことが起きている、ということも、現在世界を席巻している”グローバル企業”の在り方、その根源にある”アメリカ的“な経営、というか思想の問題ではないのか、ということである。

僕が尊敬する大先輩横河正三さんがかつて”アメリカ人てえのは英語をしゃべるキリストだからなあ”と慨嘆されたことがある。デミングが指摘したように、アメリカの社会、”国民”のアイデンディを持たない人間の集まりで唯一通用するのは”数字“である。それが確かにある場、ある時代には先駆的な思想であった。そのことが”グローバル”であることは”アメリカ的“である、あらねばならない、というのが、今の先進的(と思われている)企業の”グローバリゼーション”の現実である。その先駆者のひとつであった、より詳しく言えば創立者ヒューレット、パッカードが率いていたころのHPはThink Global,Act Local ということを標榜していたし、我々も大いに納得していたものだ。 しかし”グローバル企業”の先頭を切ったHP、まだ規模の小さい時点ですでに”ワールドワイド企業”とされていた、僕らの知っていたHPという会社、かつてはアメリカ企業の社会的責任も含めて、“Most admired company” ベストテンの常連だった会社は変貌してしまった。というか、発展的解消なのか四分五裂なのかわからないが、なくなってしまった(社名だけは残っているが)。この事実もまた、問題になっている企業群が示した”数字”一人歩きの結果のように思えてならないのが、引退してほぼ20年、一OBの取り越し苦労ならいいのだが。

笹岡さんご自身、本体のHPにTQC思想を喚起しようと懸命に努力されていた。当時のHPには経営のバイブルとして”会社の目的”(Company Objectives)というものが存在した。その一項目にはじめて Quality という単語が記載されたとき、”巨艦ついに動けり”と喜んでおられたのが鮮明な記憶としてある。

先輩、安らかにお眠りください。