秋の七草をめぐって  

(42 保屋野)船津さんはじめ、花がお好きな方々へ。

花の雑誌を見ていたら、昭和の初期、当時の文化人が選んだ「新・秋の七草」、初めて知りました。

秋海棠(永井荷風)、オシロイバナ(与謝野晶子)、コスモス(菊池寛)、彼岸花(斎藤茂吉)菊(牧野富太郎)、葉鶏頭(長谷川時雨)、赤マンマ~イヌタデ(高浜虚子)だそうです。・・・なるほど。                                       知ってました?

(普通部OB 船津)そんなキョウヨウ、キョイク無き暇人ですが知りませれです。当たり前だなぁ。ろくに本も読んどらんし、ーーーーー!

(44 安田)秋海棠(しゅうかいどう)、葉鶏頭(はげいとう)、赤マンマ~イヌタデ、この3つは呼び方を含めて花の写真をネットで調べて初めて知ることが出来ました。昔の文人の恐ろしいばかりの教養には魂消ます。
文章を書く力などは、現代人・将来人はパソコンの影響で、劣化の一途を辿りそうです。森鴎外、夏目漱石、永井荷風・・・などは次第に読まれ無くなってていきそうです。それこそ菅原さんの仰る“にふう”って誰ですかの時代になってきました。僕の娘は小学生時代に、“お父さんは富良野でスキーしてきたのだよ” と書いて知らせたら、“とみよしの” は何処なの?と尋ねてきました。北海道の富良野は地理で勉強しているはずなのに・・・。そんな時代を迎えつつあるのですね!

(金藤)新・秋の七草 知りませんでした!その中から私の身近にあった三つの草花に関してです:

「オシロイバナ」は黒い種を割ると中に白い粉(胚乳)が入っています。 幼い頃、鼻筋にに塗ってみたかったのですが、毒があるので口にしてはいけないと言われていましたから顔には塗りませんでした。
花で、けん玉を作って遊びましたがなかなか入りません、茎を曲げると雌しべの茎・紐になる部分が長くなり入りやすくなりました。
「赤マンマ」はその名の通り 赤い粒をバラバラにして、やはり幼い頃、おままごとに使いました。 私が小学校低学年の頃までは住宅街の道端にも咲いていました。
「シュウカイドウ」は漢字で「秋海棠」と書くのは初めて知りました!
実家にも昔からありましたから、八王子に住むようになった時に株分けして持ってきました。
秋に開花後、葉も茎も枯れますが地中に球根が残り、春になると毎年生えて来ますが、一時無くなってしまいました でも、近所の方に株分けして差しあげていましたので、今度は私がお願いして株分けしてもらい出戻ってきました
ガーデンセンターで売っているベゴニア類と比べると、半野生ですから地味ですが、優しいピンク色の花が垂れ下がり気味に咲き好きな草花の一つです
(編集子)安田兄、こういう時代だからこそ、オリジナルを大切にして子孫に伝承するのが我々の務めですぜ。例によってグーちゃんからコピーしておきます。

秋の七草とは、山上憶良(やまのうえのおくら)が詠んだ下記の2首の歌にちなんでいます。

1.「秋の野に 咲たる花を 指折り かき数ふれば 七種(ななくさ)の花」 (万葉集)

2.「萩の花 尾花葛花 瞿麦(なでしこ)の花 姫部志(をみなえし) また藤袴 朝顔の花」 (万葉集)

歌の中にある「朝顔の花」については、朝顔・昼顔・ムクゲ・桔梗など諸説ありますが桔梗が有力とされています。秋の七草は、春の七草のように粥にして食べたり、というようなことは特にありません。

平安時代貴族は、秋の七草が咲いていた花野(はなの)を歩きながら歌を詠むという風流な遊びをしていました。花野に咲く秋の七草を月の光で愛でていたのでしょうか。