伊藤若冲が観られます  (普通部OB 船津於菟彦)

日経新聞で「私の履歴書」を美術史家・辻惟雄氏が書いているが、伊藤若冲と言う奇想の画家は彼と米国人のジョー・プライスによって発掘され今日の人気作家になったという。辻氏は「奇想の系譜」と言う江戸美術の奇想画家達の火付け役の本を半世紀も前の1970年に書いている。

今回、何とその伊藤若冲などの江戸絵画のエツコ & ジョー・プライス夫妻コレクションの内190点が出光美術館に売却された。彼が江戸絵画を初めて手にしたのは1953年、父親の会社の社屋設計を手がけていた建築家のフランク・ロイド・ライトに会うために、ニューヨークを訪れたときのことだ。
ジョー氏が人生の師の一人と仰ぐライトは、浮世絵のコレクターとしても知られる。ライトがマンハッタンにあるなじみの古美術商を訪れるのに同行したジョー氏は、一枚の絵画に出会う。「漫然と見ているうちに、掛け軸の一つに目がとまり、そうなると気になって仕方なかった。

”それが若冲の《葡萄図》だったわけですが、そのときは絵師の名前も、《葡萄図》という作品名も頭に入っていませんでしたね。絵そのものに惹かれたのです『若冲になったアメリカ人ジョー・D・プライス物語』小学館”

それ以来コレクションを始めた。そして自宅に飾り、障子越しの光で観るのが一番と、それに適した自宅まで作られた。その後コレクションを一般公開と学術的研究の為と、プライス夫妻が拠点とするロサンゼルスでも成し遂げようとした。
夫妻は自己資金と寄付をもとにロサンゼルス・カウンティ美術館に日本館を新設し、約600点のコレクションを寄贈、日本美術の教育・研究のための施設も備えるという壮大なプロジェクトを進めていた。しかし、日本館自体は1988年に完成したものの、美術館側のコレクションに対するぞんざいな扱いやプライス夫妻の関与を排除する動き、そして夫人への人種偏見的な振る舞いがみられたことから、夫妻は1980年以前に購入した190点の寄贈のみにとどめた。

エツコ & ジョー・プライス夫妻の在るべき所にこの絵はあるべきと考え、プライベートセールという形で今回の運びになった。仲介役を担ったクリスティーズジャパンの山口桂社長は、当時のことを振り返る。「最初にプライスさんから話があったのは2015年のことでした。プライベートセールとは、オークションにかけず、相対で作品を取引するものです。夫妻の希望は、“190点の作品をまとめて購入する日本の公的な機関”というものでした。一般の人が作品を鑑賞で きること、そして研究者が自由に見られることも条件でした」。

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江戸から東京に移り変わる時代に、多くの日本の絵画の名品が海外に流出して行った。日本にあっても当時の混乱などで破棄されたり破損されたりしたかも知れないので、海外で浮世絵などが大量に保存されているのはある意味では良かったことかも知れない。以前ボストン美術館を訪ねたときに壮大な浮世絵展を特別展として開催していたが、ボストンに預かって貰って「有難う」かも。

それが今回返還され、自由に観られる機会が出来たことは素晴らしい。この新型コロナウィルス蔓延旋風が収束して、出光美術館で拝見できる日が愉しみだ。

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エツコ & ジョー・プライス夫妻(ETSUKO & JOE PRICE)
ジョー・D・プライスは1929年アメリカ・オクラホマ州生まれ。石油パイプライ ンの会社を経営する父を手伝うために、大学では機械工学を専攻。エツコ・プライスは鳥取県生まれ。’66年にジョーと結婚。’80年、二人は若冲の画号から名をとった財団「心遠館」を設立した。