エーガ愛好会(39) 映画が芸術であった頃の話  (普通部OB 田村耕一郎)

新年の映画番組を楽しんでいるとき、映画にうるさかった横山善太のことを思い出した。2005年に彼がにある会合に招かれて講演したときのエッセイ「映画が芸術であった頃の話」をご紹介する。善太のご家族から「皆さんにご披露すること」また「貴兄のブログに掲載すること」の了解を得てある。生前、善太から文学青年の趣きが漂うエッセイを数作もらっておりこれはそのうちの一作。

(編集子注:普通部時代の同級生、横山善太は中学時代から秀才とうたわれ、早熟で文学好きな好漢だった。航空会社大手の要職にあったが、退職後発覚した宿痾と壮絶な闘いののち、2018年3月、旅立った)。

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毎年の欧掘出張の際、週末の一日をあの懐かしい欧州名画 の故郷に訪ねることにしています。 「わが谷は縁なりき」(1944年ジヨン・フオード)のウェールズコンダヴアレー、「第三の男」(1948年キャロル・リード) のウイーンなどでありますが、今回は静かにゆつたりとしたお正月 に「逢いびき」(1945年デビット・リーン)をご紹介します。

舞台はランカスター地方のカーンフオースという小都の駅なので すが 、 訪ねて参りました。 この映画は英国映画名監督のデビット・リーン(”旅情”、”戦場に 架ける橋” ”アラビアのロレンス)の出世作品と言っても良いのでしよう。 第2次世界大戦終戦直後の1945年の製作にも拘らず、すでに イギリスでは落ち着いた中流家庭の日常が何もなかったように控え 目に時が流れているさまを描いた作品です。 物語はロンドン郊外の中流家庭婦人(シリア・ジョンソン…当時 の名舞台女優とのことであるが、地味な中程度の美人で、映画では 有名ではない)とクロスワードパズルに熱心な夫と夕食後の退屈な 時を静かに過ごす。蓄音機からこれもまた静かにラフマニノフが流 れている 。 この夫人は毎週木曜日にこの地方の中核都市とおぼしきミルフオードという街に鉄道で出掛け、買物をしたり、図書館に寄ったり、 映画を観たりする習慣になつている。 一方ロンドン在住らしき医師(トレバー・ハワード)がおり、こ の街の粉塵公害研究所に毎運木曜書に来訪する。この医師との出会 いから別離までが控え目な興奮とときめきを伴って展開する。そし て一線を越える間際で 、 ある成り行きに遮られ 、 何事も起らず医師 は思いを断ち切るため、かねてから話のあった予防医学 研究のため のアフリカ行きを決意し 、 初めて出会ったミルフオードの駅のレス トランで別れの時を過ごす場面となる。たまたま居合わせた夫人の 友人のおしやべりのため、医師は彼女の肩に手を置くだけで何も言 わずに去り 、 情熱の火は余韻を引きつつ消えていくのであります 。 イギリスの退屈なれどエスタプリッシュされた中流家庭に一石が 投じられ水面に波が立つことになってもまた静かな水面に戻る情景 、 ドラマテイツクな場面はない,リアリテイと日常性が不思議と物語 の情感を伝えることとなっている名作だと思うのです 。

さて 、 私はこのミルフオード駅を探したところ実在の街ではなく 、 映画ではランカスター近郊の小都カーンフオースという街 、 駅が現 場であつたことが分かりお訪ねすることになりました 。 予め調べておいたこともあり 、 お訪ねすると当駅の鉄道OBなる チヨビ髭大男がブルーのトックリセーター姿なんぞで大仰に愛想良 く出迎えてくれました 。 実は最近 、 日本の方々が” 逢いびき”の故郷ということでお訪ね になることが多いこともあり(何と吾が懐かしきキネ旬同窓生が既 に探訪しているか!と感心したりして)ロンドン]の古物商に売り 払った駅時計を買い戻してきたなどの解説を聞きながら 、 誰もいな い待合室で”逢いびき」のエンドレスフイルムを見ながら記念写真 をとろうとすると 、”いや、そぅではない。あの時トレパー・ハワー ドがコートをひるがえしてホームの階段を駆け登り時計を見る場面 がある〈の〉ではないか” とそのポーズをとらされたり 、ご案内頂 き 、 出会いと別れの駅レストランのカウンターでビターを飲みなが らイングリッシュネスの情感に身を置く心地よい想いでありました (日本公開昭和露年キネマ旬報第3位)。

この時代の映画を映「画が芸術であつた頃」と評する人がおりま すが 、 確かに貧しくとも 、 むしろ貧しかったからこそ感動の多い時 代であつたと年末に越し方振り返りそう思うのであります 。