米国大統領選に関して思うこと  (44 安田耕太郎)

ウィンストン・チャーチルの有名な言い尽くされた発言がある。「民主主義は最悪の政治形態である。ただし、これまで試されてきたいかなる政治制度を除けば」。51%の得票で選挙に勝つと言うことは極論すると、49%は反対する、或いは意見を異にする人達がいると言うこと。大変複雑で難しい政治形態です、民主主義と言うのは。

民主主義体制国家は、現在国民が直接首長を選ぶアメリカ・フランス・韓国のような国と、日本・イギリス・ドイツのような間接選挙に依る国がある。いずれの形態も完璧はあり得ず、どちらもそれぞれに異なる問題と困難に直面している。

日本でも国民の政治・選挙への関心の低さを理由に解決案としてアメリカ方式の直接選挙の採用を推す声が絶えない。今の日本の状態では第2の「横山ノック」や「青島幸男」を誕生させる危険大であると僕は思う。或いは、一歩間違えば全体主義的な独裁者タイプの首長を選ぶリスクさえある。能ある鷹が爪を隠しているのを看破するだけの客観的で知的な成熟した判断力を国民全体が持ち得ているとはとても思えないからである。更に、首長候補者をふるいにかけて絞り込んでいくアメリカ大統領選挙のような充分な時間をかける方式が日本で可能であろうか? 国民が問題意識を広い範囲で、深く理解いするレベルに達するまで直接選挙は危険が大き過ぎて無理であろう。しかし、今の選挙形態ではいつまで経っても投票率は低く、政治への関心と真の理解は悲劇的に低いままだろう。これでは直接選挙を採用するに足る環境は永久に訪れないだろう。最大のジレンマがここにある。鶏と卵、どちらが先か?、である。充分すぎる議論と検討が必要であろう。

よく言われる「農業に立脚した共同社会形態」のDNAが染み付いた日本人には全体として、個々の主義主張を戦わせることに慣れていない、或いはそれを厭う・避ける傾向が強い。「口角泡を飛ばして」論争や対話を厭わない土壌にはなっていない。「親方日の丸」や「長い物には巻かれろ」「以心伝心」「忖度する」的思考方法が全体を見れば優勢に思える。これでは直接選挙で首長を選ぶ資格がある成熟した民主社会とはとても言えないだろう。国民のレベルに見合ったリーダーしか結局は持ち得ないのであろう

独裁だから悪い、民主主義だから良いと単純に割り切れないという認識が芽生えて来ているようにも見える。民主主義の「制度」があるだけではダメ。それは「可能性」を秘めているけれど、その「可能性」をしっかり活かすように私たち国民が成長して、民主主義の優れた運用者として育ってゆく必要がある。そうでないと世の中はよくならない。だからこそ私たちには、私たちのために住みよく、生き生きとした環境を自ら選択・判断・行動してつくりあげてゆく責務があるのである。そうあってこそ「民主主義」という「制度」が生きる。

最後にちょっと本題から外れるが、今夏亡くなった劇作家の山﨑正和の遺言とも取れる発言を紹介させて頂く。

コロナ危機は、近代人の秘められた傲慢に冷や水を浴びせ、人類の過去の文明、都市文明発祥以来の歴史への復帰を促す。 感染症が桁外れに深刻な恐怖と不安を人に与えるのは、病原体も 感染経路も闇に隠れていて恐怖がいつまで続くのか先行きが見え ず、それに対して「する」ことが何も無いから。自然との交渉の中で文明が勝つとの進歩主義イデオロギーはあきらめて、今回の経験が伝統的な日本の世界観、現実を無常と見る 感受性の復活に繋がってほしい。