”エーガ愛好会” (33) 砂漠の鬼将軍  (44 安田耕太郎)

エーガ愛好会では最近BSPで放映された「パットン大戦車軍団」(Patton) 「遠すぎた橋」(A Bridge Too Far) の第二次世界大戦の戦争物映画を取り上げた。 「砂漠の鬼将軍」は、2000キロ(稚内〜鹿児島の距離) 以上に及ぶ広大な砂漠に展開された北アフリカ戦線において、巧みな戦略・戦術によって戦力的に圧倒的に優勢な連合国側をたびたび壊滅させ、英首相チャーチルをして「ナポレオン以来の戦術家」とまで評せさせ、第二次世界大戦中から「砂漠の狐」(The Desert  Foxの異名で世界に知られたたドイツ軍人エルヴィン・ロンメル「Erwin Rommel 」の栄光と挫折を描く映画だ。

連合国軍アメリカ人パットン将軍を描いた「パットン大戦車軍団」は主役を演じたジョージC.スコットが1970年度のアカデミー主演男優賞を獲得。指揮官の人間性を色濃く描いた映画で、「砂漠の鬼将軍」はどちらかと云えば、戦闘に重きを置いた「遠すぎた橋」よりも「パットン大戦車軍団」に近く、意見を異にする上司(この映画ではヒトラー)との確執に苦悩する人間ロンメルを描いたヒューマンドラマの色彩が非常に濃い。

ロンメルは貴族(ユンカー)出身ではなく、中産階級出身者初の陸軍元帥でもある。数々の戦功だけでなく、騎士道精神に溢れた行動と多才な人柄で悲劇的な最期をとげたが、SS(親衛隊ゲシュタポ)ではなく国防軍の所属であった。北アフリアカ戦線での戦功によって名将の誉れ高く、戦時中ドイツ国内での彼の人気は沸騰する。民間出身のロンメルの活躍と成功が生粋の軍人将校たちの嫉妬を招き、ヒトラーの取り巻き連中の反感をも買ったニュアンスを映画は描いている。

連戦連勝して戦略的要衝の地スエズ運河間近まで迫り、連合国側の拠点パレスチナへ歩を進める段階まできたところで、ロンメルは気候条件劣悪な戦場での過労がたたった病気で戦線を離脱して一時帰国する。ロンメルが留守の間に、部隊を立て直し物量で圧倒する連合国側は戦略的に重要な地エジプトのエルアラメインでドイツ軍を圧倒。ドイツ軍は撤退を余儀なくされる。戦線に復帰したロンメルはヒトラー中枢部に自軍を立て直すために撤退と兵站強化を請うが、ヒトラーは飽くまで「闘い継続か、死か」と命令する。面談の交渉でも言下に拒絶・誹謗される。 冷静な客観的分析に基づき自軍の犬死を避けたいロンメルはこの頃より、理不尽な上司ヒトラーに対し、反感をもつに至る。ヒトラーの取り巻きイエスマン部下もロンメルにとっては救いにならないばかりか、逆に窮地に追い込まれる。

ドイツ軍は東部戦線、西部戦線など至る所で敗色濃厚となる。こんな状況下、ヒトラー暗殺未遂事件が発覚。ヒトラーは負傷するが命に別状なし。犯人探しに躍起となる。その過程で、機銃掃射のよって負傷し自宅療養していたロンメルが黒幕として疑われる。ロンメルの自宅をヒトラーに命令された将校が訪れる。将校は青酸カリを持参し、ロンメルの自死を促す。彼の名誉と家族の安全を保証するという条件で。拒絶すれば死刑はおろか家族の身に危害が加わることを伝えられ、冤罪と分かっていても彼は自死を選び、妻・息子と最期の別れをして、将校達に連行される場面で映画は終わる。ドイツの敗色が濃厚な1944年10月14日のことである。ロンメルの死 (享年52)は、公には戦死だと発表される。

映画制作は1951年、戦争終結から6年後、ロンメルの死から7年後。ロンメルが敵方連合国側でも敬意を抱かれたことがうかがわれる。また、非業の死を遂げたロンメルの名誉を回復させヒトラーの悪事と戦争の理不尽さを知らしめる狙いもあったのかも知れない。映画制作にあたっては未亡人が相談役として参加したとのこと。また、ロンメルの軍服をロンメル役のジェームス・メイソン(映画出演当時42歳) が実際着て映画撮影したとのことである。

(編集子)連合軍が欧州前面でなく背後にあたる北アフリカからナチ戦線に迫った大掛かりな作戦がローマへの進撃につながり、ノルマンディ上陸によって欧州戦線の帰趨が決まるのだが、第二次大戦に詳しい歴史家リック・アトキンソンはこの作戦の詳細を Army at Dawn  という本に書いている。

われわれはこの映画のような華々しい戦闘シーンばかりを想像するが、この題名の at dawn という句がいうように、この時点ではまだまだアメリカ軍は組織的に未熟であり、エル・アラメインでの大勝まで、内輪もめあり、作戦面での齟齬あり、大変な苦労をしたらしい。映画ではリチャード・バートン主演の ロンメル軍団を叩け とか、史実ではあるまいが、かつてテレビのシリーズに、タイトルは忘れてしまったがコマンド部隊が砂漠をジープで走り回る活劇もの(主演はエルドラドでウエインの向こうを張ったクリストファー・ジョージだったと思うのだが)があったりするし、あの物悲しい主題歌のボレロのほうが記憶に残る 撃墜王アフリカの星 や、この作戦中、ドイツ側の補給基地であったトブルクが背景のトブルク戦線(ロック・ハドソン、ジョージ・パード)などもあった。ノルマンディの後を映画化したものに比べると数は少ないが、いずれにせよ映画から歴史を学べるというのもありがたい話であろうか。