新春映画三昧  (34 小泉幾多郎)

今年のお正月は、昨年6月家内の母が亡くなり喪中となった。何年か前から正月には、七福神めぐりをほぼ欠かさず続けてきたが、喪中では如何と思ったが、神社はまずいがお寺なら問題ないとという話を聞き、偶々横浜相鉄線の広報誌相鉄瓦版に掲載されていた瀬谷駅の北と南にお寺ばかり4寺ずつ存在する七福神に達磨大師を加えた瀬谷八福神をお参りしてきた。瀬谷八福神めぐりで体を動かしたせいか、億劫がっていた身体に弾みがついたのか、最近は年に一回行ったかどうかの映画館へ新春早々三つも、しかも毛色の変わった「スターウオーズスカイウオーカーの夜明け」「ダウントンアビー」「キャッツ」の三本。共通点は、キャッツはミュージカルだから当たり前だが、三本とも音楽が素晴らしかった。人物同士の関係性に音楽がつながっていた。

 「スターウオーズスカイウオーカーの夜明け」は、1977年に登場した記念すべき第1作から42年、エピソード9となって完結を迎えたのだ。数作かのスピンオフ作品もあったが、オリジナルの3部作後に16年ぶりに前日譚として3部作、さらに新旧3部作の後日譚として全9部作で完結したのだ。第1作が登場した年は、小生42歳、仕事人間の真っ最中だったが、少なくともその3部作は映画館で観た筈、その後の3部作はレンタルビデオかTVか?。最後の3部作のうちの2作は、昨年12月20日27日に日本テレビで放映したのをしっかり観てから映画館へ。スターウオーズ最大の魅力はジョン・ウイリアムズの音楽だろう。序曲をはじめオペラのライトモチーフ技法を用いた人物毎にメロディーに特色があり何れも魅力的。最後の3部作は女性レイが大活躍するが、その最終作は、第1作からの原点へのリスペクトが感じられ、これまでへのオマージュがふんだんに折り込まれる中で、ダークサイド帝国軍と反乱同盟軍との戦いに決着をつけたのだった。あとで分かったことだが、8・9作目の監督ライアン・ジョンソンは、先日gisanが書かれた「ナイブズ・アウト」の脚本監督で、脚本ではアカデミー賞にノミネートされているとのこと。成程「スターウオーズ」最後のまとめ方が最高だったことに納得がいった。しかし歳は争えない。耳をつんざくばかりの音響。
画面の殆んどがアクション。若き頃、血わき肉躍る興奮が、残念ながら騒音に近ずいてきたことも正直なところと言うのは辛い。

 「ダウントン・アビー」NHKのTVで、貴族や使用人たちの人間模様を毎週観ていたが、映画は、TV最終回から、2年後、国王と王妃が訪問するという手紙が届くところから始まる。手紙は蒸気機関車の音と共に、英国の田園風景を蒸気が白く立ち上げながら走るという素晴らしい出だしと共に届くことになる。しかしこれはTVの第1話の開幕でダウントンアビーの相続人が、タイタニック号沈没で死亡したとの報が、蒸気機関車の走りから話が始まったことを踏襲したのだ。映画は国王夫妻の訪問を主軸に、国王暗殺計画のサスペンス、恋愛、使用人同士の諍い等を含め、華やかな衣裳やダンスパーティ等TVとは違った豪華さを楽しむことが出来た。

 「キャッツ」は、路地裏に捨てられた主人公の白猫ヴィクトリアに、ロイヤルバレー団のプリンシパル、フランチェスカ・ヘイワードを起用した以外は、有名俳優陣が出演。それが人間のプロポ-ションを持ち、全身に毛皮をまとった猫人間として、しなやかに身体をくねらせる半人半獣のこの世に存在しない生き物が何か不気味な存在として賛否両論が巻き起こったとのこと。映画は白猫ヴィクトリアからの目線で描き、圧巻の「メモリー」は孤独な娼婦グリザベラに扮するジェニファー・ハドソンの熱唱に酔いしれることになるが、映画化に当たり新たに作曲された「ビューティフル・ゴースト」が、メモリーを補填する歌として奏でられる。ダンスシーンでは華麗なるタップシーンを線路上で見せたり、擬人化したゴキブリが小人の踊り子らしく踊りまくる。名女優ジュディ・デンチ扮する長老猫を中心に大勢が踊り、最後に「メモリー」を歌うグリザベラを天上への旅たちに選出する部族の母親のような存在は、現在のエリザベス女王の貫録を彷彿とさせるのだった。

(編集子感想)毎回思うのだが、小泉さんがこんなに映画や音楽の造詣が深い人だとは想像もしていなかった。ご本人はすでにご記憶にないというのだが、五色スキー合宿最後の夜、卒業生壮行の宴会で、たしか相方はトッパさんだったか椎名さんだったか、このあたりこっちも記憶にないが、ラクダのズボン下姿でやられたパントマイムはただ、ただ、おかしくて、全員爆笑哄笑が絶えなかった。そういうことしか覚えていない小生が悪いのだろうが、これほどイメージの変わった人は80年の人生の中でもはじめてである。先輩、今後とも相変わりなくお付き合いのほどお願い申し上げます。