リバタリアニズム とは?

本屋でいつも通り立ち読みをしていて偶然、”リバタリアニズム” というタイトルの本に出くわした。この考え方がいまアメリカの中間層を揺るがしている思想だ、というカバーにつられて買ってきた。著者は渡辺靖氏、最近よくテレビの討論会にも出てくるおなじみだったせいもある。このタイトルを同氏は自由至上主義、と訳している。一言で言えば公権力を極限まで制限し、”他人に影響しない”範囲で個人にはすべてが自由だ、という発想だという。その理想にしたがって、どのようなことが起きているか、についてはここでは繰り返さないが、この発想が現在のトランプ政権の行方にまで影響するという見立てであれば、ことは重大かもしれない。

今までの大まかなつかみ方で言えば、現存する支配層を維持しようというのが保守であり、改変を迫るのが革新、というのが定義であった。欧州では歴史的に見て絶対王権が存在していたわけだから、支配層に対する市民層の自由、という区別がそのまま保守・革新の定義だった。アメリカにはそもそもそういう歴史がないが憲法に明確に自由、ということが書かれているから、その是非・解釈・政策への反映をめぐるのが保守か革新か、ということになる。しかしリバタリアンの主張は今までの保守(共和党)でもなければ革新(民主党)でもなく、個々の問題について論点が異なる。よって、この思想の支持者の行方が、もしかするとトランプの再選か脱落を決定する要素になる、というのが渡辺氏の観察だ。

”リバタリアニズム” なる事象はまさにアメリカという国だからこそ起こり得るのだと思うが、日本の現状との接点について渡辺氏が本の最後に述べられていることについては全面的に同意できる。日本での保守と革新、という対立、その結果導き出される国の方向とか、政策というものがどういう過程を経て論議されているのか、本書の意義で言えば、リバタリアンというようないわば極論が出るよううになるまで、まじめに論議されているのだろうか、ということである。

われわれが在学したころ教わった資本主義国の福祉国家への転換路線、という動きはあちこちでほころびを見せている。昨年、ふとしたことから安田耕太郎君(44年)と一緒に成城大学講座で学んだ ”ポピュリズム” 旋風もその一つの表れだろう。そのような混迷のなかでも社会福祉路線が行き詰まり、少子高齢化という現象にさらされ、真の ”革新” が必要な日本なのに、今の政治で議論されていることの不思議さ、欧米ならば ”革新” 陣営が先導するはずの公権力による施策が ”保守” とされ、対応すべき革新勢力からはなんら実現可能な対案が見えてこない、という不思議さを同氏は憂慮する。参院選が目前に迫るいま、また僕らは不毛の選択を迫られるのだろうか。

やや詳細すぎて多少持て余す感じもあるが、本書(中公新書、定価800円)は決した高くはないと思う。一読をお勧めする。