“ボヘミアンラプソディー”考  (36 高橋良子)

今日本で話題になっているこの映画を観に、映画館に足を運ばれた方も
多いのではないかと思いますが、私もそのうちの一人です。

音楽といえばクラシック以外に興味がなく、ましてやロックバンドの「クイーン」などの存在すら知らなかった私が、何故「ボヘミアン・ラプソディ」に魅了されてしまったか。

この映画について、新聞等に書かれている記事や寄せられている声によると、「クイーン」のボーカリスト」であった主人公フレディ・マーキュリーが生前抱えていた移民、宗教、容姿、同性愛への差別偏見による苦悩や孤独感に、見ている人が自分も何かしら抱えるものを重ね合わせていると云うのです。1985年のライブエイドでの感動的なライブコンサートの場面でその感情は最高潮に達し、観客に圧倒的な高揚感とカタルシスを与えると。映画はこのライブのシーンで終わります。

あとで知ったのですが、クイーンのメンバー全員かなりのインテリであると。
出自が移民であるフレディをファミリーの一員として受け入れ、共に後世に残るロックバンド「クイーン」を創り上げたのも、フレディの力ばかりではないと思います。
「ボヘミアン・ラフソディ」は人を殺したという告白で始まる驚くべき歌詞であるに拘わらず、英国の国家的ソングになっているそうですが、何と不思議なことでしょう。この歌にはフレディの人生哲学が投影されているように私には思えるのです。

「人生は芝居だ、なにやら喚きたてているが終わりには何の意味もありはしない」

シェイクスピアの言葉ですが、彼はそのようにこの世を去っていきました。
でも、人を勇気づける歌も残していきました。

We are champion いろいろ失敗しても、また頑張れば誰でもチャンピオンになれる、と最終シーンで熱唱しました。私はこれに元気づけられ映画館をあとにしました。