山荘のこと    (34 真木弓子)

何時もブログを楽しく拝読させて頂いております。今回は特に「60周年山荘祭」の投稿を懐かしく拝読致しました。
60年前は遥かに昔のように思えたり、つい5、6年位前の事にも思えたりで、
感無量でした。肝心な妹尾さんが天に召されてしまって、言葉はありません。
天国でショッペイと賑やかに飲みながら小屋の話しをしていた事でしょう!

当時から KWV部員として呑気に楽しく山行に参加しておりましたが、山荘建設が決まり、三国トンネルを歩いて浅貝に入り、男性部員が石運びをして戻ると、食当の私達女性陣が 確か?「お汁粉∨お味噌汁」を用意して クタクタにお疲れの方々に 今で云うところの「おもてなし」をした記憶が鮮明に思い出されます。私の記憶では「お汁粉」なのですが、違ったかな~?

後は小屋が無事完成して、地元や先輩の方々がご出席下さって、盛大な完成パーテーが開催されて、全員が大感激!私も涙が出た事を覚えています。
私は化粧け もなく三つ編みで、 矢張り昔々ですね。

(返信)  チンタさん:

暖かいメール、ありがとうございました。
そう,三つ編みでしたよね! いつもかぶっていらした帽子のこととか、椎名さんがからかっておられた ”土手のむこうをチンタが通る….それが何より証拠には……しょっぺが見えたり隠れたり.….” という替え歌を思い出しました。
高齢者の仲間入りしてもいつでも思い出を共有できる仲間がいる、ということの幸せをつくづく感じます。
(写真説明:浅貝夏合宿、前列は妹尾、”三つ編み”チンタ、森田、中列は平松、梅田(田崎)、後列に中司、高林。ほかはその後退部した仲間と思うが名前が思い出せない。平松さんじゃなくて森永さんみたいな気もするのだが)