慶応高校野球部はなぜ強くなったか? (50 YHP 菅井康二) 

(今年の甲子園での慶応高校の活躍は塾関係者にとって素晴らしいニュースだった。本稿の筆者は50年工学部機械工学科卒、YHP(現日本HP)でPC分野のエンジニアとして活躍、同時に長年にわたり高校野球マニアをもって任じている。同君はこのブログの出発時点から技術的サポートを提供してくれている間柄でもある。本稿について質問などある場合は下記まで直接ご連絡を歓迎)。

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甲子園に翻る塾旗

今年の慶應義塾高校(以下塾高と略します)野球部は10年ぶりに春夏の甲子園に2季連続出場を果たしました。10年前の20089年は春・夏・春3季連続出場し今年の新チームも期待されていたのですが106日の秋季神奈川大会準決勝戦で9回表まで横浜高校を10でリードするもその裏に劇的なサヨナラ2ランホームランを打たれて惜敗しました。

1960年、後に東京六大学初の完全試合を達成した渡辺泰輔投手を擁してベスト8まで勝ち進みましたが、その後長きに渡り甲子園から遠ざかっていた塾高が2005年に選抜甲子園に45年ぶりに出場出来たのは、2003年に導入された推薦入試制度によって入学した才能に優れた生徒たちの活躍のお陰でした。この推薦入試制度での募集人員はトータル40名でスポーツ、文芸、音楽、などで優れた実績をあげ中学校の成績評価が38以上(9教科でオール5だと45になります)の者が出願資格を有するというものでした。塾高の野球部は40名中10名程度の枠があるようです。この推薦入試の第1期生の代のチームが秋季関東大会ベスト8という成績をあげ東京・関東から6校という枠の6番目というギリギリではありましたがいきなり選抜出場校に選ばれたことは多くの野球部関係者を驚かせました。

中越戦、宮尾遊撃手のサヨナラヒット

この制度導入以前は中等部や普通部で軟式野球をやっていた内進生達は当然のように塾高野球部に入部していたのですが「全国から野球エリートが入学してくるようになるとベンチ入りは難しい」と判断した運動能力に優れた一部の生徒がアメフト部に流れました。それだけが原因とは言いきれませんが塾高アメフト部は2005年のクリスマスボウルでは22年ぶりの優勝を果たし日本一に輝くという面白い結果をもたらしました。

横浜高校の前監督の渡辺元智氏や元野球部部長だった小倉清一郎氏は「慶應が本気になって(選手を)集め始めたら手強い相手になる」と危機感を抱いていました。世間的には「慶應(塾高)もついに全国から選手を集めはじめた」と見られているようですが実際にはそう簡単に言い切れるものとは言えません。

この推薦入試制度には大学のAO入試同様、慶應義塾としての矜持が保たれ、そこそこ勉強の出来る野球少年にとってはかなりの高いハードルのようです。横浜、東海大相模、桐蔭学園などのような神奈川の野球強豪校がやっている野球推薦入学制度、所謂「スポーツ推薦」は中学校時代の競技実績に基づき監督や指導者の判断で実質的な内定を出し、後に形式的な面接試験するというものです。塾高では内定は出さないので監督や部長は入学を希望している本人や保護者にどれだけ優秀な実績があっても合格の保証は出来ないので、落ちた場合のことも考えておくようにと念を押しています。実際にかなり優秀な実績を上げた選手でも不合格になった例があり、また当該部活の部長・監督など関係者は推薦入試の合否判定には加われないことになっています(それが原因で数年前に監督が「キャッチャーを6人も取ってくれた!」と嘆息していました)。通常、この種の推薦入試で合格した場合は当該部活に入部する義務が生じますが塾高の場合はそれもなく、従って塾高では大学と同様「スポーツ推薦」という言葉は使っていません。早実にも推薦入試制度がありますが、必要とされる成績が36/45と塾高よりやや低く合否の判定には野球部の監督の意向がかなり強く反映されているそうです。

38/45という内申点をクリアした受験生は面接とその場で与えられた題で少人数でのグループ・ディスカッションを行い、中学生時代の実績(野球の場合はチームが全国大会でベスト8以上のメンバー又は国際大会のメンバーに選抜された選手というレヴェル)と合わせて合否の判定がなされます。

雄叫び挙げてサヨナラホームインする善波捕手

中学時代に野球をやっていたが要求されるレヴェルの実績を上げられなかった受験生の中には陸上競技など他競技での成績との「合わせ技」で合格を勝ち取った生徒もいました。中学時代に野球をやっていた生徒が全国レヴェルの作文コンクールの成績でこの推薦入試に合格したのですが、2005年の選抜大会の初戦ではこの選手がサヨナラヒットを打ったということが私が記憶しているユニークな一例です。

塾高には授業料免除などの特待制度は全くありません。生徒の保護者という立場では大学を含めると7年間の学費、用具代や遠征の費用、さらに地方出身者の場合にはそれに食住の費用(塾高野球部は合宿所や寮は持っていません)なども加わりその負担は半端な金額ではありません。また野球強豪校のようなスポーツ・クラスは設けていないので、学力的な水準ををクリアした野球少年達とはいえ塾高の授業についていくのはかなり大変だそうで、成績も普通の生徒と同じ基準で評価されます(日大三高のスポーツ・クラスなどは教科書も一般のクラスとは違い、授業も中学校の復習程度の内容のようです)。野球部の部長や監督は成績の芳しくない野球部の生徒の保護者には留年するよりは安いので必要に応じて塾に行かせるなり家庭教師をつけてください」と言っています。現在でも塾高では試験成績の平均点が10点満点で6点に近い5点台の点数があれば進級できますが、5点台半ばで進級会議において、レギュラークラスの選手でも留年したり放校になったというケースが実際にありました。

大学入試が無いという大きなアドヴァンテージがあるにしても、塾高というそれなりの制約のある環境において神奈川や全国の強豪校に互する実力を養うということは選手・指導者双方ともかなり大変なことも事実です。

甲子園入場式