久し振りにコンサートを聴く   (44 安田耕太郎)

昨夜は「麻布学園OBオーケストラ演奏会2024」をサントリーホールに、腰椎骨折から3年半経ち漸く外出出来るようになった”神さん”と一緒に聴きに行った。久し振りに音楽のシャワーを気持ちよく浴びた。指揮と総アドバイザーは愚息と同期だった、今では引く手あまたの鈴木優人(プロフィール下記貼付)。

image0.jpeg
彼の演奏・指揮したバッハ・コレギウム・ジャパンコンサートを何回か聴いたことがあり、注目すべき逸材。昨夜のコンサートは、多くの世代に跨る卒業生楽団員から構成される謂わばアマチュア楽団をOBのプロ・鈴木優人が指揮するというのがプログラム。
先ず一部では、1960/S35年卒OB(大学はS39卒)のジャズピアニスト山下洋輔の82歳とは思えぬエネルギー溢れる、ジョージ・ガーシュインの名曲「ラプソディー・イン・ブルー」、続いて「サマー・タイム」の熱演に聴き入る。山下も
リラックして、笑みを見せながら鍵盤を叩いていた。インターミッションを挟んで2部は、モデスト・ムソグルスキーの大曲「展覧会の絵」が演奏された。
昨夜の演奏会では、世に知られたラヴェル編曲版ではなく、麻布OBのアマチュア音楽家(コンサートではトランペット演奏)による編曲版で世界初演とのこと幾度となく聴いたラヴェル版との相違は正直分からなかったが大編成のオーケストラの迫力を充二分に満喫。演奏自体も聴き応えのある中々のレベル。嬉しい驚きであった。

(編集子)ガーシュインもムソルグスキーもどうでもよろしい。何はともあれ、ミセス安田が快癒されたことが第一。無理を重ねられないよう、亭主の心配りとテイクケアが重要ですぜ。

KWVOB会 24年度夏合宿-実らなかったセンチメンタルジャー二イ

どの本だったか忘れてしまったのだが、上高地について触れた文章で覚えているのがふたつある。

一つは上高地、という呼称を聞いて、”かの 神河内 を 上高地、などという俗称にしてしまったのか” という、日本アルピニズム黎明期、この地をまさに神の宿るところ、とまで激賞した先人の嘆きであり、もうひとつはウエストンが日本を去る直前、徳本峠で “さよなら、ホタカ” と夫人の肩に涙した、という一節である。

現役時代から僕の記録に穂高の想い出はあまり現われない。縦走の終わりにピリオドとして訪れたとか、秋の定番であった涸沢BCで一般ルートをたどったほかは、卒業して間もなく、山岳部OBだった山川陽一からロープワークの実地訓練をうけながら北尾根を上り、グリセードでテントへ戻る、といういわばクラシックな登行を経験させてもらった程度だ。

2年の秋、涸沢から徳澤に下って来た時、徳澤山荘の前に大きな板看板が張り出してあって、”氷壁、完結” と書かれ、主人公魚津恭太の最後のことが簡単に書かれていたことがあった。この小説の背景にいつも意識されるのが涸沢だし、山に夢を賭ける人たちの ホタカ への想いがずんと胃の中に落ちた気がしたのを思い出す。卒業して間もなく、八方尾根山麓のヒュッテ 白い小屋 に通い始めてから、ストーヴのそばでの、オーナー大野さんのとつとつとした回顧に出てくる穂高、がすべて、僕なんかがわかる由もない滝谷のことと知って、また違う感覚を感じたものだった(なお”氷壁”、未読の方はぜひ一読をお勧めする)。

僕の ホタカ はこの岩稜を真に愛する人たちからすれば、ありきたりの、傍観者の勝手な思いにすぎないのだが、それでもいつか、それでも自分なりに青春の一部であった山々に ウエストン のむこうをはって、あばよ、ホタカ くらいは言いたい、という気持ちがあった。もうひとつ、社会人になった2年目の晩秋、当時関西で工場勤務をしていた田中新弥と落ち合って我々夫婦と3人、岳沢から前穂の秋、としゃれこんだことがあったのだが、その時に河童橋を渡ろうとしたら、なんと向こうから、今でも記憶にあるのだが見事な紅葉をバックに、同期の宮本健(ガン)が歩いてきたのと遭遇するという、誠にエーガ的な出会いをした。快晴の山麓の秋色のなかでのこの遭遇が、僕の ”河童橋” にまつわる想い出だ。現役時代は川内三千雄との名コンビで不死身といわれた宮本だが、宿痾には勝てず、こののち数年を経ずして旅立ってしまった。あの時のガンが歩いてきた、あの橋はどうなっているのか、という思いもあった。

今度のKWVOB会夏合宿が上高地の奥座敷、平湯集中で、なかに上高地散策というプランがあるのを知り、この地を訪れるのも たぶん、行けば今回が最後になるような気がして、参加させてもらうことにした。つまり今度の上高地散策はいい年をしてのセンチメンタルジャー二イ、のつもりだったのだ。古手の同行は同期の高橋良子、1年あとになるが親しくしていた加藤清治、国府田信雄。加藤は同期で三国山荘の主と誰もが認めていた故小林章悟の一番弟子、ミスター山荘と言われた職人肌の男である。

しかしながら、雲は岳沢の雪渓をちらつかせただけで稜線を動かず、穂高を見ることはかなわなかった。焼岳は2度ほど登ったことはあるが、あまり魅力のある山ではない。ただ、大学4年時、所属していた平井ゼミの夏旅行を企画する立場になったので、同学年にいた翠川幹夫としめたとばかり上高地旅行というプランを立て、本来ならば平井先生などと毎日同行すべきところだったが、知らぬ顔で奥又白の池へ行ったことがあった。その時、一応幹事面をして大正池とか焼岳、なんてのを案内したことが思い出され、大正池の澄んだ水と、泰然とした焼岳、親友との想い出をかみしめることになった。

此処まではよかったのだが、好ましい林間の散歩道をへてやってきた河童橋の、いわば惨状とさえいえる現状には声も出なかった。

オーバーツ―リズムとはまさにこれか。人が多いのはシーズンだし想像どおりだったがなんでこんなところにこんなものを作るのか、という気持ちだった。自然保護、という事では先駆者的な行動をとった地元の人たちがいたのに、大正池にホテルを造り河童橋を渋谷まがいにしてしまったのは、やはり欲望か。“神河内” の堕落を嘆いた先達たちに申し訳ない気持ちすら覚えた。

そんなわけで、今回のセンチメンタルジャー二イは消化不良のままに終わってしまった。ただ合計なんと百人という規模で集合し、年代を越えて語り合うことのできる、参加された船曳さん(34年卒-米寿、おめでとうございます)の言葉通り、この日本にふたつとないであろう、最高の同窓会に参加し、その一部であることが誇りに思えた。志賀のスキー合宿に森田先輩が持ち込まれた ”俺達の青春はまだ終わらない” という(タイトルもシンガーも忘れてしまったがいい歌だ―ご存じの方があればぜひ教えてください)、あの歌の通りの週末がただ、うれしかった。幹事各位に改めて感謝し、我々を見守ってくれた桑原、関根両兄に改めてお礼申し上げる。なお合宿の全体報告については別途ご紹介することにし、パートリーダの桑原君のメモの一部を付記する。

(平湯温泉集中夏合宿第一班 リーダー 桑原克己)            この度は、夏合宿1班 上高地のんびり散策プランにご参加頂き、誠に有り難うございました。お陰様で天気にもコースにも、また、メンバーにも恵まれ、事故もなく、のんびり楽しく安全にプランが実行できました事、皆さまのご協力のお蔭様と、感謝申し上げます。

大正池昼食後~河童橋~上高地バスターミナル 散策             コースタイムは実動100分(休憩20分)合計120分  歩数34893歩 

エーガ愛好会 (279) ”愛の讃歌” のこと    (HPOB 金藤泰子)

「愛の讃歌」は原詩はエディット・ピアフが作詞 日本で越路吹雪が歌って有名になった岩谷時子訳詞の歌詞より、ずっと激しい歌詞です。 私は仏語が(も)分かりませんのでもちろん原曲の和訳の歌詞を読んでのお話です。

エディット・ピアフは妻子ある世界チャンピオンのボクサーと恋をするのですが、その恋人が乗った飛行機が墜落してしまうのです・・・詳しい話は知りませんので 8月6日(火)放送予定NHK BSシネマ 「エディット・ピアフ 愛の讃歌」を鑑賞します。

エディット・ピアフ 愛の讃歌 8月6日(火) 午後1:00〜午後3:21

(編集子)これはKWVのOB連中にしか通じない話題だけど、38年卒の岩木義明が酒席でいつもこの歌を微醺を帯びながらいい声で歌ったものだった。頑健そのもの、小樽潮陵高校出身にふさわしく豪快な滑り、常にジョークを連発するまことに楽しい男のことを思い出す。

やっこがイメージする 愛の賛歌 とはおよそ似つかわしくない、でもどこかやさしい、そういう後輩のことだ。

パリオリンピックのことです  (普通部OB 菅原勲)

五輪は29日まで日本が金メダル6個を獲得し、地元のフランスを上回り幸先の良い出足を切ったようです。翻って8月1日から始まる陸上はどうでしょうか。恐らく出る選手出る選手次から次へと予選落ちとなって行くのは間違いありません。勿論、例外はあるでしょう。

何故なら、こう言うカラクリがあるからです。五輪に出場できる選手は、

1. 世界陸上の設定した各種目の参加標準記録を突破した選手(期間限定)。例えば、男子100mは10秒00で、これを突破した日本の選手は、サニー・ブラウン・アブダル・ハキムただ一人。

2.  世界陸上のランキング(これも、期間限定で、試合の質、記録、順位などから得点付けして総合的に順番付けをする。詳細は省く)で出場人数枠内にある選手(例えば、男子100mでは、日本陸連は、37位の東田、52位の坂井を代表に選んだ)。

つまり、2.は世界陸上の単なる頭数の数合わせであって、オナサケでの出場となるわけです。なお、英国は今回から1.の選手には8位までに入賞の可能性はあるが、2.の選手にはそれはないと判断し、2.は代表に選ばなかった。小生は、1.のみにして、2.は撤廃すべきだと思っています。確かに、一方では、「五輪は参加することに意義がある」そうですが。でも、次から次に落選また落選では見るに値しないでしょう.

(菅井)1.のみにして、2.は撤廃すべきだと思っています。とするならぱ各競技連盟の世界選手権があれば事足りるので、オリンピックは不要です。大方のトップ・アスリートたちはこれに賛同するのてはないでしょうか?

(金藤)2. について全く知りませんでした。貴重なお話ありがとうございました。

(編集子)陸上競技の結果は単純明快、スガチューには怒られるかもしれないが、戦略も作戦もあまり意味はなく、要は選手個人生まれながらの身体能力で決まるものだと思うんだがどうだろうか。豊芦原みずほの国のたおやかな自然を愛し、裏山に鹿の声が聞こえれば、取って食うより人の世のあわれの歌にするような環境で育まれたわがヤマト人の体の出来というのか、遺伝子というのかが、昨日までライオンとかけっこをしていたような環境で育った連中のそれとは基本的なところで違いがあるんじゃなかろうか。つまり陸上競技などでは、(純粋に生物学的意味で)人種による選択がすでに決まっているのではないか。チームワークとか、微妙きわまりないテクニックが要求される競技で我が国がメダルに湧くのとは基本的に違う。スガチューが期待するサニーブラウン君も国籍は日本人だが (再度言うが生物学的意味で)純粋なヤマト人ではない。そういう意味で冷静に見ればいいんで、結果にあまり熱くなることもないのではないか?

例によって、”みんながやってるこたあやりたくねえ” 症候が発症し、パリの番組には背をむけてテレビはもっぱらなつメロミステリー(目下、吉永刑事シリーズ、ってのにはまってる)だけしか見ない小生(わがパートナーはそうではない、彼女の名誉のために言っておく)にはあまり興味はないトピックだけど。

(ついでにスガチューに教えてほしいんだが、水上競技にアフリカ系の人の参加が少ないのはやはり構造的なというか政治的思惑なんかがあるんだろうか。身体能力なら、やはり人種的遺伝的能力で行けば陸上と同じようになるんじゃないか、と思うんだが)