麒麟が歴史大河物語の題名にもなった「麒麟がくる」で
日本歴史上の最大の謎の一つが本能寺の変であろうし、キリシタン
歴史には “if” はないが、信長が暗殺されず天下統一していれば日本のその後はど
いずれにしても、光秀と同時代に生きた家康によって始まった江戸
余談だが、正月にNHK番組「ヒューマン・ヒストリー」を観た。
旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
麒麟が歴史大河物語の題名にもなった「麒麟がくる」で
日本歴史上の最大の謎の一つが本能寺の変であろうし、キリシタン
歴史には “if” はないが、信長が暗殺されず天下統一していれば日本のその後はど
いずれにしても、光秀と同時代に生きた家康によって始まった江戸
余談だが、正月にNHK番組「ヒューマン・ヒストリー」を観た。
ニューヨーク市内では昨年の12月15日から、新型コロナウイル
受け付けを済ませた後、問診票が渡され、ワクチンの有効性と副反
私のワクチンを接種してくださったのは薬剤師さんでした。こちら
接種が終わった後は、約15分の経過観察がありました。ここでア
重いアレルギーが起こってしまうのは怖いと感じられるかもしれま
それから接種当日は、まったく無症状で経過をしました。本当に痛
接種翌日の朝起きると…左の肩に肩こりのような違和感があること
これまで報告されている 研究の結果を見てみると、副反応は私のように注射部位に痛みが出る人が最多ですが、
また、基本的に2回目のほうが1回目よりも頻度が多く報告されて
すでに自分のワクチン接種からは50日以上が経過しました。50
また、このワクチンには、重症化を防ぎ、命を守る効果も期待され
日本でワクチンを待つ皆様、もちろん、さまざまな価値観を持つ人がいる中で、私は皆さんに接
ワクチンはその不安や苦しみを緩和できるよう、世界中の研究者が
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筆者は米国内科専門医、慶應義塾大学医学部を卒業後、日本全国各地の病院の総合内科・診
コロナ禍で外出しない日が続いたので、久しぶりに外出、大倉山の
また小生、特に七福神「七難即滅、七福即生」の説を信ずるわけではないが、散策
年は寄る年波もあり、何処へ?と思案
「心の旅路」は昨年6月頃に 既にこの会で推薦いただいていました。コールマン髯のコールマンと 魅力的なグリア・ガースンの共演、 古さを感じさせず、楽しめました。
戦争のケガによる記憶喪失という暗いイメージが 町にでるや恋にめぐまれ、 交通事故で再度記憶喪失しても、社長や国会議員を務めるという 明るい展開に、少しびっくりしました。ヒッチコック作品では謎解きの種がどこででてくるか目が離せませんが、こちらは安心して見られました。インフルエンザの場面がありますが、この頃はやったスペイン風邪。 戦場で感染拡大したため第一次大戦の終結を早めたともいわれています。 コロナ拡大の今どきとつながります。
コールマンが颯爽とトレンチコートを着ていました。バーバリー社が撥水のギャバジンのレインコートを開発し一次大戦では軍用として重宝した歴史も反映しています。 格好良かったが重かったですね。
原作のジェームス・ヒルトンは 「失われた地平線」 Lost Horizonの著作もあります。中国南西部とチベットの国境地帯に飛行機が不時着、そこがシャングリラShangri―Laという理想郷だったというお話。シャングリラは果たしてどこにあったのか。中国は雲南州の小村を2001年に「香格里拉」と改称し、観光開発しました。そこから車で1日走ると梅里雪山の麓に。商魂たくましいですね。
(44 安田)「心の旅路」のグリア・ガースンは素敵ですが、
(相川)シャングリラの話は一度書いたかと思いますが、一昨年秋に四川省に旅したときに そこにも雲南省とは別に同名の町がありびっくりしました。
6000m級の白い山が3つあり、かっては馬でしか行けない秘境といわれてましたが、道も整備され中国人観光客でにぎわっていました。中国は人数が多いので世界遺産とか観光地となると人が殺到してしまいます。この時はミニヤコンカも眺められました。
ところで私は1942年6月の生まれです。この時のミッドウェイ海戦から日本軍は劣勢となりました。 アメリカやイギリスは余裕があったのですね。
(編集子)満州から母と姉と3人で引き揚げてきて、半年遅れて父と兄が帰国、東京へ出てきたのが1946年。小生はまだ小学生、姉や兄が カサブランカ や 心の旅路 などと話題にしていたのをかすかに記憶している。”風と共に”が作られたのも同じころだったのではなかったか?
時は移り現代は平和ボケといわれるほど落ち着いた75年となって
貴兄のブログ、「麒麟は来なかったか」を拝読。
小生、大河ドラマの熱心な視聴者ではありません。ですから、「麒麟がくる」も見ておりませんし、麒麟が何を意味するのかも知りません。大河ドラマを最後に見たのは、「花の生涯」です(ハッハッハ)。
最も気に入ったのは、最後の段落、「1945年の敗戦以後今日まで、・・・」です。全く異論はなく、諸手を挙げて賛成です。ですから、映画「我らの生涯の最良の年」をもじれば、「我らの生涯は最良の年だった」ってことになるんじゃないかな。でも、これからの日本はどうなって行くのかね。少なくとも、中共に飲み込まれる前に、この世からおさらばしたいな。
9日のブログを拝見しました。「大河ドラマ」は今まで見たり見なかったりでしたが、「麒麟が来る」は従来の単なる軍記物ではなく、登場人物の心理描写など巧みで見応えがありました。
「江戸時代は最良の時代、麒麟が来ていたのではないか」のお考えに賛成です。3世紀に及ぶ安定した平和の時代は、「パクス・トクガワ―ナ」と言われるほど戦乱の時代に終止符を打ち、物質的・精神的な豊かさをもたらしてくれました。日本の文化の素晴らしさ、繊細な美への眼差し、自制のある生活習慣など、江戸の遺伝子は、今なお我々の心底に流れる「日本らしさ」であります。
実は小生、地元の三田会から「蕎麦今昔・江戸の食文化」と言うテーマで講演を依頼され安請け合いしてしまい、慌てて積んでおいた本を読み直しています。最近は、若手歴史学者の磯田道史氏などが持て囃されていますが慶應義塾大学名誉教授で文化勲章を受章された、速水融氏の「歴史の中の江戸時代」徳川宗家18代当主で日本郵船副社長を歴任された、徳川恒孝氏の「江戸の遺伝子」この2冊はお薦めで、江戸時代の豊かさと奥行きを改めて教えて貰いました。
又偶然ながら速水融先生は、私の畏友で早世した川島亮三君のゼミの先生で彼がKWVを辞める時に「ゼミに集中して大学に残るため」と言ったことを60数年ぶりに思い出しながら、感慨一入でした。
大河ドラマ 麒麟が来る 放映終了。始まった時から、どういうエンディングになるのかがずうっと気になっていた。予想外のラストは良く決まっていた。なんというか、筋立てとか技術論よりも、この番組で作られた光秀像にぴったりな感じだったと思う。
僕は吉川英治の太閤記を小学校6年の時に読んだ。父も兄も大の読書家だったが、戦後まもなくでかなりの数、中古の本が多く、日本史に関連する本を拾い読みしても、旧かな使いで、天皇尊重第一のものがほとんどで、そういう風潮の中でどちらかとえいばネガティブな光秀像が僕の中に定着していた。
中学高校と読書の中身に横文字文学ものが多くなったのはやはり当時の若者文化がそうだったからだろうが、社会に出て司馬遼太郎を知り、テレビの新撰組血風碌にはまり、彼の中期くらいまでの本はあらかた読んだ。高校で日本史を真面目に聞いていなかったため、小生の近世日本の歴史に関する知識というか理解はまずすべてが司馬の小説によっている(歴史学者は司馬の歴史観、というものをよく思わないそうだが、彼はあくまで小説家にすぎない、ということはよく承知しているつもりだが)。
司馬の描いている光秀像は今回のように理想の実現を人生のテーマにした人物ではない。むしろ権力のはざまで抜き差しならぬ状況に追い込まれた悲劇的人物、という書かれ方をしている。現実だどうだったか、もちろん知る由もないが、麒麟を連れてくることができなかったという悔恨の情が信長の最後を遠巻きに見ていたシーンによく表れている。このシーン前後の長谷川博己の表情の描写は僕の心に突き刺さった想いで見た。
秀吉が朝鮮征伐なぞという愚挙を起こさなければ、そして最晩年の狼狽がなければ(これが例えば家康などに比べたときのインテリジェンスというか秀吉の人生観の限界をしめしているのだと思うのだが)麒麟になり得たかもしれない。”戦がなく、人々が安心して暮らせる世の中“ は、結局、3世紀続いた徳川時代であったのだろうか。悪しき封建主義だとか身分制度だとか、男尊女卑だとか、はたまた時代劇に必ず登場する悪代官だとか、ネガティブな話はいろいろあるが、世界に誇る江戸文化や京の静寂や人々の間に定着して明治への見事な転換をささえた倫理観とか、そういう現代への遺産を当時戦乱と後進国の収奪に明け暮れていた西欧の歴史と比べてみて、”日本に 麒麟は来ていたのではないか とおもったことだった。
1945年の敗戦以来今日まで、そのプロセスにありとあらゆる議論があるのを承知でなおいえは、この75年間のあいだ、戦争で死んだ日本の若者はひとりもいない。何が何と言おうとこれは事実である。チャーチルやメルケルみたいに国民に訴えた政治家がいなかったとか、拝米主義だとか、偶然だとか、いろんな議論は当然あるだろう。しかし僕は確信しているのだが、数世紀あとの歴史家はこの時代を日本史上最良の時間だった、と解釈すると思う。それが麒麟のせいだというかどうかは別だが。
サム・ペキンパー監督の「荒野のガンマン1961」に次ぐ2作目
マクリーは25万ドルの金を鉱
この二人に、スコットの知人の若者ドナルド・スターと鉱山にいるフィアン
男3人が娘ハートレーを救い、娘の家へ近づくと5人兄弟のう
撃戦で死亡、3人が娘の父親を殺し家の中で待っていた。射ち合い
瀕死のマクリーの頼みを聞き金塊の護送を引き受けたスコットは若