思い出す昭和の情景は人それぞれ又、その時々によって違って当たり前だが、今年の昭和の日に偶々思い出したのは新規開店したスーパーの商品棚に並ぶ各種の“飲料水”と“缶ビール”のことだ。私が初めて飛行機で外国へ行ったのは昭和38年(1963年)からの1年間に西ドイツへ滞在した時だった。日本では空気と水とはタダ(無料)で、どこででも飲める物であって、水に金を払って生活するなんて、何たることだと思っている人がほとんどだった。当時、ヨーロッパへ出張に来る日本人とレストランに食事に行くと、注文しないと何も出てこないのを訝って、殆どの人は先ず私に向かって発する言葉は“何故、先ずテーブルに水を持ってきて注文を取らないのか?“という習慣の違いからくる質問だった。理由が理解できた日本人は漸く、飲み物の注文に入ろうとするが、“昼間だから水にしておこうか”となったとする。注文取りに来たフロイライン(Fraulein)又はヘア・オーバー(Herr,Ober)、つまりウエイター又はウエイトレスから、“Mit Gas oder Ohne Gas”と必ず質問が来る。つまり、水(Wasser)は分かったが、“ガス入りかガス無しか“という2者選択をしないとWasser(水)の注文が決まらないのである。日本ではガス入りの水などは当時は殆ど飲まれていないので、説明すると理解した人は、“それでは、ガス無し”とやっと注文が終わる。私に限らず、少々、ドイツ慣れした輩は“Mit Gas”と何となく注文するようになっていた。これらの日本からの来客との会話の中で、必ずと言ってよいほど出てくるのは、“ドイツではビールより、水の方が高いくらい“という話題だった。一般には当時でも航空機内で出されるミネラル・ウオーターはフランス産のEvianが高級でVittel etcはやや落ちるイメージを持ったものだ。
この映画はパリで封切られて2ヶ月ぐらいたつのですが、見たいと思いながら、多忙に任せて見に行けなかったのですが、Pape Francoisが亡くなって、私もこの方には尊敬を寄せておりましたので、サンミッシェル近くの、Saint Andre des Arts通りの同じ名前の映画館にいきました。満員でした。皆、Papeが亡くなった機会に見なくちゃ、とやって来たようです。