冒頭「これは実話です」とティロップが流れる。製作総指揮までス
そのトムが晩年ワイオミング州ハガービルという地にや
たマックイーンではなく、老けた淋し気な笑顔と諦観にも似た振舞
牛泥棒撃退に貢献したにもかかわらず、目的のために手段を択ばな
悪性胸膜中皮腫と診断されたマックイーンが消えゆくト
(安田)スティーヴ・マックウィーンは「荒野の七人」「大脱走」「ネヴァダ・スミス」「ブリット」「ゲッタウェイ」「タワーリング・インフェルノ」などクールなカッコ良さでお気に入りの俳優だった。難病に侵され死期を覚悟してたかも知れない時期、製作総指揮と主演が彼だと知って初めて観た。遺作一本前の映画だ。鑑賞後感は、小泉さん、ジャイさんと全く同感でどっと暗い気持ちになった。彼の死は映画の1年後だと知った上で映画を観たので、小泉さんの名解説通り、映画の結末と彼自身の最期は死因は違えども運命的に似通ったものを感じる。どんな気持ちでこの映画を製作する気になり、演じたのかと想いを馳せた。調べると海兵隊時代(1947~50年)、兵員輸送船のパイプからアスベストを除去する作業に従事したことがあり、それが起因のアスベスト露出と関連した癌(胸膜中皮腫)で50歳の若さで亡くなったと推測されている。颯爽とカッコいい彼の最期の映画には相応しくない内容だ。哀れな気持ちにさせられた。また、彼は晩年に「信仰のみ」「聖書のみ」を主張する福音主義に改宗もしている。自由奔放な映画人生と私生活を送った末の死が近づく最期に宗教にすがる気持ちにでもなったのだろうか。映画のエンディングの筋書きにも影響を与えたのだろうか。
映画の途中でワイオミングの牧場のど真ん中で東海岸メイン州から汽車で運ばれた大きなメインロブスターを食べるシーンがあって、驚いた。こんな辺鄙な山奥で数千キロ離れた大西洋の海の幸を? 映画の物語は20世紀初頭。アメリカ横断鉄道は既に1869年(明治2年)に大西洋岸と太平洋岸都市を結んでいて山奥のワイオミングへも物資を運んでいたのだ。有名な明治新政府岩倉具視団もサンフランシスコから東部へはこの大陸横断鉄道に乗ったそうだ。アメリカの西部開拓は思っていたより早く進んでいたのが分かった。
(飯田)今回はをBSシネマで観ていませんが、依然見た印象は小泉さんの名解説、安田さんの感想と全く同感します。マックイーン主演の作品はご両人が書かれた文面に出てくるようにクールで格好良い作品が目白押しです。ただ、ご両人が偶々挙げられなかったとも思う「砲艦サンパブロ」(1966年)「パピヨン」(1973年)の2作はそれぞれに3時間、2時間半と長編で公開前から注目を浴びた作品ですが、私は両作品とも鑑賞後に失望を覚えた印象があります。
理由は前者はテーマが重すぎて難解でした。後者は仏領ギアナの流刑囚の救いの無い暗いストーリーだったと思いますが、マックイーンが「トム・ホーン」を含め、クールで格好良いだけでなく、やや分かりにくい俳優なのかも知れないと単純に思う次第です。
(菅原)小生にとって、
(編集子))小泉解説、最後の一行に全く同感で、見れば2回めになる今日は見るのをやめた。この映画のことで思い出すのが ラストシューティスト だ。ジョン・ウエインの遺作になったこの作品、言ってみれば友情出演だったのだろうがジェイムズ・スチュアートとローレン・バコールにもその別れを意識したような、暖かい感じが漂っていた。彼の死期が迫った時、長年の友人だったモーリーン・オハラがメディアに語り掛けて、あの人を何とか救って、と訴えたのを今では何を通じてだったかも思い出せないが、涙をこらえて読んだのを思いだす。最後は最後なのだが、トム・ホーンほど暗くならないのは、ストーリー上、曲がりなりにも最後まで戦った、という言い方はおかしいがポジティブなエンドマークだったせいだろうか。
この翌年、米国出張をごまかして、カリフォルニアはオレンジ郡、オレンジ空港を訪れた。同市がウエインを記念して、空港名を John Wayne Airport と変えたことに感激して、写真を撮って、帰ってきた。