(小泉)
ウイリアム・ワイラーが西部劇大作「大いなる西部」の18年前に監督した「西部の男」は、西部の土の香りが匂ってくるような歴史的背景の中、味わい深い人間の心理描写を堪能させて呉れた。その人間の主役がゲーリー・クーパー、「真昼の決闘」の渋い時代ではなく、若々しく魅力的なクーパー像が見られる。そのクーパーを主役の座から引きずり落とす位の名優ぶりを見せる、実在の判事ロイ・ビーンを演ずるウオルター・ブレナン。この作品を含めアカデミー助演男優賞を3度受賞している。音楽がディミトリ―・ティオムキン、「真昼の決闘」のような目立つ主題歌はないが、冒頭のティロップに、オーストラリアの反骨的第2の国歌といわれるWaltzing Matildaが流れ、その後もそのメロディが効果的に扱われる。
映画は牧畜業者対農民の対立が物語のテーマになっていて、その構図はその後の「シェーン」と共通点が多く見られる。牧畜業者の世界に、新しい土地を求めて農民が移動して来ると有刺鉄線を張り、それに反発し取り払う牧畜業者。本来どちらが善でどちらが悪とも言えないが、ここでは判事が黒幕として控え、農民を弾圧する。両者とも主人公がサポートするのは農民の方。冒頭馬泥棒の容疑者として引き立てられてきたクーパー。後ろ手に縛りつけられた憐れな男の筈が、粋で格好いい。容貌だけでなく、判事が女優リリー・ラングトリー(リリアン・ポンド)にぞっこんなのを小耳に挟んだのか、彼女の髪の毛を持っていると言って絞首刑を免れる、といった臨機応変さも持ち合わせる。農民指導者の男勝りの娘ジェーン(ドリス・タベンポート)と恋仲になると、君の髪の毛を肌身離さず持っていたいなどと女性の心をとろけさすようなことも言う。その髪をリリーのものと信じて、何とか貰おうとする判事に、もったいぶるクーパー、それにイラつく判事。悪徳の固まりでありながら、女優にぞっこんのアイドルオタク的な憎めない人柄の判事と流れ者の奇妙な友情が描かれる。
その後、判事の命を受けた業者が農場へ火を放ったことからクーパーも怒り、女
優リリーの公演に赴く判事を追うのだった。当時の南軍将校の制服に身を固め、公演を買い占めた判事が会場に入ると舞台には、リリーならぬクーパーが仁王立ち。射ち合いの結果、クーパーが瀕死の判事をリリーに紹介するのだった。焼け出され、一旦去った農民達も戻り、放浪のクーパーも、この地に落ち着くようだ (後年1972年ジョン・ヒューストン監督により、ポール・ニューマン主演で「ロイ・ビーンThe Life and Times of Judge Roy Bean」が製作され、女優リリーをエヴァ・ガードナーが演じた)。
蛇足ながら、ブレナンの演技力は勿論だが、クーパーの素材としてのまぶしいほどに雄々しい伊達男の魅力を引き出したワイラー監督、彼の作品の男優全てが格好いい。「我等の生涯の最良の年」のフレドリック・マーチ、「ローマの休日」「大いなる西部」のグレゴリー・ペック、「必死の逃亡者」のハンフリー・ボガード、「ベンハー」のチャールトン・ヘストン等、唯一の例外は女性に対する孤独な倒錯者を演じた「コレクター」のテレンス・スタンプ。女優もアカデミー受賞者だけ取り上げても、「黒蘭の女」のベティ・ディビス、「ミニヴァー夫人」のグリア・ガースン、「ローマの休日」のオードリー・ヘップバーン、「ファニーガール」のバーバラ・ストライザンド等で、夫々の個性や演技の魅力を引き出している。
(安田)
ウイリアム・ワイラー監督映画に外れなし。アカデミー助演男優賞を貰った悪者だがどこか憎めない酔っ払い判事ロイ・ビーン役のウオルター・ブレナンと、流れ者コール・ハードン役のゲーリー・クーパーとの奇妙な友情と対決を描く。クーパーを押しのけて脇役のブレナンが主役のような映画。勧善懲悪の正統派西部劇。
「荒野の決闘」でも魅せたブレナンのどこかとぼけたような立ち振る舞いが映画にリズムとアクセントを与えている。彼の好演が光る。因みに、アカデミー助演男優賞を3回受賞したのはブレナン以外いない。「大自然の凱歌」1936年、「Kentucky 」1938年と、この「西部の男」(The Westerner) 1940年だ。
1880年代のテキサスは、新天地を求めて移住してきた農民と在来の牧童たちとのイザコザが絶えない。その地への最初の入職者であったビーンは飲み屋の主人で判事兼任。彼は土地の実力者の牧童たちを集め、農民たちに嫌がらせをし、農民たちの反感を買っていた。ある日、怒った農民たちが判事を私刑にしようと騒動が持ち上がるが、流れ者のハードン(クーパー)が間に入ってなんとか両者を鎮め判事を助ける。
映画の初っ端から、農民たちが設置した有刺鉄線の柵を切り裂く牧童たち、牛を引き連れた牧童たちと農民たちの銃撃戦、斃れる牛、理不尽な絞首刑・・・、派手なアクション西部劇と思いきや話は少し違う方向へ向かう。
裁判所が飲み屋、飲み屋のオーナーが判事、立ち会う人(陪審員たち)は酔っ払いだらけ、葬儀屋も待機・・・これが1880年代のアメリカの民主主義!? インチキ判事と罪を着せられた流れ者、女の話と1夜の酒で結ばれた奇妙な二人の友情。酒盛りのあと朝起きたら大の男がベッドで二人きり・・。この辺りの描写が新鮮且つユニークで面白かった。
馬を猛烈に走らせビーンがハードンを追跡するシーンで、カメラが平行移動して撮影しているのは迫力満点!前年1939年のジョン・フォードの「駅馬車」でも見られたカメラワークだ。「ベンハー」の有名な馬にひかせた戦車競走シーンにも踏襲された撮影手法だろう。 話題となっていた、判事の憧れの女優の髪と信じ込ませて一房渡すと、それを貰い歓喜雀躍する判事。判事との友情を演出し、農民たちとも関係を深めお互いの主張を尊重させ、水と油を和解させる ハードンの努力も虚しく、感謝祭の日に判事ビーンの指示で牧童たちは農地と彼らの住居を焼き討ちにかける。これを知ったハードンは、副保安官となり、自ら判事と対決する。憧れの女優リリーに逢いに判事が出かけた劇場で二人は決闘に。ハードンは、撃たれ瀕死の判事をリリーの楽屋に連れて行き会わせる。
最後は、カリフォルニアへ向かう予定のハードンは仲良くなった農民の娘と結ばれ、当地に残ることを決意して映画は終わる。リリーのだと嘘をついて判事に渡した髪はこの女性のであった。
(船津)ゲーリークーパーの若々しさか目立ちいい男だなぁ。
ストリーはややハチャメチャ。判事ロイ・ビーン役のウオルター・ブレナンがなかなの好演。とぼけた味と——。
でも面白くなかったなぁ
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