エーガ愛好会 (60) パリは燃えているか   (44 安田耕太郎)

パリは燃えているか」は、1944年連合軍のパリ進撃で敗色濃厚となったドイツ軍パリ占領司令部へアドルフ・ヒトラーが電話で発した言葉として知られている。それと同じ題名の映画のみならず、同じ題名だが映画主題曲とは異なる楽曲も聴いて見た。オーケストラ演奏の序曲が流れたあと、冒頭にヒトラーが登場し、パリ占領のドイツ軍司令官として任命した赴任前の部下に、撤退する時はパリを焦土にせよという命令を下す。そこでタイトルが出て、重厚なテーマ曲とともに風前の灯となったパリの風景とパリ・シャンゼリゼ大通りを凱旋行進するドイツ兵の姿が映し出される。素晴らしいオープニングだ。映画の主題は、「パリ爆破計画はいかに回避されたか?」と言ってもよい。

ポーランドへ侵攻して第二次世界大戦の口火を切ったナチスドイツは、1年を経た1940年夏にはパリに達し、以後4年間に亘り占領統治する。パリがドイツに占領されるのは歴史上2回目。最初は普仏戦争で敗れ、プロシアに占領された(1871年)。映画「史上最大の作戦」で描かれた1944年6月の連合軍のノルマンディー上陸作戦とそれに続くベルリンへの進攻(途中のオランダにおける激戦を描いた映画が「遠すぎた橋」)、更にはロシア・スターリングラードで敗北したドイツは一気に敗戦への坂を転げ落ちて行く。一方ドイツ占領下のパリでは、地下組織として潜伏するレジスタンスたちが、ドイツ軍の士気が低下している隙に活動を活発化し、連合軍の到着を待ちながら総決起の準備を進めていた。

約80年前の歴史的事実を描いた映画という点では「史上最大の作戦」「遠すぎた橋」と同様、ストーリー展開に特別の目新しさはないが、フランスにとってはフランス革命にも匹敵するであろう歴史的出来事を忠実に淡々と積み上げていく。従って、総じて、登場人物を掘りさげるとか、人間ドラマを深く描くわけでもない。豪華スターを集めた作品なので、“スターの顔見せ”風の傾向は否めなく、出演者が豪華な割には彼らすべての魅力が充分に活かされているわけでもない。この類の映画では致し方ないのであろう。だが、全体として違和感はなく、実写フィルムも加え、どちらかと云えばドキュメンタリー風であるし、まるで記録映像のようにも鑑賞できた。

連合軍側による劇的な “パリ解放” に至る歴史的事実を、戦後大統領となったドゴールの一派(幕僚役アラン・ドロンが活躍)、自由フランス軍、レジスタンス、連合軍、市民、ドイツ軍のそれぞれの様子と行動、及び彼等相互の絡みを交えて描いている。監督は「禁じられた遊び」「居酒屋」「太陽がいっぱい」の巨匠ルネ・クレマン。「ゴッドファーザー」の演出監督として知られる、若きフランシス・コッポラが脚本を担当した。音楽は前年1965年の「ドクトル・ジバゴ」、1962年の「アラビアのロレンス」の主題曲を作曲した鬼才モーリス・ジャールが担当。戦争映画には似つかわしくないワルツの音楽を採用したのは粋で憎い! 因みに、1966年に公開された洋画は、「ネバダ・スミス」「動く標的」「男と女」「引き裂かれたカーテン」「ミクロの決死圏」「天地創造」「続・夕陽のガンマン」「野生のエルザ」などがあった。

米・仏合作のパリを舞台にしたルネ・クレマン監督作品でもあり、フランス人豪華キャストの顔ぶれが凄い。二人のスター俳優「太陽がいっぱい」のアラン・ドロンと「勝手にしやがれ」のジャン・ポール・ベルモントの珍しい共演アラン・ドロンは17歳の時にインドシナ(ヴェトナム)戦線に志願して従軍(20歳まで)したことがあり、こういった戦争映画は得意なはずだ。「恐怖の報酬」「さよならをもう一度」のイヴ・モンタンは、「嘆きのテレーズ」「悪魔のような女」の妻シモーヌ・シニョレと夫婦共演。「ガス燈」のシャルル・ボワイエは往年の二枚目の面影は消えたが渋い演技は健在、「足ながおじさん」のレスリー・キャロンはバレリーナ出身だけあって立ち姿が綺麗で、容姿も素敵だ。アメリカからは、パットン将軍役を演じた、「スパルタカス」「OK牧場の決斗」のカーク・ダグラス、「市民ケーン」「第三の男」のオーソン・ウェルズ、「ミッドウェイ」のグレン・フォード、「サイコ」のアンソニー・パーキンス、「ウエスト・サイド物語」のジョージ・チャキリステレビシリーズ「アンタッチャブル」のエリオット・ネス役ロバート・スタックなど(挙げた「鉤括弧内」の映画は既観の代表作品)。

主役級の役割を果たす、ドイツ軍パリ占領司令官役の西ドイツ俳優ゲルト・フル―ベ は 、「007ゴールドフィンガー」のゴールド・フィンガー役で、その存在感は際立っていた。ふてぶてしさの中に人間味が滲み出ている。中立国スウェ―デンの領事役オーソン・ウェルズの貫禄ある演技も光った。全編に登場するオールスターキャストを見ているだけでも楽しめる映画だが、惜しむらくは撮影時には出演者それぞれの母国語(仏語・独語・英語)でセリフを言っていたが、アメリカ公開版の際に全て英語に吹き替えられたそうであろ。日本で観れるのはアメリカ公開版なので、アラン・ドロンとジャン・ポール・ベルモントが英語で話しているのはやや興覚めではあった。

ドイツ軍はヒトラーの命令通り、エッフェル塔などの文化遺産や主要な橋やインフラ設備などパリ市内の至る所に爆弾をしかけていた。パリ郊外に迫る連合軍の進撃を阻止するための “パリ焦土化計画”と、これを食い止めようとするレジスタンスたちの熾烈な攻防戦だ。これに連合軍の侵攻の過程が刻々と挿入され、クライマックスはパリの大市街戦へとなだれ込む。ドイツ占領軍司令官は中立国のスウェ―デン領事(オーソン・ウェルズの勧めに応じて、レジスタンスと休戦協定を結び、連合軍の侵攻までパリ破壊を引き延ばす時間稼ぎをする。彼がパリの破壊を遂行しなかったのは、単なる博愛精神だけでなく、すでに敗北を悟り、戦争犯罪人として裁かれ歴史に悪名を刻まれる屈辱を避ける狙いもあったのかも知れない。彼にはヒトラーは狂っているとしか思えず、人類の財産と云うべきパリの破壊を回避した。部下が「美しい町ですね」と語りかけ、司令官は「我々は軍人としてここにいて、観光客ではないのだ」と応えるシーンが印象的だ。この司令官の勇気ある決断が、全人類の世界遺産花の都パリを救ったかと思うと感慨深い。狂気が支配する戦争において、それを抑える理性が存在した事実は知っておくべきであろう。


ドゴール将軍と群衆がシャンゼリゼ通りを凱旋パレード(実際の映像)

連合軍のパリ入城に熱狂するパリ市民、国歌「ラ・マルセイエーズ」を大合唱する群衆、ナチスの鉤十字ハーケンクロイツの旗を引きちぎる群衆、4年半ぶりに鳴り響くノートルダム寺院の鐘の音、罵倒されながら群衆の中を逮捕され連行されるドイツ占領軍司令官・・・、映画の最後の大団円は歴史の事実を強烈に描いている。そして、司令官が逮捕され誰もいなくなった司令部の受話器からはヒトラーの「パリは燃えているか?」と問い合わせ続ける声が響いていた。

エンドロールで、これらの生々しいパリ解放の場面から、現代(1960年代)のパリへとシフトしていき、上空から街並みを俯瞰してカメラが捉え、モノクロの映像がカラーに切り換わる幕引きは、本当にパリという美しい世界遺産の街が戦禍を免れて良かったなという余韻に浸ることが出来た秀作であった。余談だが、映画がモノクロになったのは、黒と赤のナチスの旗ハーケンクロイツを映画撮影で市内に掲げることを当局から断固拒否され、仕方なく旗を灰色と黒に替えて撮影したのでモノクロ映像になったという。結果として実写フィルムとも違和感なくマッチして第二次世界大戦当時の雰囲気が醸し出されていると思う。

続いて楽曲について。欠かさず観たテレビ番組にNHKスペシャル「映像の世紀」(The 20th century in moving images) がある。印象的なテーマ曲は「パリは燃えているか」。映画と同じ題名であるが、モーリス・ジャールではなく、加古隆の作曲による異なる楽曲である。彼は東京芸術大学作曲科卒業後、パリ国立高等音楽院に学んだ作曲家・ピアニストである。1995年にNHKスペシャル『映像の世紀』の音楽を担当し、テーマ曲の「パリは燃えているか」は大きな反響を呼び、加古の代表曲となる。パリに永年留学した加古は、この曲をヒトラーのパリ壊滅命令を無視し、街を救ったドイツ軍司令官のエピソードにヒントを得て作曲した。戦争に翻弄された20世紀と人間の運命への思いを込めているという。