緊急時代宣言が解除されてから、毎日テレビでは各地の人出がどうだ、という報道がひきを切らない。しかし宣言解除の一つの意味は外部での接触を認めることにあるのだから、限度はあるにせよ、ネガティブ一辺倒の報道には違和感がある。一体、街中にはどんな ”不要不急でない“ 人が歩いているのか、実感してみたくなった。
たまたま、コロナ鬱防止と称して毎日3時間は時間を割いている真空管ラジオいじりのほうで部品が足りなくなり、久しぶりに秋葉原へ行かなければならなくなったので、トレーニングを兼ねて、秋葉原から銀座まで、いわば 中央通り縦走 をやろうと思い立った。山靴をはくわけにはいかず、150周年の時買ったウオーキングシューズを着用。
つつじが丘から都営地下鉄直行便で神保町まででて、まずは人出を眺めてみた。平日の午前中だから、商店街そのものの人出はまだない時間だとは承知だったが、やはり従来の神田繁華街のイメージからは寂しい感じがした。久しぶりなので、以前幾度か通った名代の喫茶店“さぼうる” の前を通り古本屋街へぬける。“さぼうる” の手前に “さぼうる2” というのが出現しているのにびっくりすると同時に、残念ながら老舗もプライドを捨てて儲けに走ったか、といやな気 になった。大体、名店といわれたところが拡張に走って結局失敗し時には廃業に追い込まれたという例は数多くある。喫茶店でいえば六本木の ”クローバー“ がその好例だ。そうでないことを祈るだけだが、本店というかオリジナルの店のたたずまいは変わっていなかった。ただこちらもまだ開店前の時間で人通りはないのが当たり前か。古本屋も同様だが、いずれも営業は変わらずにしているようだったし、スキーファンにおなじみのスポーツ用具店のあたりも同様だ った。小川町、淡路町、それから須田町に出て中央通りになるわけだが、須田町近くのそばの名店には時間前だというのに行列ができていた。老舗の実力だろうか。
中央通りを左折、万世橋から秋葉原、”電気街“ と言われる端っこにラジオ少年だったころからある ”ラジオデパート“ という、個人店主が主に軒を連ねるエレキファン向けのスーパーマーケットに入る。以前神田から来る途中にはもうひとつ ”ラジオガーデン“ というのがあったのだが今日はシャッターが下りたままで活気がなかった。もしかするとやめてしまうのだろうか。わざわざはんだ鏝を振りまわす自作ファンの数は激減しているし、無理もないのかと残念至極ではあるが。今回の禁足中、通販の強みががぜん表面化したが、これらのアマチュア向け専門店もいずれはその波に巻き込まれるのだろうか。
ここで約1時間、いくつかの店を回って用事をすませ、秋葉原駅についたのが11 時。此処から忠実に(というほど大げさではないのだが、ガイドブック風に書けば)中央通りを歩く。神田駅もひところに比べれば清潔になったが大きなガードの下にはなにやら得体のよくわからない小店舗がならんでいる。建物は新しくなったが、神田界隈の雰囲気は変わっていないようだ。このあたりでちょうど正午になったので,昼食を取りに出てきたのだろうが人が増えてきた。
日本橋から京橋へ、歩きなれたコースと思っていたが、外資系大ホテルも出てきて、向かい側のCOREDOというのは正直、どうも好きになれない雰囲気だが、このあたりがこれから中心地になってゆくのかもしれない。京橋で一本通りを変え、ガス灯通りへはいった。高校時代、田中新弥とか浅海昭とか小川拡なんていう連中と銀座のはしっこをうろついていたころ、昼飯といえば六丁目にあった スイス とか フライパン など、高校生の小遣いでもはいれる店に行ったものだった。その スイス 場所を変えてすでに40年だそうだが、変わらない雰囲気で営業しているのがこのガス灯通りなのだ。ひさしぶりで(多分)あの頃と同じ味のハンバーグステーキを食べた。計画ではこのあと、吾妻通りのトリコロールでエクレアを食べることにしていたが、ここで飲んだプレモルが効いてきてゆるんでしまい、4丁目交差点でそのまま地下鉄に乗った。これも予定では仙川でおりてなじみのジムでサウナに入るつもりだったが、いい気持ちで居眠りして気が付いたら仙川でドアが閉まるところだった。ドアツードアで 12,240歩、まあ月いち高尾でいえばらくらくコースくらいのウオーキングだった。4丁目交差点付近の人出はご覧のとおり。