Double Cross という本の衝撃

 

”史上最大の作戦” タイトル

 

4年前、スコットランド旅行をした時、エディンバラの本屋で何冊か第二次世界大戦関連の本を買った。2冊は早々と読んでしまったがこの1冊だけ何となく手付かずでほうってあった。”自粛” 体制の間に読んだ1冊である。

欧州戦線でヒトラーは欧州を席巻し、最後に英国本土攻略に取り掛かったものの英国空軍戦闘機に阻まれてドーバー海峡を越すことができなかった。歴史に名高いバトル・オブ・ブリテン (映画は 空軍大戦略 となっている)である。この失敗の結果ドイツ側は守勢に立たされ、今度は連合軍が反対側からドーバーを越えて1944年6月6日、南仏ノルマンディに上陸する。反攻必至とみたドイツ側はアフリカ戦線の名将ロンメルのもとで、強固な防御ラインを敷いて 大西洋の壁、と号し、ロンメルはその堅固さを誇って、反抗してくる連合軍はここで一番長い日を迎えるだろう、と断言する。映画 史上最大の作戦(The Longest Day)作戦 はこのノルマンディ上陸作戦を描いたものだが、その初めの部分でジェイムズ・メイスン扮するロンメルがこの有名なせりふを語ることになる。この上陸場所がどこになるか、は連合軍側にとっては最高の機密であり、逆にドイツ側は一刻も早くその場所を特定したかった。ここで英国側は緻密な情報戦をしかけ上陸地点についてありとあらゆる偽情報をばらまく。結果、ヒトラーは連合軍の反攻が北フランスのカレーかあるいはノルウエイであり、ノルマンディ後も英国にはまだ大部隊が残っていて第二波がかならずくる、と信じ込んでしまったため、連合軍は計画通り、ノルマンディに上陸を果たし、以後のヨーロッパ解放戦が始まる。この情報戦の内幕を史実に基づいて書いたのがこの本である。

このアイデア、つまり虚偽情報をばらまいてヒトラーに上陸場所を誤認させ、ノルマンディの防御を手薄にする、という計画は英国情報部 (MI5 とか 6とか、いろいろあったらしい)が思いついた。そのツールとして英国プロパーのスパイではなく、欧州全土に散らばっている各国のスパイを抱き込み、またドイツが英国に送り込んでくる情報部員をとらえて寝返らせて使う、ということが裏切り=ダブルクロス、という標題になっている。このことだけでも、このような大規模の欺瞞作戦は、つまるとことろ欧州だから可能だったのだな、ということがわかる。

著者は本の最終章で、The Double Cross double agents spied for adventure and gain, out of patriotism, greed and personal gain  と、この作戦に加わったスパイの多くが決して愛国心に燃えた快男児でもなければ孤高の英雄でもなく、極端に言えば金と快楽とを引き換えに謀略行為を働いた人間だったと述べている(中には真に忠実だった一人がドイツにとらえられ、ゲシュタポの手にかかるが頑として沈黙を守り、収容所から脱出したという、まさに映画的な話が載っているが、その本人は脱出後、消息不明のまま。ただ、このダブルクロスによって得た巨額の金を各国に預金していたので、たぶん,悠々と余生を生きたのだろうという結論になっている)。ほかにも何人かの例が詳細に記されているが、英独両方から多額の金を受け取り、当時の欧州社会での上流階級の豪奢な生活を約束させ、あるものは国際的プレイボーイとして次々と情婦を取り換えていく。女スパイのひとりはスペインから英国に入国するとき、可愛がっていた子犬を連れてこられなかった(当時英国には犬を入国させないという妙な法律があったらしい)ことを最後まで恨み、土壇場でドイツ情報部に情報を打電*したとき、(これは嘘)というコードを送信してしまう、つまり激情のあまりトリプルスパイになったことも書かれている。このような個人本位のふるまいは英国、ドイツ、フランス、など欧州の先進国が言語こそ違え、物質的生活水準や階級意識は共通のものだったからこそ可能だったのではないか。同じような作戦を日本が中国との軋轢の間でやろうとしても、ましてや欧米との間では到底不可能であっただろう。一定の文化的・歴史的・人種的同一性のもとで戦われた欧州戦線と、三国協定によって中国戦線を対欧米諸国に拡大せざるを得なかった日本の戦争がそのプロセスにおいて、戦後の処理において、大きく違ったのは歴史の必然だったのだろう。このことはドイツの戦後処理(贖罪行為)がなぜ日本と違うのか、という(ここでまた、例の -だから日本はだめなんだー 自虐趣味が出てくるのだが)議論の中核をなすのではないか、と考える。

もう一つ、衝撃的な史実が書かれていて、心底驚いたことがある。

日本を無謀な世界戦争に引きずり込んだのが軍部の一部の人間の策謀であったことは事実であるが、その大きなきっかけがナチスドイツを過信し、日独伊三国協定にふみきったことだったといわれている。その動きを推進したのが当時の外相松岡洋右と駐ドイツ特命全権大使だった大島浩(のち陸軍中将)であるが、大島が滞在中ヒトラーに直接会って情報交換をしていたのは当然で、その内容は秘密電報で外務省に報告されていた。この本が明らかにしたのは、実はこの大島大使の秘密電報はすべて英国情報部に解読されていて、ヒトラーの動きを推測するのに大きな貢献をした、ということだ。日独の協力のため、努力したつもりが実はドイツ崩壊の手助けになっていたとは、これ以上考えられないほどの歴史の皮肉であろうか。

かなり分厚い本で、正直読了まで勇気が要ったが、その価値は大きかった。コロナもまあ、いいこともやるなあ。

*当時はインタネットもファクスもないわけで、スパイはすべて個人で小型送信機を持ち、モールス信号を打っていた。この例では、文面のある部分にダッシュ記号をいれることが偽、という取り決めにしてあったという。つまり英国ではダブルスパイと思っていたが実はもう一皮あったということだろう。