私が漢詩を読むようになったのは、友人からもらった英文の中国文書に多くの漢詩が載っていて、これの原詩を探し、原文と読み下しに加えて、識者の解説を写すように纏めてみたことからのことです。 今まで2回ほどこのブログに掲載させていただきましたが、今年も押し詰まってきたことから12月にふさわしい漢詩をと思い少し紹介させていただきます。
最初は杜甫の冬至という詩です。杜甫は、中国の生んだ最大の詩人と言わ れ、別名(詩聖)とも言われます。ただ生前は、必ずしもそのような評価は受けず、後年になるに従いその名前が大きくなったと言います。
年年至日長為客 年年 至日 長(つね)に客と為り
忽忽窮愁泥殺人 忽忽たる窮愁 人を泥殺せしむ
江上形容吾独老 江上の形容 吾独り老い
天涯風俗自相親 天涯の風俗 自ら相い親しむ
杖藜雪後臨丹壑 杖藜 雪後 丹壑に臨む
鳴玉朝来散紫宸 鳴玉 朝来 紫宸に散ぜん
心折此時無一寸 心折けて この時 一寸なし
路迷何処是三秦 路は迷う 何れの処か 是れ三秦なる
至日は夏至と冬至のことを言いますが、古来中国では、冬至の日は、ご馳走を作って、新しい着物に着替え、親族集まって祖先を祀る。朝廷では 盛装した官僚が、紫宸殿に集まり、朝賀の儀式が行われる日でもあります。杜甫は、48歳の時に自身の政策が入れられず、家族を連れて放浪の旅に出ます。この詩を作ったのは、56歳の時だとされています。
その間毎年冬至の日を旅人として迎えた。魂を奪い去る厳しい愁いが、此の身をすっかり骨抜きにしてしまった。心とともに肉体も衰える。揚子江のほとりを彷徨うひとりぼっちの私の姿。そして、世界の果てのような此の地方の風俗にも、いつしか親しむようになった。
雪の晴れたあと、あかざの杖をついて赤土のむき出しになった谷間を前にして独り立つ。此の時間は都では、腰の玉佩を鳴らしつつ出かけた高官たちが、三々五々紫宸殿から退出してゆくことだろう。それを思うと私の心は砕け散る。
心は一寸四方の大きさだというが、今は心砕けて一寸の大きさもない。どの方向が、都のある三秦の地方か。心の迷いに、そこへの路ももはやおぼつかない。
本来おめでたい日にもかかわらず誠に悲しい詩であります。二つ目は、同じく唐代の詩人高適の除夜と言う詩です。
旅館寒灯独不眠 旅館の寒灯 独り眠らず
客心何事転凄然 客心 何事ぞ 転(うた)た凄然たり
故郷今夜思千里 故郷 今夜 千里を思わん
霜鬢明朝又一年 霜鬢 明朝 又た一年
宿屋の寒々とした灯火のもと、ひとり眠られぬ夜を過ごせば、どうしたことか、旅の思いはいよいようら悲しさを増すばかり。こよい、千里をへだてて故郷を思いやっている私だが、明日の朝になれば、白髪の増えた鬢は、又一つ歳をとっているのだ。
もう一首加えます。同じく唐の時代の王いん(注)と言う詩人の作です。
今歳今宵尽 今歳 今宵 尽き
明年明日催 明年 明日 催す
寒随一夜去 寒は一夜に従って去り
春逐五更来 春は五更を逐いて来る
気色空中改 気色 空中に 改まり
容顔暗裏回 容顔 暗裏に 回(めぐ)る
風光人不覚 風光 人 覚(さと)らざるに
已著後園梅 已に著く 後園の梅
除夜の作には、悲しみの詩が多い。その中で、此の詩、己の容貌の衰えを自覚しつつも、自然の営みの中に、希望を見ると解説の一海智義氏は述べています。最後に同窓会ともいうべき詩を紹介します。此の詩は、平凡社から出版されている一色智義氏の「漢詩一日一首」(冬)で見つけたものです。
卞仲謀八老会
同榜同僚同里客 同榜 同僚 同里の客
斑毛素髪入華筵 斑毛 素髪 華筵に入る
三盃耳熱歌声発 三盃 耳熱して 歌声発す
猶喜歓情似少年 猶お喜ぶ 歓情の少年に似たるを
作者は、北宋の韓維という詩人で、蘇軾、王安石と同世代の人です。「同榜」の「榜」とは、科挙の試験の合格発表掲示板。従って、同榜とは、同年に進士の試験に合格したものをいう。さらにこの八人は、同僚であり、同郷の集まりでもある。残りの詩の部分は、字面を見れば大方想像がつきます。最後の句は、みんなのはしゃぎようは、まるで若者、まだまだ若さを失っていない。それが嬉しいのだ。ほぼ 一千年前の同窓会の歌だが、今昔の間を忘れさせる。と一色氏は結んでいます。
私も体調の関係から長いこと会への出席を遠慮していますが、この詩を見つけて、大変嬉しく思った詩題です。来る集まりでの 諸兄 諸姉のお元気な様子お想像するだけでも、気持にハリが出てくるようです。新しい歳にも 少しずつ新しい詩を紹介できればと念じています。
(注)”いん”の漢字ですが、漢和辞典や、私が困った時によく使う白川静